第15話戦いの後で……

夜も更けてきて街を歩く人影はまばらだった。


宿を見つけて入ると、宿屋の主人は腰を抜かした。軍人が来たこと、その軍人の服が破れかぶれで――黒い服だからよく見えないが——どうやら血がついているようだったからだ。


あまりに疲労困憊だったため、部屋は開いていたのに晴翔が律と同部屋にしたことを疑問に思う者はいなかった。

全員酷く空腹だったが食べる気力も残っていなかったので、すぐに部屋に引き上げることにした。


部屋に入ると晴翔は律を見つめた。だけど話をするより先に風呂に入った方がよさそうだと思い風呂を沸かして、律を先に入らせ自分が後に入った。


晴翔はその間ずっと考えていた。

港でのこと、押さえきれない感情が沸き上がってきて気づいた時には激しく口づけていた、あの時どうしようもなく律が欲しかった。


その気持ちが晴翔の中でどんどん膨らんでいく。

理解しがたいことだらけで、考えすぎて頭痛がしてきた晴翔は風呂に浸かりながらこめかみを揉んだ。


律は弟のような存在を失い、ひとしきり泣いた後は平然としていたが、内心まだ酷く動揺しているはずだ。

どうやって慰めたらいいのかまるで見当もつかない。

どんな言葉だって今の律には何の慰めにもならないだろう、故意ではなくとも彼の刀が凪の魂を消し去ってしまった事に変わりはないのだから。


晴翔が風呂から上がると、律は布団の上でこちらに背を向け横になっていた。

眠れないほどに苦悶しているのではないかと憂慮していた晴翔は、寝ている律を見て幾ばくか安心した。


その背中を抱きしめてやりたかったが、静かに寝かせてあげようと思い明かりを消して自分も布団に入った。

すぐに律の声がした。

「晴翔、黙っててごめんね」

「気にしなくていい」

「今から500年くらい前かな、俺はまだ16歳くらいで――いつ産まれたのか分からないから正確な年齢は知らないんだけど、俺を気に入って入れあげちゃった客がいたんだ。そいつが思い詰めて無理心中しようとして、俺は死んだ。そんな時にある番人に会った。そいつは番人を辞めたがってて俺に仕事を引き継がないかって持ち掛けてきた。現世が最悪だったから、来世でまた同じような人生を送るくらいなら、番人になるのも悪くないかなって思って後を継ぐことにした」


律はぽつりぽつりと話し始めた。今は体を休めて欲しかったが吐き出したいのだろうと思い晴翔は律の話しに付き合うことにした。


「後継者を探すものなのか?」

「番人が減ると見張りが緩くなっちゃうからね。番人は番人にしか消せないから、辞めたくなったら後継者を作ってそいつに消してもらうんだ。今回は異例だよ、凪の後継者を俺が探さなきゃな」

「じゃあ君の前任者も」だから蛮勇に敵に向かっていくことができるのかと晴翔は納得した。

「うん、俺が切った」

「辛い役目だな」

「そうでもないよ、俺たちの仕事って地獄と繋がっている木箱を持ち歩いて、誰の手にも渡らないようにするだけだから、長年やっているともう消えてもいいかなって気持ちになってきちゃうんだよ、いつまで経っても衰えない俺たちは人間と深くかかわることもできないし、番人同士はどこかでばったり会うくらいで交流なんてないし、番人やってるやつらは、多かれ少なかれ人の世に嫌気がさしてるから、孤独に疲れると消えて無くなる方を選ぶんだ、俺の前任者も孤独から解放されて最後は安らかだったよ」


「あの木箱は地獄への扉なのか」晴翔が呟いた。


晴翔が質問をしたわけではないと分かっていたので、そのに言葉に律は返事をしなかった。

「凪が番人になりたての頃、よく面倒見てやってたんだ、あいつの前任者に俺も世話になったから恩返しのつもりだった。可愛い奴でさ『兄ちゃんみたいな強い番人になる』とか言って、いつも俺の後を追いかけてきていたんだ。最近はずっと会ってなくて最後に会ったのは100年位前だったかな、俺は凪の気持ちに気づいていたのに求めてきたあいつを利用して、自己嫌悪に陥った俺は卑怯だから『ごめん』って伝えることができなくて逃げ出した」


晴翔が慰めた。「自分をあまり追いつめるな、間違いは誰にだってある」


「凪は12歳の時、納屋に閉じ込められて餓死するまで親から散々殴られて蹴られて育ったんだ。俺はそれを知ってた、凪が人間を憎んでいて孤独を抱えていることを知ってた、それなのに見捨ててしまった。もっと気にかけてやるべきだったのに俺のせいなんだ――俺が凪を消しちゃった」律の肩は震えていた。


