第11話 新しい生活
予想はしていたがプロ野球の世界は甘くなかった。闘志も明確な目標も目的も持ち合わせていなかった健吾に、プロで勝ち抜く可能性は隙間もなかった。
そこにいるのは自分の将来に夢を語れる才能ある若者たちばかりだ。そんな中で間断なく努力し、チャンスをものにし、勝ち抜いて一軍の切符を手にする者は、さらにレギュラーを掴む者はほんのひと握り、いやほんのひと摘まみに過ぎない。現実から離れたいという思いで野球を続けてきた健吾には、ここまでが限界かと思われた。才能だけで生き抜けるような世界ではない。
健吾も懸命に努力はした。一切遊ぶこともなく常に練習に励み、チームメイトから練習の鬼と揶揄されるほどに生活を野球一色に染めていた。
しかし結果が出なかった。根底に夢や目標の核を持つ者の迫力に
結果が出ない健吾にコーチ陣から様々なアドバイスが飛んだ。しかし複数のコーチからアドバイスを受けるとそのアドバイス自体に矛盾が生じる。自分が良しと思ったものだけを取り入れれば良いのだが、野球の中に自分を持たない健吾にはそれができなかった。全てのアドバイスに従順に耳を傾けた結果、矛盾に混乱し状態はさらに悪くなった。
そうして四年が過ぎた11月。健吾は戦力外通告を受けた。つまり
健吾は野球に見切りをつけた。他の球団に行ける可能性が皆無というわけではないが、技術はもとより気力に劣る部分はどうしようもなかった。万々が一、他球団に移籍できたとしても結果は同じだと健吾は思った。
夢や目標を持たなくても出来る仕事。一生懸命作業をすれば続けられる仕事。健吾はひとりで仕事探しを始めた。
母親には連絡をしなかった。もし気にしているのなら新聞の戦力外通告の記事を見て気づくはずだ。しかしおそらく気にはしていない。
そして、母親から電話はかかってこなかった。
配送配達員の求人が多かった。健吾は運転免許を取り求人に片端から応募した。免許取りたてなので即戦力ではない。断られ続けたがようやく一社に採用された。見習い運転手からのスタートで給料は安かった。
しかし健吾は満足していた。ほとんど接客はないし運転手に昇格すれば一人で作業ができる。住む家もあるし欲しいものがある訳でもない。ひとりで生活できればそれでいいのだ。給料が安いのは気にならなかった。
健吾は二十二歳の春を迎えていた。大学に進学した人たちも就職する年であった。
――佐藤美穂はどうしたろう。希望の就職ができたのだろうか?
健吾はそう思うと居ても立ってもいられなくなってしまった。健吾には聞ける人が
少しの躊躇いの後、健吾は林田かおりに電話をかけた。
「あぁ、野崎君、久しぶり、元気? 野球はやめちゃったの?」
いきなりの質問に健吾は苦笑した。しかし遠回しに気を遣われるよりはいい。
「限界だった。今は配送運転手の見習いをしてる。なんでやめたの知ってる?」
「言っちゃ悪いんだけど、毎年戦力外通告の記事を確認してた。一軍に上がってこないし二軍で活躍したってニュースも全然聞こえてこないし」
「全然活躍してないからな」
「でもプロ野球選手はプロ野球選手だよ。野崎君はすごい。気を落とさないでね」
「ありがとう。それは大丈夫。仕事も見つかったし」
「そう。ならよかった。で、どうしたの?
「えっ? いや、なんで?」
「サトミのこと以外で野崎君から話しかけられたことないし」
「そ、そんなこと」
「ある。ま、そんなのはいいから、サトミの何が知りたいの? あたしもそんなに詳しくないよ。たまにしか連絡とってないし」
「あ、え、あの、みんな今年から就職だろ。どうしたかと思って」
「みんな? えーと、あたしはね、銀行に就職した。丸の内で見かけたら声かけてね、ってそんなの知りたいわけじゃないんでしょ、サトミでしょ?」
「い、いや、就職おめでとう。丸の内で銀行なんてすごいね。俺には想像すらできない職業だよ」
「あら、ありがとう。思ってたより気持ちが込もってるみたいで嬉しいわ。で、サトミね。彼女は大きな法律事務所に就職した。弁護士ではないけどね。弁護士になったのは彼氏、森村君。森村君は別の弁護士事務所に入ったみたい」
「希望どおりの就職だったのか」
「そうみたいよ。それに森村君とも近々結婚するらしいし、幸せそうだわ」
「もう結婚?!」
「まぁ、婚約状態ってとこかな。結婚がいつかはまだ決めてないみたいね。…あの、野崎君さ、サトミが好きなんだよね。でももう諦めないと、だよ。早く切り替えた方がいいよ」
「え?」
――諦める? 確かに佐藤美穂は好きだが、俺は彼女に何も望んではいない。
佐藤美穂が幸せならそれでいい。健吾はそう思うだけだ。それは変な考えなのだろうか?
「あ、あぁ、そうだな。切り替えないと、な」
(つづく)
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