第7話込田――刺客――
朝から青空を覆い隠していた雲がいよいよ雨をぽつぽつと空から落とし始めた。日暮れも近かったので、今日は近くの宿に泊まることにした。
宿を見つけるとまずは食事をとることにして、食堂に入っていった。
黒岡軍にあるような座卓は無く大広間に座布団が並べられているだけだった。
晴翔の隣に律、向かいに伊織と颯真が座ると、ほどなくして膳が運ばれて来た。
白米と、みそ汁にカレイの煮つけ、筑前煮、青菜の和え物と香物が添えられていた。
今もまだ律が招き猫を脇に抱えていて、颯真はそのつぶらな瞳が自分を睨みつけ、呪い殺そうと虎視眈々と狙っているような気がして、体を猫の視線から外そうと、じりじりと伊織の方へ近づいた。
それに気づいた伊織が聞いた。「颯真?どうかしたのか?」
招き猫が聞き耳を立てているかもしれないことを考慮して声を潜めた。「猫がこっちを見ている」
律が声を上げて笑った。「招き猫は願いを叶えてもらった人が、喜ばないと祟らないから、まだ願いを叶えてもらってないなら無害だよ。もうちょっと出しておかなきゃならないんだ、こいつがまだ次の招き猫の気配を探せてない、何かにさえぎられているみたいだ」
ずっと律の肩に止まっていた燕が彼の首にすり寄ると、律が頭を撫でてやった。
まるで燕がごめんなさいと言って、律に甘えているように見えて、颯真は微笑ましく思った。
「律さんは何故、妖術使いになったのですか?」
颯真は律から『殿と呼ぶな、むず痒くなる』と言われたので、律さんと呼ぶことにした。
「俺がまだ男娼してた時の話しだ、16歳くらいの頃かな、うちの娼館に妖術使いがやってきて俺にいろんな術を見せくれたんだ、妖術なんてものがあることも知らなかったから、それが新鮮で面白くてすぐに夢中になった。そしたら兄さんが『俺と一緒に来ないか、弟子になれ』って誘ってきた、花街の外に出たことなかった俺は外の世界が見てみたかったし、それも悪くないかなって思って、ついて行くことにした」そこまで言うと、晴翔たちの表情が暗く落ち込んでいることに気づいた。
(花街に居すぎて感覚が鈍くなってたけど、普通の人は男娼と聞いたら同情してしまうものなんだよな、確かに男娼になりたくてなるやつなんていないからな、何かの事情があって、娼館に売られてくる奴らばかりだ)
「すみません、聞いてはいけないことを、聞いてしまいました」颯真は悄然とした。
「気にすることないよ、確かに俺も8歳くらいの時に娼館に売られたけど、もともと孤児で路上生活してたんだ。娼館では毎日飯も食えて風呂にも入れて着る物もあった、路上で野垂れ死んでいたかもしれないと思えば拾われた命だ。
屈託なく笑う律を見て、悄然としていた颯真は少し気分が上向いた。
伊織は、律の師匠は今どうしているのだろうかと思ったが、娼館にやってきて、男娼の少年を弟子にした男のことは、聞いてはいけないことのような気がして口をつぐんでいたので、晴翔の言葉に意表を突かれた。
「君の師匠は、今どうしているんだ?」
律は一瞬何のことか分からないといった顔をしたがすぐに理解した。
「兄さんか、死んじゃったよ」律がにっこりと笑った。まるで気にしていないかのように
「そうか、気の毒なことをしたな」
晴翔は娼館にやってきた妖術使いの男が、少年の律を言いくるめて男妾にしたのではないかと思うと、腹が立った。
悲しそうに微笑む律を見て、また落ち着かない気分になった。
食事を終えると、宿の階段を上り2階の廊下を部屋に向かって歩いた。
「俺は大佐と同室が良かったんだけどな、そしたら沢山いたずらできるだろう?」律は晴翔の手を握って上目遣いに言うと、晴翔の頬に軽く唇を触れさせた。
唖然としている晴翔を廊下に残して、笑い声と共に律は自分の部屋に入っていった。
早くこの気まずい空気から抜け出したくて、伊織と颯真は晴翔に敬礼すると、そそくさと自分の部屋に入っていった。
晴翔だけは動けずにいた。律の行動が衝撃的だったからではない。
律の甘えたしぐさを、可愛いと思ってしまったからだった。
夜も更けてきて皆が眠りについて間もない頃、律は目を覚ました。