晴翔は律の布団に入り腕をまわして背中を抱いた。


突然の温もりに驚いたが、そっと抱いてきた腕の優しさに慰めを感じた。

「俺、晴翔のことが大好きだよ。こんなことされたら勘違いしちゃうよ、もしかしたら晴翔も俺のこと好きなのかなって」


晴翔の心はとっくに決まっていた、律が何者か知った今も愛しく思う気持ちは心の中に居座り動かなかった。

「君が好きだ、君が何者かなんてどうでもいい、ただ君が欲しい」

一筋の涙が流れた。「俺今晴翔とすっごくいやらしいことしたいんだけどさ、限界みたいなんだ、だから今はただ抱きしめててくれる?晴翔の腕に抱かれて眠りたいんだ」

「分かった、ずっとこうしている」晴翔は腕の中で静かに泣く律の手を握った。


次第に呼吸が穏やかになり、律が眠りについたのを確認すると晴翔も眠った。


律が目を覚ますと、約束通り晴翔はずっと彼のことを抱きしめていてくれた。

微かな寝息を頭上に感じる。こんな優しい男、今までいなかったなと心の中で何気なく思った。


(あれ?凪が言うように俺って男の趣味が悪いのか?)


口づけはとても情熱的だったのに、今は同じ布団に入り、ただくっついて一緒に寝ただけでそれ以上の事を何もしなかった晴翔に、律は生まれて、死んで、初めてこれが愛ってものなのかなと感じた。


嬉しくなって、ごそごそと布団の中で体を回転させると、晴翔と向き合った。

その動きで目を覚ました晴翔の唇にチュッと口づけた。

「おはよう」

「おはよう、よく眠れたか?」

律は晴翔の胸に顔をうずめて囁いた「うん、抱きしめててくれてありがとう」

天にも昇る心地で、晴翔の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。


子供のように丸くなっている律の頭に晴翔は口を押し付けた。

「律そろそろ起きよう」

律がうなり声をあげて、顔を横に振った。

「ほら、顔を洗いに行くぞ」

布団をはがして、律の腕を引っ張って起き上がらせようとした。

「幸せに浸っていたのにもう終わりなの?」

「そんなにむくれるな続きは夜にしよう」

「続きは夜にってそれなんだかいやらしいね」晴翔の下半身を触った。


晴翔のそれは僅かに上を向いていた。


晴翔は赤面した。「いいだろ、俺だって男なんだ。反応くらいするさ」律の腰に腕を巻き付けた。

「いいよ、夜まで待てないって言わせてみせるから」律は晴翔の顎を親指でそっとさすり、唇を吸った。


鏡に映った顔は昨日散々泣きはらしたせいで、瞼が重く腫れていた。

「晴翔、俺の顔酷い?」

「相当腫れてるな」律を引き寄せて瞼に優しく口づけた。「綺麗だ」

「晴翔がそういうなら気にしないことにする」律はぶらぶらと部屋に戻り、寝巻の浴衣から自分の着物に着替えようとした時、着物が見るも無残に破れていることに気づいた、仕方なく破れた着物は捨てることにして、小さな木箱の中に入れておいた新しい着物を取り出して着た。


2人が並んで食堂へ向かうと、伊織たちは先に来ていた。

「律さんはなんで着物が綺麗なんですか?」颯真が不平を漏らした。

律が笑いながら答えた。「着替えたからだよ、木箱の中に着替えを入れておいたんだ」


晴翔たちは軍服に乾いた血があちこちにこびりつき、傷は律に治してもらったが剣で引き裂かれた服が激戦の様相を物語っていた。

おかげで食堂に入るとその場にいた人たちの息を呑む音が聞こえてきそうだった。早く食堂を出ようとして慌てて食べ物をかきこむと脱兎のごとく出ていった。


肩を落として慶が言った。「これでいよいよ軍人が嫌われてしまう……その木箱俺も欲しい……」

奏多はため息をついた。「怖がられることにはやっと慣れてきたところなのに、今度は嫌われることに慣れなきゃいけないのか、そんなの無理だ」

軍人に憧れて入隊した兄弟は同時に肩を落とした。


晴翔も怖がらせてしまったことを申し訳なく思ったが、気を使っていられる心境じゃなかった、全員ほぼ丸一日食べていなかったので出された朝食を貪り食った。


腹を満たして生き返った彼らは港を目指そうと、宿を一歩出た途端、今度は道行く人たちを慌てふためかせ逃げまどわせてしまった。


律が笑い転げた。「こんなに美男子が揃っているっていうのに、逃げ出されちゃうなんておかしくて腹がよじれる、君たちはすぐ服を汚しちゃうやんちゃ坊主たちなんだから困っちゃうよね、仕方がないから俺が着替えを入れておけるような物を作ってあげるよ」


