第8話

 カタカタと雨戸が鳴った。間隔を空けて強弱を変える雨音は、台風の脈音のようだ。時々、外で何かが転がる高い音がする。忘れた頃にゴウという低音が短く響いた。遠くでは雷が鳴っていた。


 パジャマ姿の美歩ちゃんは両耳を押さえて座っていた。その横で、ジーンズにTシャツ姿で、首にタオルを巻いた陽子さんが、懐中電灯を握り締めたまま電話をしている。


「そう。もし何かあったら言ってね、お隣なんだから遠慮しないで」


 どうやら、萌奈美さんと話しているようだ。


「――うん、さっき電話してみたけど、来訪された方が雨戸とかは閉めてくれたそうよ。高瀬さんも来てくれたって」


 琴平さんの事かな、と注意して聞いていると、陽子さんは「――うん、ありがと。じゃあ、そっちも気をつけてね」と言って電話を切った。


「萌奈美さんチは南北と西が開いているから、風が当たって大変だろう」


 俺が尋ねると、美歩ちゃんも「もなみおねえちゃんは、だいじょうぶ?」と尋ねた。


「うん、信用金庫のお兄さんが雨戸を全部閉めてくれて、外の洗濯機とかも紐で縛ってくれたそうだから、心配は要らないって」


「ことひらさんは?」


「隣の高瀬さんのおじさんが見に行ってくれたみたい。別の人もいて、雨戸とかが閉められていたそうよ」


 美歩ちゃんが安心した顔を見せた時、外で雷が鳴った。間を空けてドカンと地響きがする。美歩ちゃんは耳を押さえてうずくまった。


 テレビの台風情報を見ながら、「このままいけば、台風は上陸しないはずなのに、それでもこれかよ」と俺がボヤいていると、陽子さんは美歩ちゃんを抱き寄せながら「大丈夫、台風さんはあっちに行くみたいだから。もう少しの辛抱よ」と言った。美歩ちゃんは陽子さんの胸に顔を埋めながら「カミナリさんがこわいよ」と言って震えている。陽子さんは優しく「カミナリさんはね、いい子にしていると何もしないのよ。美歩はいい子だから、大丈夫」と言って美歩ちゃんの頭を撫でた。美歩ちゃんは目を瞑って陽子さんに抱きついたままだった。その陽子さんも、片方の手では懐中電灯を握り締めていた。


 俺は一階へと降りた。玄関ドアは揺れていない。耳を澄ますと、外の裏庭の土を雨が叩く音が聞こえたが、その他に異常な音は聞こえない。厨房の方にも耳を澄ましたが、シャッターが揺れているだけで、他に大きな音はしていなかった。大丈夫そうだった。


 俺が階段を上がろうとした時、パリンと高い音が鳴った。明らかに何かが割れた音だった。しかも、それは隣の「モナミ美容室」の方から聞こえた。上にも聞こえたらしく、駆けてきた陽子さんが階段の上からこちらを覗いた。


「外で何か音がしたぞ。モナミ美容室の方からだ」


 俺がそう言うと、陽子さんは階段を駆け下りてきた。サンダルを履いて傘を取り、玄関ドアを押し開ける。台風が逸れたとはいえ、外の風は強かった。陽子さんはドアを支えながら外を覗いた。俺は外に飛び出した。


「桃太郎さん、戻って!」


 陽子さんが声を上げると同時に風がドアを押し戻した。陽子さんは玄関の中に戻され、ドアが激しく閉まった。


 俺は雨と強風の中を走った。赤レンガ小道に出てみると、「モナミ美容室」の上の方で何かがカタカタと音を立てていた。見上げると、軒先から少し前に出たオレンジ色のひさしが割れている。その他の窓ガラスに被害は無いようだった。俺は眉間に皺を寄せ、赤レンガの路面を見回した。赤い煉瓦敷きの上に白く浮き立つ雨の中にオレンジのガラス片は見えなかった。よく見ると、小さな破片は落ちている。俺は雨に打たれながら、もう一度上を向いた。廂の中央の外側の側面が割れていて左右の側面は割れていない。俺が首を傾げていると、「モナミ美容室」の自動ドアがゆっくりと開いた。手動でドアを引き開けた萌奈美さんが顔を出して叫ぶ。


「桃太郎さん、外は危ないわよ、早く中に入って」


 風は依然として強かった。俺はずぶ濡れのまま、モナミ美容室に駆け込んだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る