燕がしきりに律の顔をつついたからだ。チュピチュピジーと激しく鳴いて身を震わせている。
律は意識を集中させた。律の頭に毒気を帯びた意識が流れ込むと紬が感じている恐怖が何なのか分かった。
律は部屋を飛び出した。
晴翔は部屋の戸をドンドンと叩く音で目を覚ました。真夜中近くに訪ねて来た不審者を警戒して抜き身の剣を手に持ち戸を開けた。
するとそこには、いつも以上に着崩れてしまっている律が立っていた。律の露わになった滑らかな肌を見て、晴翔の鼓動は跳ね上がり視線を逸らした。
晴翔が視線を逸らした理由に気づいた律は、浴衣の前を適当にかき集めた。
「ごめん大佐、起こしてしまって、だけど嫌な殺気を感じるんだ。近づいてきているようだから警戒したほうがよさそうだ」
夜中に訪ねて来た律の目的を勘違いしていた晴翔は、冷静になり伊織と颯真を起こしに行った。
伊織の部屋を律が叩き、隣室の颯真の部屋を晴翔が叩くと、抜き身の剣を持った2人がほぼ同時に戸を開けた。
伊織は律の顔、晴翔の顔を順番に見て、ただ事ではないと悟った。
「何があったんですか?」
律が答えた。「まだ何も起きてないよ。今から起きようとしている、俺たちが標的なのか、他の何かが標的なのかは分からないけど、殺意を持った何者か
――複数だな、こっちに向かっている」
晴翔が言った。「ここにいては他の宿泊客に危害が及ぶかもしれない、一旦宿を離れよう」
晴翔、律、伊織、颯真の4人は浴衣姿のまま宿の外へ出た。
夕方から降り始めた雨は上がっていて、ひんやりとした夜気が彼らの体を包んだ。
晴翔が伊織と颯真に命令した。「律を守れ」
「だから俺はそんなにひ弱じゃないってば!自分の身は自分で守れるよ!」律は口を尖らせて抗議した。
「君は武器を持ってないじゃないか!」
「妖術使いだよ、俺自体が武器なの!」
「妖術が効かなかったらどうする!」
「俺の妖術が効かないわけないだろ巨大コウモリを倒したんだからな!」
「それは妖だったからだろう、人間を相手に戦ったことがあるのか?」
「無いけど……」もう!わからずや!と怒り出したかった。
伊織が言い争う晴翔と律を宥めた。「大佐も律さんもそのくらいにして、集中して下さい」
律の肩に止まってプルプル震えていた燕が、突然飛び上がってチュピチュピジーと甲高い声で激しく鳴き始めた。
「来たよ」律が声を落として言った。
すぐに4人と1匹の前に8人の剣を持った男たちが現れた。
晴翔は口をきつく結んだ。数では圧倒的に不利だ、しかもこちらは律を守りながら戦わなければならない。相手の剣術が劣っていることを祈るしかない。
しばしの間お互いに対峙していたが、隊の隊長らしき人物の口笛とともに男たちが切りかかってきた。
剣のぶつかりあう音が、甲高く夜の闇に響き渡る。
晴翔は勇猛と剣を振り相手の突き出された剣を、次々に薙ぎ払っていく。
伊織と颯真は組んで戦っていた。
日ごろから組んで剣の鍛錬をしているため、2人の息はピッタリ合っている。伊織が切りかかれば颯真が守りに入り、颯真が切りかかれば伊織が守りに入る、まさに阿吽の呼吸だ。敵はまるで4本の手と戦っているようだった。
しかし、いくらこの3人の剣術が優れていても数で劣っている分、両者の力は互角といったところだろう。
晴翔が隙をつき男の腹を剣で貫いた、剣を素早く男の体から抜き出すと、男は前方にばったりと倒れた。
その時隣にいた律が居なくなっていることに晴翔は気づいた。
戦いながら律の姿を捉えようとするが一向に見つけられない、焦りと怖れを感じていると稲光が辺り一面を煌々と照らした。
晴翔はそちらに視線をちらりと向けた。刀を肩に担いでいる律が目に入った。
彼はいつの間にか敵の間をすり抜けて背後に立っていた。
「ねぇ、俺とも遊ばない?」
2人の刺客が律に向かっていく。
晴翔の心臓が早鐘を打った。
(律は何をやっているんだ2人も相手にできるはずがないじゃないか、なんとかして助けに行かなければ)
どうやって律の所へ行くか、晴翔は急いで頭を働かせた。
2人の男が同時に剣を律めがけて突き出してきた。
律は身を翻して剣先を避けると、次の瞬間刀を振りかざし一振りで男の喉を切った。
