第11話:回復術

バレンシア王国暦243年4月15日:冒険者ギルド・クリントン支部・ギルドマスターの私室


 ギルドマスターの私室は、死病に取り付かれた者独特の臭気に満ちていた。

 前世で何度も嗅いだことのある臭いだが、何時嗅いでも嫌なモノだ。


 望診で患者の肉付き、骨格、顔色、皮膚の艶などを全体に観察する。

 歩く姿や足の運びなどは確認できないが、肝臓を悪くした時の黄色と腎臓を悪くした時の黒色が混ぜ合わさり、顔の肌を黄黒くしてしまっている。


 鼻の頭に血管が浮き出ているから、もう肝臓が血を受け入れられなのだろう。

 念のために下腹部を確認するが、メデューサの頭が現れている。

 門脈圧亢進症、肝硬変か肝癌か……


 望診を最後までやるのなら、舌診もしておかなければいけない。

 腎不全の影響か、全体的にむくんでいる。

 舌裏も確認したが、黄黒色になっている。


 意識不明だから、直接症状を聞く問診はできない。

 聞診で声から病気を確認する事はできないが、臭いで診断する事はできる。


 肝臓病独特の臭気だけでなく、腎臓病と糖尿病の臭気もある。

 肝臓と腎臓だけでなく、膵臓も病んでいる可能性がある。

 多臓器不全になる病気は何があった?


 切診で直接身体に触れて最終判断だ。

 本当なら身体中を押して痛む場所を確認したいのだが、意識不明だと自分の指の感覚で判断するしかない。


 どの臓器を触っても、固くなっているか気持ちが悪いくらい柔らかくなっている。

 全ての臓器がここまで悪くなっているのは、俺が前世で触れる事のあった患者さんでは、癌が全身転移した末期症状の方だけだ


 最後は切診、脈を確認してみる。

 これは、死脈だ!

 医師に死を宣告された方の脈を何十人も取らせてもらったが、それと同じだ。


「このままでは数日のうちに娘さんは亡くなられる。

 できる限りのことをするが、そのためには娘さんに体力を取り戻してもらう必要がある。

 裏漉しした食べ物を用意してくれ。

 できれば飲みやすいスープも用意してくれ。

 スープが用意できないのなら、最悪牛や豚の血でも構わない」


「そんな無理を言うな!

 もう娘は何も食べられないのだ!

 無理に食べさせたら咽喉を詰まらせて死んでしまう!」


「それは俺の魔力で何とでもなる。

 魔術や魔力で治したくても、もう娘さんに自分の体を治す力がないのだ。

 無理矢理にでも何か食べさせて、それを力にしなければ治せる者も治せない。

 お前が用意できないと言うのなら、俺の持っている魔獣の血を飲ませるぞ!」


「それは止めてくれ、お願いだ、魔獣の血なんか飲ませたら娘が死んでしまう!

 だが、ここにあるのは食堂兼酒場にある物だけだ。

 スープはあるだろうが、裏漉しまではされていないし……」


「そのスープの液体部分だけでいい、具は捨てていい。

 それと……酒精の弱いエールやワイン、シードルをあるだけ持ってこい。

 スープもありったけの材料で作らせろ。

 木の巨人を買い取る金額に比べれば安い物だ」


「分かった、直ぐに持ってこさせる」


 待つほどの間もなく息を切らせてマスターが戻ってきた。

 その両手にはシードルの入った木樽が抱えられていた。

 俺が口移しに飲ませたらマスターが騒いでうるさいだろう。


「サクラ、娘さんにシードルを飲ませてやってくれ。

 肺に入らないように気をつけてな」


 サクラが俺の指示通りシードルを娘の胃に送ってくれた。

 自分の身体を俺の指示通り医療用挿管チューブのように変化させ、気道と食道を確保してくれた。


 多臓器不全の娘に何を食べさせても消化吸収する事などできない。

 どうしても先に確認しなければいけない事があるから飲ませたのだ。


 何故このような状態になったのか血液を調べなければいけない。

 だが今の娘さんから血を抜くのはとても危険だ。

 最低でも生理食塩液の点滴、できればブドウ糖を加えた点滴をしたい。


 しかし、娘可愛さに常軌を逸しているマスターの見えるところで、サクラに点滴をさせるのは揉め事につながる。


 俺やサクラは負ける事など絶対にないが、わずかな時間の浪費が娘さんの死につながってしまうかもしれないのだ。


 だからマスターには、娘さんに食事をさせる為にサクラが口と鼻に細い管を通しただけのように見せかけて、点滴と血液採取をさせたのだ。


「サクラ、娘さんの血を調べてくれ。

 もしかしたら何か毒が残っているのではないか?」


 俺に色々仕込まれているサクラに不可能な事などない。

 直ぐに調べて教えてくれた。


「そうか、この子は毒を盛られて死にかけているのか。

 マスター、誰かに恨まれているのか?

 この子は誰かに毒を飲まされてこのような姿になったのだぞ」


「ウォオオオオオ!

 クリントンだ、クリントンのクソ野郎どもだ!

 俺がこの街を良くしようとしたのが邪魔だったのだ!

 ソフィアの病に効く薬をくれると言うから、今日まで我慢していたのだ!」


「病気に効く薬と言うのは嘘だな。

 何の毒かまでは分からないが、最近まで飲まされていた感じがするから、マスターも知らない毒薬だったのだろう」


「ウォオオオオオ!」


 自らの手で愛娘に毒を飲ませていたと知ったマスターは慟哭していた。

 同情する気持ちはあるが、慰める前に娘さんを治した方が良い。


「ウォオオオオオ!」


 回復魔術で臓器を治したいが、娘さんの身体にはそのための材料がない。

 点滴でカロリーは補えるが、タンパク質やカルシュウムまでは無理だ。

 荒療治だが他に方法がないな。


「ウォオオオオオ!」


「マスター、泣きわめいている時間などないぞ!

 娘さんの内臓を治さないと食べた物を身につける事ができない。

 だが内臓を治すための材料すらない。

 残された僅かな手足の肉を内臓の再生に使う。

 内臓が正常になって、食べた物を身につけられるようになったら、それを材料に失われた手足の肉を再生する。 

 見た目は一時的に恐ろしい姿になるが、今日中に完治させると誓う。

 だから我慢して見ていろ、いいな」


「ウォオオオオオ!

 殺す、殺してやる、クリントン一族は皆殺しにしてやる!

 グッ!」


「治療に集中したいからしばらく黙っていてくれ。

 俺にとってもこんなギリギリの治療は初めてなんだ」

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