第12話七城――夜明け――

夜が白々と明けてきたころ黒岡軍の船が到着した。

応援部隊は晴翔たちの全身血みどろで、散々たる姿を見て驚愕した。

第2大隊長が晴翔に声をかけた。「旅団長、随分んと……血だらけですね」

視線を落として確かにこれは酷いと晴翔は思った。「敵の血だ、奴らのほうが散々な有様だ。血を洗い流したい、湯を沸かしてくれるか」


黒岡軍の船は大きく、仮眠室や食堂の他に湯を沸かす設備も整っていたので、律以外の7人は船の到着を待ってから血を洗い流し、新しい服に着替えることにした。


律が一番ひどいありさまだったが、彼は井戸の水をかぶって血を洗い流していため、まるで何事も無かったかのようにきれいになっていた。

颯真も律と同じように井戸の水をかぶろうとして、水に手をつけた瞬間全身が凍ってしまうかのような冷たさに襲われ断念した。


日中は冬の厳しさが和らぎ暖かいと言える日が増えて来たものの、明け方の夜気はまだ冬の名残を引きずっていた。

颯真はこんなに冷たい水をかぶって平気な顔をしていられる律は超人だと思った。


晴翔は身支度を終えて、部下の報告を聞き指示をいくつか出してから船を降りると、律が昨日の夕方話を聞いた鮮魚店の店先で、どこから持ってきたのか店主と一緒に酒を呑みながら話をしていた。

その傍らには日葵が座り、店主の妻から折り紙を教えてもらっていた。


日葵は一羽の鶴を折ると顔を輝かせて律に見せた。

律はとても温かい目で彼女を見て、頭をなでてやった。それを見た晴翔は、律が嬉しそうにしている姿を喜んだが、自分がその表情を引き出せてやれないことを悔しくも思った。

晴翔と第1大隊の面々が船から降りてきたことに気が付くと律は、店主とその妻に頭を下げて礼を言い日葵と一緒に戻ってきた。


律は腕に子猫を抱きかかえていた。「屋敷にいた怨霊たちは成仏したけど、日葵ちゃんはみんなにお礼を言いたくて待ってたんだ」

少女ははにかみながら言った。「みんなを助けてくれて、ありがとうございました」

その声はやはり消え入るほど小さかったが晴翔たちの耳にはちゃんと聞こえた。


律が小さな木箱の蓋を開けると、日葵は子猫と一緒に中へと吸い込まれていった。


てっきり成仏の儀式でもするのかと思っていた伊織が律に聞いた。

「日葵ちゃんを花畑のある所へ連れていくのではなかったのですか?」

「子猫が連れて行ってくれるよ。伊織君、日葵ちゃんが心配?」

「はい、気の毒な事をしました。あの子の事も助けてあげられたらよかったと思います」伊織が沈鬱な表情をした。

「今からでも遅くないよ、日葵ちゃんのために毎年命日の1月21日には手を合わせてあげて、そうすればいずれ日葵ちゃんはこの世に戻ってこられるから」

「輪廻転生ですか?」伊織の顔がパッと明るくなった。

「そうだ、手を合わせて祈ってくれる人がいれば、いずれ転生できるよ」

「分かりました、必ず毎年欠かさず祈ります」伊織は日葵の命日1月21日を心に留め、日付は違うけど早速手を合わせて転生できるように祈った。


暖かい湯に浸かり晴翔の顔色が少し良くなっているようで、律は案じていた気持ちが晴れた。


晴翔が律に最新情報を伝えた。「松平文章と他9名が逃亡しようとしていたところを軍が捕らえた。これから尋問する予定だが、組織の規模が黒岡軍の管轄地を出るようなら黒岡軍での投獄ではなくて、都の警政官けいじょうかんに引き渡して投獄されることになるかもしれない」


律は噓八百並べ立てる松平文章が頭に浮かんだ。「あいつ正直に話すといいけど、あからさまな嘘を平気でつくからな、矛盾していてもお構いなしに白を切り続ける。証拠を固めて突き付けるしかないだろう」


伊織は賭けだろうなと思った。悪事の証拠というものは大抵見つからないよう隠すか、直ぐに始末してしまうものだ。梶山剛史が間抜けであることを願った。

「帳簿とか金の流れが分かる証拠があることを祈りましょう」

悠成は梶山の焼け落ちた屋敷を憎悪に満ちた瞳で見つめた。「梶山の屋敷は燃えてしまって証拠なんて見つからないでしょう。松平は組織の中枢というより末端のようなので組織を潰せるほどの証拠は持っていないと思います」


