第13話福吉

辿りついた場所は、人里離れた山奥に建つ巨大な屋敷だった。


晴翔が追いつくと、血を流しうめき声をあげている兵士たちの横で、ひょろりとした美青年の律だけが立っていた。

彼が1人で全員を倒したのだと言って信じる人がいるだろうか、誰も信じないだろう。


銀色の美しい髪から血を滴らせている様は、陰惨をきわめた。


晴翔たちは敵がどこから来てもいいように全方位を警戒した。

律が屋敷の門をくぐりながら大声を張り上げた。「これ以上部下を失いたくはないだろう、話をしようじゃないか」


馬上した晴翔たちも門をくぐった。


門の中は石畳が整然と並べられ、四方にやぐらが設置してある。

弓矢の襲撃を警戒していると、晴翔たちがいるところより数段高いところにある屋敷の扉が開き中から男が1人出てきた。腰のあたりまである亜麻色の髪、瞳は琥珀色で律と同じように美麗で妖艶だ。


律は石畳を歩いて近づいていき男と対峙した。「やっぱりお前かなぎ!お前いったい何やってる!」怒りにまかせて叫んだ。

「兄さんじゃないか、久しぶりだね。兄さんこそいったい何してる?兵士がどんどん死んでいくから不思議に思っていたんだよね、兄さんの仕業だったのか何でそんな奴らと一緒に……ああ、そうか、気づいている?兄さんの弱点は美しい男に弱いってこと」凪がせせら笑った。


律は声を荒げた。「凪、手を引け!」

「そう怒らないでよ、ちょっとしたお遊びなんだからさ。何で僕だと分かったんだ?」

「招き猫の封印を解ける者はそう多くないからな、その中でこんなことするのはお前くらいだ、何でこんなことやったのか最初から話せ」


「いいよ、僕はただ依頼を受けただけだ。『まずいものを見られた、口外されると困ったことになるから桝谷仁を殺して欲しい』って、招き猫を使ってみたかったし丁度いいと思って引き受けた。そしたら僕に依頼してきた軍人が、ガキを売り飛ばす仕事を一緒にやらないかって言ってきたんだ。それで懲らしめてやることにした。悪を成敗してやったんだから感謝してくれでもいいんじゃないかな」


「やりすぎだ」律が咎めた。

「やりすぎ?それじゃあ僕が今からしようとしてることはどうなのかな?その軍人とお仲間の悪人を捕えてるんだ。罰を与えてやろうと思ってね。兄さんは拷問が嫌いだからきっと怒っちゃうね」


ニタニタ笑う凪に律は吐き気がした。彼は人を殺すことに喜びを感じている。

「確かにそいつらは罰を与えられても仕方がないことをしたけど、罪のない者まで巻き添えになったんだ、ただじゃすまないぞ」

不気味に笑っていた凪の顔が怒りの形相になった。「罪が無いだって!戯けたことをぬかすな、人間は腐ってる当然の報いをうけたまでだ!」

凪がサッと手を振ると、兵士が律たちを取り囲み切りかかってきた。


晴翔たちも剣を構えた。

蝶が飛んできた矢と射手をまる焦げにして、晴翔たちを助勢した。


律は刀を振りながら声を張り上げた。「凪いい加減にしろ!俺とお前だけで戦えばいいだろう」

「人間のために必死になってる兄さんは本当に滑稽だよ、低俗で自分勝手な人間をどうして好きになるのかな」凪は首を傾げた。

「招き猫を使ったのは俺に会いたかったからじゃないのか、それならもう目的は果たしただろう」

凪が薄笑いを浮かべた。「うぬぼれないでくれるかな、何で僕が兄さんに会いたいなんて思わなきゃならないの?」

「他の人たちを巻き込むな!」

「兄さんだってガキの頃散々な目にあってきたじゃないか、それなのになんで人間なんか庇うんだよ。こんな奴ら死んじゃえばいいんだよ」


律は凪が何をしようとしているのか分かっていた。律の正体を暴く気だ。

晴翔をちらりと見ると彼と目があった。


(この後に起きるであろうことを見たら、彼の俺を見る目が今までとは変わってしまうだろうか、俺はこの人を失って平静でいられるだろうか、こんなにも俺を夢中にさせる相手にはもう出会えないかもしれない、晴翔を失ったらもう俺は……俺は)


