第10話 幸せの感じ方
球団との契約後、健吾は慌ただしい日々を送った。
メディカルチェック、都内のホテルでの入団挨拶と記者会見、正月明けの六日には球団の寮へ入寮、入寮してすぐに新人合同自主トレーニング、二月からはチームの春季キャンプ、そしてオープン戦。ゆっくりと学校に行くヒマもない。
この間に健吾の母親は都内のアパートに引っ越して行った。良い物件を見つけたので卒業式までは待っていられなかったらしい。卒業式はいつかと聞かれたが、健吾は無理して来ることはないと教えなかった。母親も強いてそれ以上は聞いてこなかった。
健吾は寮から卒業式に行った。卒業式にはもう出席しなくてもいいかとも思ったが、佐藤美穂の進路が気がかりだった。それが知りたいがために卒業式へ行くことを決めたようなものだ。
およそ500人の卒業生でごった返す講堂入口で、健吾はマネージャーの
クラスごとに集まっているとすれば林田かおりもこの辺りにいるだろう。佐藤美穂に気付かれる前に探し出さなければ。健吾は佐藤美穂を迂回するように辺りを探し、果たして彼女を見つけた。
「リンダ、…リンダ」
健吾は囁くような声で林田かおりに声を掛けた。5m先には佐藤美穂の背中が見える。林田かおりが振り向いた。
「おぉ、プロ野球選手」
健吾は黙ったまま手招きをした。
「ん? なに。いまキャンプ中なんでしょ。卒業式には出れるんだ?!」
健吾はこくこくと頷いた。
「だけど長くは居れないんだ。式が終わったら帰らなきゃ。…あの、リンダは進学するんだよな?」
「そう、ギリギリ〇△大に受かった。危なかったよ、親には浪人は許さないとか言われてたからさ。共通テストで」
「でさ、佐藤さんは合格したのかな?」
「あぁ、うん、
「えっ、いや、時間ないから急いで訊いちゃって、ごめん」
「まぁいいよ、許す。こういうの下手だね、野崎君は。でも上手かったら逆に引くけどね」
「あ、ありがとう。あ、あの、元気でな、もう会えないと思うけど」
「そんなこたぁない。試合、観に行くよ」
「え?! あ、あぁ。ありがとう。じゃあ」
「がんばってね、応援してるよ」
――そうか。試合に出られれば、観に来てくれる人もいるってことか。
健吾はそんなことを何も考えていなかった自分に気付き、驚いた。しかし、
――そんなことより、
彼女が志望校に合格していてよかったと健吾は思った。安堵と言うか幸せと言うか、健吾は自然とひとりで笑顔になっていた。
求めてはいけない。求められることを期待するのもダメだ。
自己完結させるのが一番いい。
佐藤美穂の幸せに、なぜか自分も自然と幸せを感じていることに健吾は気付いた。
負け惜しみでも無理をしているのでもない。
健吾は不思議だが充足感を確かに感じているのだった。
(つづく)
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