第6話込田

込田こむた〉までの道中ずっと晴翔は、律に感謝の言葉を述べ続けた。


「兄の左手を治してくれてありがとう」と改めて深々頭を下げた。


長い間兄貴の腕を心配して心を砕いていたのだろう、それほど兄弟仲がいいのだなと律は思った。

律には兄弟がいなかったので、羨ましく感じた。

その時かつて師弟の関係にあった人物のことを思い出し、あいつは今どうしているだろうかと、思いを馳せた。


律にある考えが浮かんだ。

あいつになら招き猫の封印が解けるはずだ、それにあいつが仕組んだことだとしても俺は驚かないなぎという男はそういう奴だ。だけどそんな偶然はないだろう、知り合いが仕掛けた罠を偶然自分が探すことになるなんて、まさかそんなはずはないと思いなおし、今の閃きは脇へ押しやることにした。


〈込田〉は田畑が広がる土地で、農業が盛んだ。


松平まつだいらの周囲にも田畑が広がっていて、身を隠すことができ無かったので、伊織と颯真は少し離れたところにある雑木林の中に隠れて、屋敷の様子を伺っていた。


晴翔と律は合流して、伊織の報告を聞いた。

「当主は松平まつだいら文章ふみあきという男で、斡旋業者――雇用主と労働者の仲介を家業にしているようです。最近松平家が所有する土地から、温泉が湧き出たらしいという噂を耳にしました。それから桝谷家と同じように、使用人数名に不幸が続いているようです」


それを聞いて律が言った。「招き猫が祟りを起こし始めたんだろう、異象が起きる前に急いで回収したほうがよさそうだ」


晴翔は松平家の門番に近づいて行った。「黒岡軍大佐柳澤晴翔です、松平文章殿に面会したい」


門番は目の前の人物が、黒岡軍大佐と名乗ったあたりで、気絶しそうになった。軍人に会ったのはこれが初めてではなかったが、大佐という階級に驚いたのだ。

失礼があってはいけないと思い、言葉を慎重に選んだ結果、ぎこちない話し方になってしまった。「大佐殿、本日は遠いところをお越しくださいまして……感謝申し上げます……当主を呼んで参りますので、少々お待ちください……客間にご案内いたします」


客間に通されると晴翔と律は並んで座ったが、伊織と颯真は後ろに下がって座った。


すぐに使用人と思しき女が盆に茶をのせて入ってきた。

女は視線を伏せて、カタカタと震える手で茶を座卓に並べると、逃げるようにして出ていった。


「大佐ってすごいな、その怖い顔だけで人を震え上がらせることができるんだね」お茶をすすりながら律が晴翔をしげしげと見た。


「俺じゃない軍服のせいだ」晴翔は不服そうに答えた。


「違うよきっと、大佐が鬼瓦みたいな怖い顔しているからだと思うよ」律が晴翔の眉間に寄ったしわを指で押すと、伊織と颯真が思わず吹き出した。

晴翔に睨まれた2人は笑いをかみ殺した。


伊織が腕を組んで考えながら言った。「ここに招き猫があるということはこの松平家の当主――または他の誰かが恨みを買ったということでしょうか、きっと偶然ここにあるわけじゃないですよね」


律が答えた。「偶然巡り巡ってここに辿り着いた可能性も無くはないけど、もしそうだとしたら、ここに辿り着くまでに、招き猫は各地で異象を存分に発揮しているだろうから、噂が耳に入っていると思うよ」


晴翔が言った。「全くそのような話は聞いたことがない、今回のことがあるまで、黒岡軍が管轄する土地に、凶悪な異物が封印されていたことすら知らなかった」


颯真が律に訊いた。「以前律殿が話してくれたナマズも、黒岡が管轄する土地に封印されているんですよね、他にも異物が封印されていたりするのですか?」


「そうだな、長い年月の間に沢山の異物が封印されて来たけど、ある程度時間が経った異物はほとんど力を失って無害になるか、とり憑いた怨霊を浄化することができれば、成仏させてやれるから、この黒岡にあって害のある異物はここ100年くらいの間に封印されてきたものばかりだ、全て寺に安全に保管されてるから心配はいらない」


何か直感的に感じ取った晴翔は、心配いらないと言った律の言葉を訝しんだ。「その中で一番凶悪なのは招き猫だよな?これ以上のやつは無いよな?俺が知っておかなきゃならないことはあるか?」


律は少し沈黙して、晴翔の射貫くような視線から目を逸らした。「どうかな、招き猫は凶悪だけど一番とは言えないかも……今度案内するよ。南端の地に封印したコウモリの妖で、普段は人間の姿をしているんだけどひとたびコウモリに変化へんげするとかなり巨大で――〈黒岡〉が丸ごと包まれるくらい――人間の生き血を吸うのが好きでね、特に胎児の血が好物なんだ」