凪は、律の晴翔を見る目が気に入らなかった。

ずっと自分に向けて欲しいと思っていたものは、今晴翔に向けられている、怒りに震えた。

「ねえ兄さん!やっぱり兄さんの弱点は美男子に弱いことだよ。だってさ、何で全力を出さないのか気になっちゃうんだよね。それって自分が何者なのか知られたくないからなんじゃない?でもね、自分の正体を明かせないってことは奴らを信頼してないってことでしょう?」凪が語気を強めて言い放った。「ならどうしてそんな奴と一緒にいるんだ!」


律は声を和らげた。「凪、頼むから彼らを巻き込まないでくれ、悪事に加担した奴は一人残らず罰を受ける、お前が壊滅させたそれでいいじゃないか」

「奴らが傷つけられたら兄さんはどうするのかな?僕は兄さんの苦しみに歪む顔が見たいんだ」

嘲笑う凪の後ろから黒熊が2頭現れた。

「いい加減にしろ!もう十分だろうが!」律はまた声を荒げた。


「兄さんが連れてる人間なかなか腕が立つみたいだ。こっちも本気にならないと兵士がいなくなっちゃうから、最終兵器を出させてもらうよ。兄さんにしては珍しく男の趣味がいいじゃないか。兄さんはこいつらと戦いながらそいつを守れるかな?兄さんが僕の慰み物になるって言うなら今すぐそいつらを解放してあげるよ」


熊の皮膚は硬く刃が立たないから拳で戦うしかない、同時に2頭を相手にするとなると晴翔たちを蝶に任せるしかない、蝶は強いが持久力に欠ける、そろそろ疲れてきている頃だ。

律は目を瞑り、晴翔を思った。


――約束した彼の部下を全力で守ると――


「分かった、お前と一緒に行く」

「そんなにそいつが大事かよ」凪が呟いた。「剣を納めろ!」

敵の兵士たちが剣を納めた。

凪は律に近づいていくと唇を奪った。それに律は応えた。


「いいよ、そいつらを解放してあげるね、兄さん」

凪は手を振って兵士たちを下がらせ、律の手を取って歩き出した。


律は晴翔を一度も振り返らなかった。振り返ってしまえば、諦めきれなくなってしまう。


晴翔は律と凪の間に以前何があったのか分からなかったが――どうやら仲たがいしたようだ——律が自分たちのために犠牲になったことは分かった。凪に律を渡してはいけない、何としても律を守らなければ後悔すると思った。

「律、待て!戦おう!俺たちならやれる、君を失うわけにはいかないんだ」

律が足を止め、苦悩した。


(今は凪に従うしかない、そうしなければ誰かが死んでしまうかもしれない、それは晴翔かもしれない、そうなったら絶対に自分を許せないだろう)


律は俯いたまま歩き出した。

「律戻れ!俺には君が必要なんだ……そいつについて行くな……戻ってくれ」晴翔の声は震えていた。


律がまた足を止める。

「僕と一緒に来なきゃあいつら殺しちゃうよ」凪が律の手を強く引っ張った。

律は凪と向き合った。律よりほんの少し背の高い彼の綺麗な顔を両手で包んだ。

「覚えてるか?初めて会った日のこと俺は覚えてるよ。お前は川で魚を捕まえようとしていた。でもお前下手くそで全然捕まえられなくてさ、ハハッ!水の中で格闘しているお前が面白くて、お前に声をかける前かなり長い間見てたんだよ。別れた日のことも覚えてるか?あれは最悪な一日だった。俺はお前に抱かれるべきじゃなかったんだ。お前の気持ちに気づいてたのに、俺はただ欲求を解消したくてお前を煽って抱かせた。お前の気持ちを利用してしまった。ごめんな」律は凪をそっと引き寄せて、額をコツンと合わせて囁いた。「凪、ごめんな、俺はお前のことが好きだよ。だけどお前の好きとは違うんだ。お前と一緒には行けない、頼むからみんなを傷つけないでくれ。お前と俺一対一で戦って終わりにしないか?」


