2
黙って目を白黒させている悟を、ド派手な男は焦れる様子もなく平然と見返してきた。
そして不意に屈みこんで手を伸ばすと、血に染まった悟の靴下に触れた。
痛みはなかった。指の感触はふわりとやわらかかった。
「逃げてきたんだね、あんたも。」
ぽつりと男が言った。悟は言葉をなくした。
胸に太い棒かなにかを突き刺されたような気がした。突き刺さった棒の端が男の手の中にあるから、悟はもうこの男の意のままにしか動けない。そんな一言だった。
「手当をしてやるよ。身寄りはどうせないんだろ。店に置いてやってもいい。」
店。この派手な男が示す店というものが、売春宿だとは悟にも分かっていた。それでも、胸には棒が突き刺さっているのだ。悟は男について立ち上がる。
両足の傷が痛くて上手く歩けない悟を振り返ると、男は黙って肩を貸してくれた。
温かかった。人の体温がした。
分かっている。この男は道端に座り込んでいた孤児を拾って店で働かせ、金儲けをするつもりなのだ。
分かっているのに、体温に負けた。
胸にすり寄る悟を見て、男は首を傾げた。
「あんた、男色かい?」
ちがう、と、悟は首を横に振る。
今はただ、体温に負けただけ。胸に突き刺された棒が抜けないだけ。
へぇ、とだけ男は言った。それ以上なにも悟には問わず。
男が悟を連れて帰ったのは、観音通りにいちばんよくあるタイプの建物だった。つまり、小さい部屋が無数に連なる平屋の長屋。 その部屋の一つ一つに娼婦が割り当てられていることくらい、悟にも予想はついた。
長屋の前には、幾人もの女たちが鈴なりになって客を引いていた。
「蝉。お帰り。」
女たちが口々に言う。
こんな季節に蝉か、と、悟は一瞬驚いたが、すぐにそれがこの男の名なのだと気が付く。どうせ本名ではないのだろうが。
蝉は女たちに片手を上げて応じた後、悟を長屋の一番手前の部屋に導き入れた。そこは蝉の居室らしく、衣紋かけには色とりどりの派手な着物がぶら下がっているが、それ以外はなにも物がない。なんだかちぐはぐな印象の部屋だった。
「足、見せな。」
蝉が悟を座布団の上に下ろしてから顎をしゃくった。
悟はぎこちなく靴下を脱ごうとしたが、もう布地に血膿がべったりと染みつき、傷口にへばりついて簡単には脱げそうになかった。
蝉は一瞬眉を顰めると、箪笥から鋏を持ってきて、悟の靴下を切って開いた。
「マリ、洗面器にお湯入れて持ってきて。」
ちょうど部屋の前を通りかかった髪の短い女は、返事もなく来た道を引きかえしていった。
お湯が届けられるまで、蝉は慣れた手つきで靴下を切っては傷口に当たらない部分をどんどん剥がしていった。
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