第16話 名乗らぬサンタクロース

「それでオレにその森村夫人との仲立ちをしろと、そういうことか」


「俺には猪熊さんしか頼れる人がいない。迷惑はかけません。実際に迷惑がかかったときにはやめてもらって構いませんから、お願いします」


「自分でやればいい。いったい何が障害なんだ?」


「借金のカタがこれでつけばよかった。あとは受領書と借入契約書を彼女の家のポストに入れればそれで済んだはずなんです。でもまだ他に闇金からの借金があった。それがどこなのかを聞かないと返金しようがない」


 健吾は苦々しい顔で両手を膝の上で握りしめた。

 庭では施設の幼い子供たちが嬌声をあげて駆け回っている。ここは児童養護施設内の食堂にある談話スペースだ。健吾は中学生の時から付き合いを続けているNPO法人ブリッジの猪熊忠男と向かい合っていた。


「彼女は俺のことを覚えているかもしれない。知っている男から訳もなく借金の肩代わりをしてやるなんて言われたら気味悪がられるじゃないですか」


「突然オレみたいな知らないおじさんが現れたらもっと気味悪がられると思うがな。しかも肩代わりしてくれる人の名も明かさないとなればなおさらだ。大人になればサンタクロースが実在しないことは知ってるし、あしながおじさんでさえ援助には条件がついている。無条件で借金を肩代わりしてくれるなんてウラに何かあると考えるのが普通だ。よっぽどの信頼がなければ無理だろ」


「でも事実、借金を返済して受領書も契約書も無条件で渡すんだから…」


「お前は純粋にそうしてるからそう思うだろうが、その彼女がどう思うかはわからんだろう? 後々なんかのからくりがあって脅されるかもしれないと怯えるに決まってる。やっぱりお前が身を明かすしかないないだろうが。白馬にまたがった王子様を気取るのがイヤってことか?」


「そんなんじゃない。俺は良いことをしたとか助けたとか思ってない。俺がそうしたいと思って勝手にしただけなんだ。俺はただ彼女が幸せであって欲しいと思ってるだけで。…もし彼女に俺なんだと名乗れば、彼女は俺に負い目を感じることになるかもしれない。彼女にはそんなことを感じ続けながら生きていって欲しくないんだ」


 森村美穂(健吾は佐藤美穂と呼ぶが)に対するこの感情が、猪熊にはある種異常な愛情にも感じられた。肩代わりするといってもその金額も尋常じゃない。一千万円を超える。しかし猪熊はそれを口には出さなかった。健吾が狂っているようには見えなかったし、全くの理解不能ということでもなかったからだ。


「もし森村夫人との接触を避けるなら旦那を捜し出すしかないが、借金取りが捜しても見つからないのをオレたちが見つけられるとも思えないしなぁ…。やっぱり夫人に会うしかないか…。しかしなぁ…」


 猪熊が眉根を寄せ、頬と繋がったあご髭を右手でゴシゴシとしごいた。思い悩むも思考は堂々巡りだ。


「…リンダに話してもらえたら、もしかして…」


「ん? なに、なんて言った?」


 佐藤美穂と付き合いのある林田かおりが口添えしてくれたら、佐藤美穂も信用をしてくれるのではないか。健吾はそう思った。というよりそれしか方法が考えられなかった。

 それには林田に森村の借金の件を話さなければならない。佐藤美穂にしてみれば他人、ましてや友達には知られたくない話しであろう。

 しかしぐずぐずはしていられない。こうしている間にも法外な利子が増え続け、佐藤美穂の身にも危険が迫っているのだ。感情的な問題は借金を無くした後に考えればいい。まずは闇金との関係を断つことが先決なのだ。


「今日は帰ります。…また相談をしに来てもいいですか?」


「ああ、もちろん。ひとりでどうにかしようと思うな。必ず相談に来いよ」


「ありがとうございます」


 そう言って立ち上がった健吾の大きな背中を、猪熊がバシンとひとつ大袈裟に叩いた。


(つづく)

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