晴翔はもどかしかった。「4体目を持つ奴に賭けるしかないということか」


律が木箱から3体目の招き猫を取り出すと、懐の中に隠れていた燕が飛び立った。


晴翔はこんなに大掛かりな人身売買組織が存在していたということに憤慨していた。「4体目を持っている奴もまた、この悪事に加担していたということだとすると、招き猫を放った人物はこの組織を潰したかった誰かということになるよな」


「招き猫を放った人物は、俺たちの敵ではない?敵の敵は味方ということではないですか」招き猫を放ったやつをとっちめてやろうと思っていた颯真は気が抜けてしまった。


律は疑問に思った。罪のない人を助けるために罪のない人を殺める、矛盾している。

「味方ってのとはちょっと違うと思う、正義感から人身売買の組織を潰そうとしたのなら、何の罪もない使用人まで殺そうとするかな?それに黒幕が隠蔽を図ったって線も捨てきれない」


そもそも、招き猫を使って異象を起こすなんて遠回りなことをする必要がどこにあったのだろうか?

始末したいのならば、梶山の屋敷みたいに爆破した方が簡単だったのではないだろうか。律ならば祟りという不確かなものに頼らず、正確かつ確実に暗殺できる手段を選ぶだろう。

とすると、招き猫を使った理由は律の気を引きたかったからだ。


律には招き猫を仕掛けた犯人が誰だか見当がついた。

ただ晴翔に、みんなに伝えるには言えないことが多すぎた。


燕が律の肩に戻ってきた。

「次は南東だ」律は招き猫を木箱の中にもう一度放り込んだ。


晴翔、律、伊織、颯真、悠成、光輝、慶、奏多の8人は馬にまたがり出発した。


一連の事件を整理した晴翔の頭に、疑問が生じた。「釈然としないことがあるんだ。異象の始まりは桝谷家だ、当初狙いは桝谷家を潰すことだけだったんじゃないか?それが何らかの理由で事情が変わった」


晴翔の言いたいことを理解した律は後を引き継いだ。「松平の使用人は数人に祟りが起きていたようだけど、梶山の使用人には何も起きてなかった。桝谷家の使用人に祟りが起き始めたのは約1カ月前だよね」


「そうだ、要するに招き猫を仕掛けた時期に大きな開きがあるってことだよな。もし確実に始末したいならほぼ同時に仕掛けるんじゃないか?でなければ警戒されてしまうし、最悪招き猫の異象に気づいて回収されるはめになる」晴翔は確信に近づいている気がして気が急いた。


律は晴翔の意見に同意した。「確かに一理ある、桝谷家を壊滅させた後で仲間割れが起きたのかもしれない……晴翔、この先多分……いろいろ目にすると思う、だけどこれだけは信じて俺は晴翔の部下を……彼らを全力で守る」

「何があっても君を信じている」それは晴翔の本心だった。


2人のやり取りを後ろで見ていた伊織は、割って入れない空気が漂っている気がした。


福吉まであと20キロ程の所まで来ると刺客に出くわした。


律が馬から飛び降り先鋒に立ち、刀を振りかざして口火を切った。

自由に動けないから馬に乗って戦うのはしっくりこない。律は縦横無人に刀を振るうのが好きだった。


周囲の木を足場にして飛び上がると兵士の頭を切り落とした。

頭を失った体を蹴り落とすと馬の背に立ち刀を振って、向かってきた兵士の剣ごと腕を切り落とした。馬を足場に飛ぶと兵士を左手でつかみ上げ投げ飛ばした。木に叩きつけられた兵士の背中はありえない角度に折れ曲がって地面にボトリと落ちた。


頭上を飛ぶ蝶に向かって怒鳴った。「何で手助けしないんだよ!」

蝶がひらひらと舞って悠成の肩に止まった。

「何!そういうことかよ!お前覚えとけよ!」律が叫ぶ。


燕がチュピチュピジーと鳴いた。


燕は律と蝶を行ったり来たりしてまるで仲を取り持っているようだった。


悠成が蝶に話しかけた。「律さんを助けに行ってやってくれないか」

蝶は悠成の肩から飛び立ち稲妻を放った。


「この場所で戦うのは地の利が悪すぎる、ここは敵の縄張りらしい、奴らにとっては庭のようなものだ。開けたところまで俺が片付けるから後から来い!」律は飛ぶように走った。


馬に飛び乗ったり、降りたりを繰り返しながら兵士を切り倒し、強引につき進んで道を開けた。


晴翔は馬を走らせた。律は戦いながら進んでいるというのに何故か早すぎて追いつけない。離れずについていけたのは燕と蝶だけだった。

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