3
そんなに俺と寝たいならとっととしましょ、と、蝉は軽く言って、押し入れの中から布団を引っ張り出すと、無造作に床を延べた。
まだ高い日が窓から燦々と降り注いでいる。そのあまりの明るさに躊躇う悟を置きざりに、蝉は平気な顔で布団に潜り込んだ。
悟はたっぷり数分悩んだ後、蝉の隣におずおずと身を横たえた。
「瀬戸さんに買われるのは嫌か。」
問いというには強すぎる確信を持って、蝉が言った。
悟は首を縦に振った。
「瀬戸さんじゃなくても、誰でも嫌です。」
素直すぎる悟の返事に、蝉は思わずといった様子で吹き出した。
「そうか。誰でも嫌か。」
「はい。」
そうかそうか、と繰り返しなら、蝉は悟の肩を抱いた。
それはそこにわずかばかりの恋情も期待させないほど、さらりとした動作だった。
「だったらここにずっといるか?」
からかうような調子だった。それでも悟はすがるように頷いた。
馬鹿だなぁ、と、蝉が大きな目を細めた。
「瀬戸さんところにいたほうが、ここにいるより何倍も幸せだ。分かるだろ? 性病にかかる心配もないし、嫌な客を取る必要もない。それでも三度の飯は食えるし、贅沢な暮らしができる。そうだろ?」
悟はまたこくりと頷いた。
分かっている。そんなことは分かっていて、それでも瀬戸の家に蝉はいない。それだけが悟の全てだった。
悟はその思いをそのまま蝉に告げた。
蝉は短いため息の後、呆れ返ったと言いたげに少し笑った。
「お前はなにか勘違いしているよ。俺なんかにそこまでの価値なんかないんだ。」
価値? そんな話はしていない。ただ、蝉がそこにいないならば悟にとってはそこはいるべき場所ではないと、それだけの話だ。
それだけのことがうまく言葉にできなくて、悟は蝉の大きな目をじっと見つめた。
蝉は悟の目をちらりと見返すと、薄いため息を付いた。
呆れられている。
その事実は悟にとって少し怖くて、かなり不安だった。
もう蝉と顔を合わせるのは明日が最後だから、言いたいことは全部行ってしまえばいい。呆れられても馬鹿だと思われても構わない。そう思っているのに、恐怖も不安も少しも薄くはならなかった。
「ここには俺しか男がいない。それで勘違いをするんだろう。」
蝉はそう言ったが、それが大きな間違いであることを悟ははっきりと知っていた。だって、悟はこれまで一度も男に惚れたことなんてない。
「勘違いじゃありません。」
頭の中がまとまらなくて、口にできたのはその一言だけだった。本当だったらもっと言葉を駆使して蝉に気持ちを伝えたいのに、それには悟は口下手すぎた。
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