一面に血のしぶきが上がる、瞬時に刀を翻し、剣を持つ手を切り落とした。
2人の男はあっという間に倒された。
晴翔たちと戦っていた敵たちもそれに気づき、律に向かっていく。
律は刀を構えた。2人の男が怒声を上げながら向かってくると、だしぬけに姿勢を低くした。男たちは突然律が視界から離れたことに戸惑っていると、しくじったと感じる暇を与えず律は、2人の足を刀で一気に薙ぎ払った。
男たちは足から血を流しその場にがっくりとくずおれた。
刺客は怖じ気づいているのか律から少し距離をとり、剣を構えて足元を警戒している。
それを見てニヤリと笑った律は、敵に向かって駆け出すと地面を蹴り飛び上がった。男の頭上でくるりと1回転したかと思ったら、男の頭が地面に転がった。
律は空中で男の首をはねたのだ。その素早さに敵は手も足も出せないどころか、切られたことに気がついてもいなかったのではないだろうか。
狂ったように律に突進してきた男を、ピョンと飛んでかわすと腹を切り裂いた。
律の戦う姿はまるでひらひらと華麗に舞っている踊り子のようだった。
晴翔は月明かりに照らされた彼から、目が離せなくなっていた。
律は顔色一つ変えずに、微笑みのようなものを浮かべていたが、何故かその顔は凶悪で晴翔の肌が粟だった。
刀を振る素早さは人間業と思えないほどの異彩を放っていた。
いつの間にか晴翔たちの周りに敵はいなくなり、律が残った1人を倒すところだった。
その時、律に薙ぎ払われた刺客の剣が折れて燕のところに飛んできた。伊織は慌てて剣を振るって阻止した。
律に視線を戻すと、律が最後の1人を切り殺した後だった。
あっという間に、7人の刺客を倒してしまった律に、伊織と颯真は驚き入って呆然と立ちつくしていた。
晴翔が律に近づいて行った。怪我を負っていないことを確認すると、力が抜けた。
「確かに君は強い、認めるよ。素晴らしい刀裁きだった、いったいどこに刀を隠し持っていたんだ?」
律からゾッとする微笑みが消え、いつもの儚げな美青年に戻っていた。
律はお辞儀をしておどけて見せた。「お褒め頂きありがとうございます。だから言っただろう、俺は自分の身は自分で守れるってね、刀は邪魔だから木箱の中に放り込んでいたんだ」刀についた血を払い落すと、腰に差した鞘に刀を納めた。
律は
「呪符だ、これが異物の気配を隠していたんだ、異物を隠したかったってことは、異物を仕掛けた奴の仕業と考えていいだろう、俺たちが回収するのを阻止したいだろうから、これからも他の刺客を送ってくると思う」
律の手の中で呪符がぼっと燃え上がった。
すると燕が頭上をくるくると2周旋回して律の肩に止まった。
「3体目の招き猫を、探し当てたようだ」
伊織は黒岡から応援に向かってきている部下が心配だった。「悠成たちは大丈夫でしょうか?」
「そうだな、だが連絡の取りようがない、松平家の屋敷で待つこともできるが、それだと刺客に見つけてくれと言っているようなものだろう、黒岡へ引き返すしかなさそうだ、そうすれば道中で、悠成たちと合流できるだろう」
晴翔の肩に律が手を置いた。
「心配なのは分かるけど刺客たちの目的は招き猫だから、それを持っていない彼らに用はないだろうと思うよ、でも念のため彼らを守ってくれる奴を遣わすよ」木箱から1匹の蝶が、ひらひらと舞いながら飛び出して来た。「彼らと同じ軍服を着た人間が4人こっちに向かっている、危険があれば助けてやってくれ」
律の目の前を飛んでいた蝶が、ひらひらと晴翔たちの周りを舞うと離れて行った。
「これで大丈夫、あいつは結構強いんだ、人間はひとたまりもなくやっつけちゃうから安心して」
律たちは宿に戻った。
晴翔が律に言った。「律、ありがとう、ならば我々は姿を隠そう、それにしても何故刺客は私たちがここにいると分かったのだろうか?」
「招き猫の気配を追ってきたんだと思うよ」律が部屋に置いていた招き猫を木箱に放り込んだ。「これで俺たちの居場所は突き止められない、宿を変えよう」
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