晴翔と伊織と颯真は生きたまま血を吸われるところを想像して、身の毛がよだった。


「何でそんなものがいるのに軍に情報が入ってこないんだ」晴翔は信じられなかった。


「ごめん、俺がこっそり退治して封印しちゃったから、それに小さな村が1つ消滅しちゃったけど、そのあと偶然水害が起きて村を土砂が襲ったせいで、村人は水害で死亡したと思われて噂にもならなかったんだよ」


「君がその凶悪なコウモリと戦ったのか?この細腕で?」ひょろりとした律のいったいどこにそんな力があったのだろうかと晴翔は目をしばたたいた。


「だから俺は結構強いんだってば」


「そうか妖術に腕力は必要ないから退治できたのか」


「腕力だってそれなりにあるぞ!コウモリに勝ったんだから、この辺りで一番凶悪なのは俺だって言えなくもないな」律は得意満面だった。


「はいはい、そういうことにしといてやる」


伊織と颯真は後ろで声を出さずに笑っていた。


律は晴翔に食ってかかった。「何だよそれ、嘘だと思ってるんだろう、見てろよ!俺の本当の実力を見たら腰を抜かしちゃうんだからな」


「それにしても、松平は遅いな」

なかなか現れない松平に苛立ちを隠せなくなってきた晴翔が、眉間の皺を深くして待ちあぐねいていると、ようやく引き戸が開いて松平が入ってきた。


動揺しているようで敷居につまずいて、危うく顔面を座卓にぶつけそうになった。

「大変失礼いたしました。少々手の離せない用件がありまして、遅くなりました。本日はわざわざ足をお運びいただきまして痛み入ります。呼びつけて頂いたら、こちらからお伺いしましたのに、それで本日はどういったご用件でしょうか?」


剣を腰に佩いた軍人と、燕を肩に乗せたおかしな色の髪をした、男なのか女なのか分からない怪しげな人間が、自分に視線を投げかけてくれば誰だって焦るだろう。


この松平文章という60歳手前の小太りな男は、額から汗が拭き出し笑顔を引きつらせていた。


晴翔が聞いた。「松平殿、急なことで申し訳ございません。我々はある異物を探しています。非常に危険な異物で、早急に回収をしなければ人に害を及ぼすため、失礼を承知で参りました。

お屋敷にある招き猫を見せて頂けませんか?」


「招き猫ですか?ですが家にある招き猫は、どれも異常ありませんよ」

招き猫を見せて欲しいだなんて揶揄われているのだろうかと松平は思ったが、晴翔があまりに真剣な顔をしているので、少し怖くなった。


律が口を挟んだ。「招き猫って聞くとちょっと笑っちゃうよな、おどろおどろしさが足りないんだもん、だから俺もなんで招き猫なんかにとり憑いちゃったのか不思議なんだけどさ、そのとり憑いた霊っていうのが酷く凶悪な奴で、人間のはらわたをむしゃむしゃ食べちゃうんだって、呪われた奴は自分の腹を裂いてはらわたを取り出すと、それを引きちぎって差しだしちゃうらしいよ、怖ろしいよね。最近〈北洲〉の桝谷家が襲われたって聞いたから行って見てきたんだ、一面血の海だったぞ。気の毒にな、丑三つ時になると、屋敷の中から今も悲鳴が聞こえてくるらしい、よほど恐ろしかったんだろう、知らなかったのか?今はどこもその話題で持ちきりだぞ」


大げさに話す律を、晴翔は顔色を変えず黙って聞いていた。


遺体からはらわたが抜かれていた事実はないが、ここへ来るまでに立ち寄った蕎麦屋で晴翔と律は似たような話を耳にした。


噂とは簡単に広まるものだ、特に今回のように奇怪な話となると、尾ひれもより恐怖をあおるものになる、〈北洲〉から遠く離れたこの〈込田〉へも、すでに似たような誇張された噂話しが流れてきていて、晴翔たちがその調査に来たのだと知ると松平は青褪めた。


「急いで家じゅうの招き猫をかき集めろ!」当主の命令に従い使用人たちがバタバタと屋敷を走り回る足音とともに、招き猫が客間に集まり始めた。


律には松平の表情が異物を怖がるだけではなく、憤慨しているように見えた。

招き猫を松平に贈った人間が、何故凶悪な招き猫を贈り自分を殺そうとしたのか、知っているのではないかと思った。


律が10体以上ある――招き猫集団から1つを掴み上げた。

「こいつだ、本当君は厄介な奴だよ」そう言うと招き猫を脇に抱えた。


「松平殿はこの招き猫を、どなたから頂いたのですか?」晴翔も先ほどの松平の表情に気づいていた。


「私はその招き猫に覚えがありません。私共は斡旋業を営んでおりまして、この家は人の出入りが多いのです、なので見覚えのない物が増えているなんてことはよくあることで、この招き猫も誰かが処分に困って置いて行ってしまったのかもしれませんな」