凪が律を突き飛ばした。倒れそうになった律は地面を蹴って飛び上がり、体勢を立て直した。

「律なんかいらない!律なんか嫌いだ!こいつら全員皆殺しにしろ!」凪の頬を涙が伝った。


敵の兵士たちが納めていた剣を再び抜いて切りかかってきた。

晴翔は律が戻ったことで勇み立った。「絶対切り抜けろ!全員ここを生きて出るんだ!黒岡軍の意地を見せろ!」

晴翔に鼓舞された伊織たちも勇み立った。


律の前には、熊2頭が鼻息荒く今にも飛びかかってきそうだった。

律は刀術を得意としていたが、やむなく刀を鞘に納めると熊に飛びかかった。

膝で熊の下顎を蹴りあげ、立て続けに拳を突き出し熊の脇腹にめり込ませた、熊は衝撃で吹っ飛び壁へしたたかに体を打ちつけた。


もう1頭の背中に飛び乗り、熊の頭を捻りボキっと折って、身をくるりと翻し降り立った。

晴翔は素手であっという間に熊2頭を倒してしまった律に、ぎょっとした。


(とんでもない馬鹿力だな、ここまで来るとさすがに人間業じゃない)


すぐに倒れていた熊2頭はのっそりと起き上がった。

首が折れるほどの打撃を受けても死なないということは、この熊は妖なんだろうと晴翔は思った。


(妖は怪我をしないし、死なないとも言っていた、律はいったいどうやってこの熊を倒すつもりなのだろうか、きっと何か秘策があるに違いない、機知に富んだ秘策が)


凪が涙を袖で拭って石階段の一番上に座った。

「兄さん、人間たちのことも気にした方がいいんじゃないかな、若いのが何人か怪我しちゃってるよ」凪がニタニタと笑う。


剣を繰り出しながら伊織が叫んだ。「私たちは大丈夫です!」


(私たちがここで耐えなければ律さんを取られてしまう。このくらいの傷大したことない、この程度の兵士に我々が負けるはずがない、律さんは不死身の熊と戦っているのだ、足を引っ張るわけにはいかない)


「俺たちそんな軟じゃない!こんな擦り傷くらいで怯んだりしません!」

颯真は律をあんな奴に取られてたまるかと思い、死力を尽くして戦った。


(律さんは面倒な儀式に付き合って俺を救ってくれた、顔色を見ていれば分かる、あの儀式は彼の体力を奪うものだった。それなのにいつも俺を心配してくれた律さんのために負けてたまるか!)


「こちらは任せろ!君はそっちに専念してくれ!」晴翔は闘志を燃やした。気迫だけで人が殺せそうなほどに。


凪は律を大事な仲間のように扱う晴翔たちが憎かった。

「面白いね、律は『お友達』ってやつを見つけたんだ、奴らは君の正体を知ったあとでも『お友達』でいてくれるのかな?そろそろ本気になった方がいいんじゃない?律の大事なもの僕が奪っちゃうよ」

凪は熊を1頭自分の隣に呼びつけると何か囁いた。


しかけてくると察した律は警戒した。

熊は全速力で突進してきた――他の熊を蹴り飛ばしていて、律は一瞬反応が遅れてしまった。

律の横を通り過ぎた熊が、晴翔たちの方へ突進していく姿を見て律は焦った。

熊の硬い肉体に剣はなす術もない、熊がどこへ向かっているのか素早く確認した。


その時ふと思った。言うも愚か凪が律を傷つけたいのなら狙う相手はたった1人だ、律が愛しているその人――


晴翔は何かが迫ってくる気配を感じ、視線を向けると熊と目があった。

熊の爪が晴翔をひっかこうと振りかざされると咄嗟に剣で防御した。

律はもう一頭の熊を足場にして飛び上がると晴翔の前に着地した。

晴翔の目が律の目を捉える――知らない人のように見えた。


薄かった瞳の色は白目までも黒々とした光を放ち。深淵を覗き込んでいるようだった。


――熊は律の背中を引っ掻いた。


律はくるりと身を翻し、嚙みつこうと大口を開けていた熊の上顎を右手につかみ下顎を左手でつかむと、真二つに引き裂いた。

律の怒りは頂点に達していた。この世のすべてを破壊するかの如く猛烈な怒りを感じていた。


晴翔は背中をひっかかれた律の身を案じた。律にもしものことがあったらと思うと体が氷のように冷たくなった。


律を助けに行こうとしたその時、着物が裂け露わになった背中から、血が流れていないことに気がついて訳が分からなくなった、背中には熊がつけた太い4本の筋がくっきりとついていて赤い肉が見えているのに、血は滲んでいるだけだった。