道中ずっと楽しそうにしている律を見て、晴翔は胸を撫で下ろした。

昨晩、腕の中で震えていた律は今にも消えてしまいそうなほど弱っていた。

いつもの悲しそうな笑顔じゃなくて、楽しそうに笑っていてほしかった。そのためなら何だってしようと思った。


港に辿り着くと晴翔と伊織は部下に指示を出しに行った。

黒岡軍の大きな船が3艘停泊しているのを見て律が言った。「すごいな3艘も来ているのか」

颯真が答えた。「1艘は俺たちが帰途につくためです、もう1艘は捜索をしている兵士たちが、証拠を集めて持ち帰る為の船です、そして少し小さい船は囚人用です、俺たちは一足先に〈黒岡〉に帰りましょう」


颯真に案内されて船に乗り込むと、2艘を港に残し〈黒岡〉に向け出港した。


伊織は律に色々質問をしたくて船内を探した。

晴翔と律が船尾の長椅子に並んで座っているところを見つけたが、何故か今は話しかけてはいけない気がして、また今度にしようと思った。


黒岡の市井人は、日ごろから軍人を見慣れているうえ、交流があるので怖がることはまずない。

全員ぼろぼろの軍服を脱ぎ新しい軍服に着替えていたので、先ほどまでのおどろおどろしさがなくなっていた。


軍服が良く似合う眉目秀麗な若い男たちが船から降りて来ると、人々は羨望の眼差しで感嘆の言葉をひそひそと話した。


晴翔は総督に報告へ行き、律は彼の執務室で1人待っていた。

暇を持て余していた時、外から声がしてきて窓の下を覗くと、そこは広い屋外道場だった。


10代の若者たちが剣術の練習に集まっていたので、律は窓を開けて窓枠に腰かけ、見学することにした。冷たい風が律の頬を撫でた。


しばらく眺めていたが、執務室の大きな両開きの戸が開くとそちらに視線を移した。戸口に晴翔が立っていた。


晴翔は戸を閉めると鍵をかけた。

それを見て喜々とした律は、近づいてきた晴翔の首に腕を絡めた。

「どうしたの?鍵なんか閉めちゃって、何するつもり?」

いたずらっぽく笑う律の唇を晴翔が吸った。


「夜まで待てない」晴翔は律を窓枠から降ろして窓を閉めると、深く口づけた。

何度口づけても変わらず晴翔の心臓は、激しく脈打ち頭に血が上った。


船の上で並んで座っていた時、律は周りに気取られない程度にそっと彼の手に自分の指を這わせ、その感触をずっと楽しんでいた。そうして1時間以上触られ続けた晴翔は律に触れたくて我慢できなくなっていた。


