第9話 呪う者、呪われる者

 呪術師の老婆を追って森に入ったヴィンセントとアニータだったが、黒犬に変身した老婆を見失い、出現した幽鬼を討伐して一度村に戻って来た二人。このままでは完全に逃げられてしまうという危機感に駆られ、何でもいいから何か収穫を、という気持ちを抱いて一軒家を再訪した。


「戻ってないみたいだね」


 率先して中に足を踏み入れたヴィンセント。先程の幽鬼戦で多少の自信がついたのか、アニータの背後に隠れてコソコソ中を伺う様子は見られない。その成長ぶりにアニータは感心すら覚えていた。なるほど、彼は褒めれば褒めるほど伸びるタイプかもしれない。一つの成功がとても大きな成長に繋がるわけだ。育て甲斐がある人材、というところか。


「でも、様子が変ね。まるでもぬけの殻じゃない」


 よくよく観察してみると確かにその通りだった。あちらこちらに置かれていたはずの植物もその他の小物などのほとんどが姿形を消しているではないか。二人が村に戻るまでにそう長い時間は経っていないはず。老婆がその間に帰宅し、荷をまとめて出て行けるとは思わないが、それでも相手はあのソウルドレイン・ギナであることに変わりはないし、可能性は否定できなかった。


「とにかく地下へ行ってみましょ」


 アニータは気になっていた昇降口を開けて梯子を降りた。鍵がかかっていなかったことを疑問に思いながらも暗闇の中で手をひと振りし、机の燭台に火が灯った。その明かりを頼りに二人は進んで行く。


 照らし出された机の上には不気味な置物が一つ。黒ずんだ木製の長方形の台座には球体を貫通した棒が台座の中央に突き刺さっている。紛れもなく〈呪う者、呪われる者〉だった。アニータはそれを回収する準備に入ろうと持参した袋を取り出そうとした時だ。後ろから割り込んできたヴィンセントが置物に右手を伸ばす。


「ダメ!」


 咄嗟に声を上げたが、ヴィンセントの指先は球体の部分に触れてしまっていた。その瞬間、少年の脳内には言葉とは言えない邪悪な声が響き渡り、次の時には胃の内容物を地面に吐き戻していた。酷い寒気に襲われて体は震え、目の前の光景は霞んでよく見えない。何が起きたのかヴィンセント本人はわかっていなかったが、すぐに理解した少女は素手で触らずに置物を回収して彼の背中をさすった。


「大丈夫? あたしの声、聞こえてる?」


 そう尋ねたところ、俯いたままであったが頷いたので、急いで少年を連れて地下を出た。


 彼の愛馬、レーラをロープで牽引し、ヴィンセントを後ろから抱きかかえるようにしてアニータは手綱を握り、自身の愛馬を本部に向かって走らせた。一刻も早くアデルの元へ連れて行き、適切な処置を施さなければ少年はこのまま闇に溺れてしまう。


 簡単に言うと、ヴィンセントは深淵の王と共鳴してしまっていた。魔法の遺物を素手で触れてばいけない理由として、過去、一人の魔導士がソウルドレイン・ギナが魔法の遺物にかけた呪いを受けてしまい、深淵の王と共鳴が始まってしまったことにある。その魔導士は苦しみもがいた末に行方をくらませてしまったのだが、共鳴を軽減させる方法を生み出していたこともあり、早急にヴィンセントにそれを受けさせる必要があるのだ。まだ魔導士としても人としても幼い彼は呪いに長時間耐えられるほどの精神力はない。苦痛な声を漏らしながら共鳴に呻くヴィンセントを胸に抱き、今にもこぼれ落ちそうな涙をこらえるアニータは休むことなく、ただひたすらに馬を走らせ続けた。


 そのおかげか、日付が変わる頃に魔導士会の本部に到着。この事態をまるで悟っていたかのように二人を会長のアデルと〈乙女座ネイトシュト〉のパトリシアが玄関の外で待機していた。ヴィンセントを馬から降ろすと、すぐにその場で処置を開始。パトリシアは少年の胸に両手を重ねて魔力を送り込む。これは胸のペンダントを深淵の侵食から守るためだ。次に守護の魔法をかけ、強力ゆえに長い詠唱をひたすらに唱える。膨大な魔力の消費にさすがのパトリシアも表情を歪めていた。