誰が聞いても嘘だと分かる。

人の出入りが多い家なら物を盗まれることはよくあることだろう、だが増えることはそうそう無い、人間とはそういうものだ。盗む人間はいても、与える人間はそうそういないと律は思った。

ましてや、異象を起こすような物を処分に困ったからといって、こっそり他人の家に置いていくやつなんかいるわけがない、寺に持っていけば済む話だからだ。


後ろで聞いていた伊織も、松平が何か隠し事をしているようだと分かった。

「松平殿、これを誰かが故意に置いて行ったと考えると、命を狙われているということになります。心当たりはございませんか」


威ありて猛からずの伊織は、晴翔よりも物腰が柔らかいので、怯える人の交渉に適している。晴翔は口を挟まず、話をするのは伊織に任せようと思い、自分は松平を観察した。


「私は人様の恨みを買った事なんてありませんよ、小心者で他人に意見することすらできないくらいです、一目でお分かりになるでしょう?商いだって世の為人の為と働いていますから感謝はされても、命を狙われるほど恨まれるなんて考えられませんよ」松平は震える手で額の汗をぬぐった。


「もし何か厄介なことに、巻き込まれているのだとしたら、事件が解決するまでの間、黒岡軍が護衛をすることも可能です」内心苛立っていたが、伊織は落ち着いた態度を崩さなかった。


「いえいえ、黒岡軍の護衛だなんて滅相もございません、私ごときにお手を煩わせるようなことは恐れ多いことでございます」松平は視線を引き戸に向け、今すぐにでもあそこから出ていきたいと思っているようだった。


「ささいなことでも構いませんよ、何か心当たりがおありのようにお見受けします。話していただけませんか?力になれると思います」


「何か誤解をしているようですね、私には心当たりなど全くありませんよ」


「事が起きてからでは、守ることができないかもしれません。手遅れになる前に話しておいた方がよいのではありませんか?」


「心配には及びません。もし万が一厄介なことが起きたとしても、多少腕の立つ門番が居りますゆえ、なんの危険もございません」焦った松平はやけに早口になった。


その『厄介なこと』については頑として話さないつもりらしいと分かると、晴翔は律と目を合わせた。


晴翔に視線を投げかけられた律は、招き猫は手に入ったしこれ以上脅したり宥めたりしても時間を無駄に使うだけだ、何かあった時の為に見張りを置いておけばいいだろう、松平が何を隠しているのかは気になるところだが、それも招き猫を追っていけばその内分かることだと考えて、晴翔に頷いてみせた。


晴翔が松平に言った。「それでは松平殿、もし何か思い出しましたら、黒岡軍にお知らせください」


「分かりました。ご心配いただきありがとうございます」やっと解放されると思い松平は急いで立ち上がって引き戸を開くと出口まで見送った。


松平の屋敷を出てから律が言った。「あいつ嘘がとんでもなく下手くそだったな」

「恐らく何らかの理由で桝谷家と松平家を全滅させたかった誰かがいるのでしょう。それが誰なのか、松平は見当がついているようでしたが、言いたくない理由がある——どんな理由なのか気になるところですね」伊織が言った。


颯真は一連の事件がどう繋がるのか見えなかった。「桝谷家は〈北洲〉で呉服屋、松平家は〈込田〉で斡旋業、距離も離れているし家業に繋がりがあるようには思えません」


律が晴翔に訊いた。「大佐は桝谷仁と面識があるけど、松平文章とは面識ないのか?」


「ないと思う。隠し事が何であれ、命を狙われている理由を頑なに言わないのは、軍に知られるとまずいことなのだろう、桝谷仁も松平文章も、軍に隠さなければならないような悪事を自ら考える人物には見えない。2人とも誰かに仕えていると言ったほうがしっくりくるだろう。ほかに首謀者がいるんじゃないだろうか」


伊織は、大勢が惨殺されるほどの悪事とは、いったいどんなことだろうかと考えた。

「招き猫を放った犯人の目的は何でしょうか。復讐がしたいのか、それとも邪魔者を消したいのか」


律が言った。「松平の命が狙われているのなら、このまま放っておくことはできないし、黒幕と接触を図ろうとするかもしれない、黒岡軍から人を出せないかな?聞き込みが上手い兵士がいいな」


晴翔が答えた。「そうだな、伊織、悠成と光輝と慶と奏多はそろそろ〈黒岡〉に戻ってきている頃だろう、帰って来て早々悪いが、松平家の見張りと、松平文章が何を隠しているのか探るように伝えてくれ」


「承知しました」伊織は晴翔の指示を布の電信盤に書き込んだ。

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