あんなに深くえぐれているというのに、血が出ないなんてことがあるのだろうか?それに彼の瞳がおかしかった白目がなく黒々としていた。律の瞳は透き通るような紫水晶色で晴翔に恋心を抱かせた綺麗な瞳だったはずだ、凪がしきりに言っていた、『律の正体』――史上最強の妖術使いとかだろうと思っていたが、実際は自分の想像以上のものなのだろう、それがどんなものであったとしても晴翔は全てを受け入れる覚悟をした。


晴翔たちと戦っていた兵士は颯真が最後の1人を切り倒し全滅した。

蝶がひらひらと舞いおりて、悠成の肩に止まるとぐったりとした。

全員が致命的ではないが傷を負い気力が尽きかけていた、それでもまだ意志の力で剣を構えた。


熊を引き裂いた律を見ていたのは晴翔だけで、伊織たちはいったい何が起きたのかと、律と無残にも二つに裂けてしまっている熊を交互に見た。

晴れていたはずの空が、突然分厚い黒雲に覆われ落雷が轟き、どこからともなく犬の遠吠えが聞こえてきた。


犬が3頭、人の3倍もある高い塀を軽々と飛び越えてきて、律の横に立った。その犬は全身が黒く短い毛に覆われていて、目は赤く光り、律の腰ほどの高さがある大きな犬だった。


3頭とも熊に向かって低いうなり声をあげていて、その声はまるで地の底から響いてきているようだった。


凪が嬉しそうに笑った。「ああ、正体バラしちゃったね、きっともうそいつら兄さんと遊んでくれないよ、きっと嫌われちゃうね、馬鹿な律、僕を拒むからいけないんだ……」


「食い殺せ」律が犬に命令する。

その声は律のものとは思えないほど低く冷血だった。


3頭の犬たちは熊に向かって、歯をむき出し駆け出した。

犬に飛びかかられた熊は、爪でひっかこうとするが宙を掻くばかりで全く傷をつけられない。1頭の犬は熊の体のあちこちをちょっと噛んでは離れ、ちょっと噛んでは離れを繰り返していて、からかって遊んでいるようだ。


他の2頭の犬は熊の爪をひらりと交わして熊の後ろ脚に噛みついた。

噛みつかれた熊は、振り払おうと足をバタバタさせたが、犬の噛みついた力が強すぎて、びくともしない。


犬も負けじと頭を左右に振る。すると熊の足の付け根がビリビリと裂けて、赤い肉が見えた。

凄まじいほどの咆哮をあげて痛みに身をよじり、足に力が入らなくなると、熊の足に振り回されていた2頭の犬が、俄かに着地して足を踏ん張り、一気に引っ張った。


後ろ足をもぎ取られた熊は、ドサッと地面に横倒しになった、すかさず熊をからかって遊んでいた犬が熊の首に食らいついた。

犬たちはあっという間に自分の3倍以上もの巨大な熊を倒し、肉を食いちぎってむしゃむしゃと食べた。


「そいつら使役するのに結構時間がかかったっていうのに、もったいないことするな、兄さんの犬は容赦がない」


律が凪に歩み寄った。穏やかな声の中に失望がはっきりと感じられた。

「これで終わりだ。俺たちは招き猫をもらっていくからお前も立ち去れ」


凪は苛立ちを抑えられなかった。「そいつらは兄さんと一緒にいたくないんじゃないかな、だって僕も君も人間じゃないんだからね。人間なんて身勝手な生き物だから、兄さんの正体を知ったら一目散に逃げていくよ。分かってるんだろう?なのに何でそんな奴らが良いんだよ、なんで……」声は哀切を帯びた。「律が僕の物にならないっていうなら、道ずれにしてやる!」最後のあがきだった。

凪が刀を振りかざし律に飛びかかった。


「俺はお前と戦いたくない!」律は刀を避け防御した。

憎々しげに叫んだ。「じゃあ切られて死んでよ!」

「凪!死ぬだけじゃないんだぞ、魂が消えて無くなる。二度とこの世に戻れなくなるんだぞ!」律は唇を噛んで凪の刀に耐えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る