律のほっそりとした腰から緩やかに流れる膨らみが晴翔は好きだった。

晴翔は律の腰に手を置き、そっと撫でた。

くすぐったくて身をよじった律は晴翔の大きな手に抱き寄せられてしまった。


晴翔は律の髪に指を絡ませ真っ白な首に唇を這わせ、軽く歯を立てた。

律の体が震え熱い吐息が口から洩れる。


晴翔が律を机の上に座らせると律は晴翔を導き2人は初めて体を重ねた。

律から発せられる熱が晴翔を包み込むと、彼を心底陶酔させた。

晴翔の体にしがみつく律の腕に晴翔はのぼせて、律の体に深く沈みこんだ。

律は晴翔を最奥で感じると小さく震えた。


晴翔の切羽詰まった顔を撫でて、顔を引き寄せると、唇を奪い激しい口づけを晴翔に与えた。


お互いの体が溶け合ってしまいそうなほど絡み合い、揺蕩った。

不意に晴翔は怖くなった、昨日律を失いかけた。

こんなにも愛する彼を失うことがあったら自分は生きていけないだろう。


晴翔は律を渇愛していた。律を抱く手により一層力を込めた。

下から何度も突き上げ、律を高みに押し上げる。

律は体を反らせて晴翔に体を開くことで、彼の欲望を引き出した。

2人は息を乱してお互いを昇らせ、絶頂を味わった。


律を抱え上げて椅子に座ると、自分の膝の上に座らせ抱きかかえた。


律は晴翔の肩に頭をもたせ掛け、夢心地だった。「ねぇ晴翔、俺達って恋人同士?」

「そうだ、恋人同士だ」


長い間甘い時間をうっとりと過ごした晴翔は律を膝から降ろして、脱ぎ散らかした服を拾い上げる。「風呂へ行こう、お堂で除霊の儀式を行うのだろう?できそうか」

「うん、眠くなっちゃったけど大丈夫、できるよ」


晴翔は大きな両開き戸とは別の小さめの片開き戸を開けて、律の手を引いて風呂場へ向かった。

「執務室と晴翔の屋敷は繋がっているのか」

「寝ている時以外は執務室にいることが多いからこの方が便利なんだ」

「晴翔らしいね、湯は俺が沸かすよ」薪をくべようとしている晴翔を律が止めた。


――鉄管に薪をくべて湯を沸かす仕組みになっている――風呂の水に律が手をつけると、直ぐと湯気が立ち上った。


「俺の特技だ、地獄の炎は一瞬で水を湯に変えられるくらい熱いからな」

「なるほど、これは便利だな」晴翔は風呂の水に手をつけてみた、丁度いい湯加減だった。


2人で入るには少々狭かったが、晴翔の膝の上に座ることで風呂桶の中に晴翔と律はピッタリ収まった。


「1日中執務室にいるのって退屈じゃないのか?普通の人は1日のうちどこかで趣味の時間を取るものだって聞くぞ、高貴な人は高尚な趣味があるんだろう?芸事とか文学とかさ、晴翔は何が好きなんだ?」律は音楽や小説が好きだったので、何を聞かせてもらえるのかと期待を込めた眼差しを晴翔に向けた。


「……剣術と軍が趣味だ」


律はあからさまにがっかりした。「はあ?なんだよそれ仕事じゃないか、仕事が趣味ってこと?つまらないよそんなの」

「仕方ないだろう、兄は詩だとか、琵琶だとか器用にこなすけど、俺は剣術みたいな勝負がつくものにしか興味がないんだ、そういう律は趣味があるのか?」

「俺?発明かな、便利な物を発明するのが楽しい、傷を治す療治石りょうじせきとか、記憶を鏡に映すことができる可視鏡かしきょうとか、実のところ石の電信盤を造ったのは俺なんだ」


「何!電信盤を造ったのは君だったのか!」驚いたのも束の間、布の電信盤が造れるのだからそう驚くことでもなかったなと思った。

「300年ほど前に当時の天人様に頼まれて作ったんだ。だから布の電信盤を造るなんて造作もないんだ」


「何で天人様と知り合うことになったんだ?」

「警政官の将軍と好い仲だったんだ」

ニヤニヤ笑う律の首筋に嫉妬心を露わにした晴翔は歯を立てた。

「じゃあ現存する電信盤は全て君が造ったもので、新たに製造されないのは、君が造るのを止めてしまったからってことか?何故やめた?」

「将軍と別れたから。あいつ俺を騙して依頼料の上前をはねてやがったんだ。だから俺はあいつから金を取り返してちょっとだけ懲らしめてやると、当分の間都に戻らないことにしたからそれ以降は製造していない。いい男だと思ったんだけど、やっぱり俺は見る目が無いんだな」


律の顔を振り向かせて覗き込んだ。「心外だな、見る目の無い律の目に留まった俺も同類だって言うのか?」

「500年経ってようやく俺の見る目が養われたってことだね」律は晴翔の唇に口づけた。


風呂から上がり着物の衿をいつものように適当に合わせて帯を締めると、手早く軍服を着た晴翔に衿をきっちり直された。

「晴翔、これじゃ苦しいよ、息ができない」

「律は前を開けすぎだ、そんなに肌を見せて歩く必要ないぞ」


律がしたり顔をした。「そうか、晴翔は俺の肌を誰にも見せたくないってことなんだな、それは嬉しいんだけど――だからってこれはやりすぎだ、どこかの若旦那みたいだ」律は懐に手を入れて内側から衿をぐいぐい押し広げて胸元をはだけさせた。


晴翔はその胸元を険しい目つきで睨んだ。

律は気がつかないふりをしてお堂に向かって先を歩いた。


途中、晴翔の兄であり黒岡軍総督と行き合った。

律は大智の手を見た。手袋はもうはめられていなかった。「総督、手の具合はどう?」


大智は手を握ったり、開いたりして見せた。「君のおかげで今は嘘みたいに何ともないよ、痺れも取れた、本当にどうやって感謝したらよいか、いつか我々の力が必要になった時はいつでも言ってくれ君の為なら全力で力を貸そう」

「ありがとう。俺は美味い飯と美味い酒があればそれでいいよ」


晴翔が大智に言った。「律に今からお堂で招き猫の除霊をしてもらうのですが、見て行かれませんか」

「除霊か、それは私も見てみたいな、ついて行くとしよう」

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