3
「はい、お湯。」
お湯を持ってきた女は、まだ二十歳前後だろうと思われるほどに若かった。髪が随分短く、それに似合って顔立ちもどこか鋭利だ。
「ありがとう。」
もう行って良いよ、と蝉が女を追い払う手つきをすると、彼女は特に不満もなさげに部屋を出て行った。
蝉はくるりと悟に向き直ると、洗面器を悟のすぐ目の前に押しやった。
「足を湯につけな。痛いかもしれないけど、死にゃしないんだから。」
「……。」
「ほら、はやく。」
躊躇う悟の右足を掴んで、蝉はそれを勢いよくお湯に突っ込んだ。
足先から頭のてっぺんまで突き抜ける痛みが悟を襲う。悟は袖口を噛んで声を堪えた。
「いい子だね。」
からかうように言って、蝉は湯の中でふやかした布を慎重に傷口から剥がした。洗面器の中のお湯が、薄い赤黒に染まる、
「ほら、もうかたっぽ。」
「……はい。」
今度は痛みに対する覚悟もできているから、悟は自分から足を湯につける。
「昔はよく、こんな傷の手当てをしたっけな。」
懐かしそうに蝉が微苦笑した。
この人は多分、スラム出身なのだろう、と悟は思った。
きれいに布を剥がした傷口に、蝉は薬を塗ってガーゼを当てると、真白い包帯で固定してくれた。
「凍傷じゃないね。ただの擦り傷やら肉刺やらだ。あんた、どっから歩いて来たの。」
「……北から。」
詳しい地名を口にしない悟に、蝉は一瞬目を眇めたが、そうとだけ返して立ち上がった。
「布団敷いてやるから、今晩はここで寝な。ここで働く気があるなら仕込んでやるし、帰る当てがあるなら勝手に帰りな。」
「……帰る場所、ありません。」
悟が呟くように言うと、蝉は、ああ、そう、とだけ応じた。どうでもよさそうな態度だった。
「ここで働くってなったら、なにしたらいいんですか。」
多分下働きみたいなことをやらされるのだろう、と思っていた悟が訊くと、蝉はあっさり予想を裏切ってきた。
「男娼。」
男娼。
悟は頭の中でぼんやりとその単語を繰り返した。
自分の身体に値段が付くという発想がなかったのだ。
「まぁ、男娼やるって言うならちゃんと仕込んでやるから心配しなさんな。」
さらりとそれだけ言って、蝉は部屋を出て行った。
悟は自分の胸を手のひらで押さえた。
蝉に突き刺された心臓。
自分はここで男娼になるのだ、とその胸の痛みが語っていた。
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