「どうじゃ?」


「かなり強い呪いね……アガサの何倍も強力よ。ここまで生き延びたことが不思議なくらい」


「ふむ……一体誰がこんな呪いを……ところで、アニータよ。目的の物は見つかったかね?」


「は、はい。この袋の中に」


「ご苦労。まずはヴィンセントを自室で寝かせてから話を聞くとしよう」


 頷くアニータ。会話が途切れた頃にパトリシアの詠唱が終わり、アデルはヴィンセントを、アニータは疲弊したパトリシアを支えてそれぞれの部屋まで連れて行く。それからアニータは急ぎ足でヴィンセントの部屋を目指した。


 月明かりが差すだけの一室、アデル・オルビー会長は目を覚ます気配を感じさせることのない少年を側で見守っていたが、戻って来たアニータが大粒の涙を流して泣き崩れたので少女を落ち着かせるために椅子から立ち上がらなければならなかった。我慢が決壊して、アニータの涙は止まることを知らない。声をしゃくりあげ、彼女は自分の失態をひたすらに責め続ける。


「あたしがっ! あたしが……ちゃんと言わなかったから……っ!


「もうやめなさい。お前は悪くない。悪いのはこの儂じゃ」


 その一言に顔を上げるアニータ。だが、表情は曇ったままだ。


「〈魔法の遺物〉を探しに行くのだから、ソウルドレイン・ギナとの遭遇を予想すべきだったのじゃよ。それを当たり前だと思い、警告しなかった……本当にすまない。とにかく、今はパトリシアの魔法で深淵との共鳴は遮断しておるが、これもそう長くは続かん。深淵への抵抗を強めるため、集中的にルインの訓練を始めるよう手配しなければな」


「それって……」


「そうじゃ。訓練中は感情を揺さぶる相手との接触は禁止。ヴィンセントにとってその相手とはお前のことじゃろう。半年間は顔を合わせることも許されん。そもそも、訓練場から出ることすらできんがな」


「どうしてもそれを今、しなければならないのでしょうか……?」


「ああ、もちろんじゃ。彼が深淵に呑まれてしまってもよいのかね?」


 アデルが尋ねると少女は口を固く閉ざし、眠っているヴィンセントの顔を見つめる。


 正式な魔導士だけが使用を許された星の魔法のルイン。習得するには半年以上の訓練を必要とし、肉体的、精神的に大きく成長しなければならない。その際、最も重要とする精神が途中で乱れないよう本人と近い関係にある人物との接触は禁止される。訓練に集中できなくなる上、感情の変化に敏感なルインが暴走してしまう恐れがあるからだ。そのため、完全に習得するまでは指導者以外と顔を合わせることすら不可。地下の訓練場で半年も孤独に過ごすというのを知っているアニータは、ヴィンセントが心配でならなかった。陽の当たらない孤独は想像以上に過酷だ。


「もし……」アニータは不安を口にする。「もし、訓練の途中で深淵に呑み込まれてしまったら……?」


「待つのは死のみじゃ」きっぱりと答える。「全ては彼の強さにかかっておる」


「そう、ですよね……」


 言葉が途切れる。もはや拒否ができないこの状況で、自身の置かれた立場を知ったヴィンセントはそれらを受け入れることができるのだろうか? 彼はまだ幼く、ここにやって来てからそう長くは経っていない。アニータの不安は増大する一方だった。


「とにかくじゃ。彼が目を覚ますまでそっとしておこう。お前はどうするかね?」


「……ここに残ります」


「そうか。では、儂は彼の指導者に話をつけてくることにしよう」


 既に指導者の目星がついていたアデルは二人を部屋に残して静かに出て行った。


 ドアが閉まり、溜め息をつくと同時に肩を落としたアニータ。今にも涙が溢れそうだったので上を向いて何度もまばたきをした。


 ただ、ひたすらに自分を責めることしかできなかった。事前に念を押していればこんなことにはならなかった……しかし、魔法では時間を戻すことは不可能で、時間に干渉することは禁忌の一つになっている。だからこそ後悔するばかりなのであった。


「ごめんなさい……」


 俯き、両手でズボンを握り締めた少女の口から言葉が漏れる。精一杯の謝罪がヴィンセントに届いているかはわからないが、何度も何度も繰り返さなければアニータの心が自責の念に押し潰されそうだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る