第8話 業火に燃えた獅子の隻眼

「まずい……こりゃまずい……」


 垢抜けない少年少女が立ち去った後、一軒家の家主は隠していた動揺が爆発してしまったように忙しなく家の中を歩き回っていた。同じ言葉を呪文の如く繰り返し、鋭く伸びた人差し指の爪を黄ばんだ前歯で噛み続ける様子はまさに老婆にとって好ましくない展開の到来を意味している。今、彼女のしっかりした脳はこの打開策をひねり出すのに必死に働いているところである。


「やはり報告すべきだろうか……いや、しかし迷惑はかけられない……」


 狼狽する老婆は地下室への昇降口に視線を移す。


……そういえばあの子たち、昇降口の存在に気付いていたような……。


 それを思い出し、急いで昇降口の鍵をこじ開けて地下に降りる。


 埃をかぶった木製の本棚は空っぽだが、フェイクとして設置しているだけのそれに何の価値もなかった。この小さな空間はまさに意味のない物で埋め尽くされてはいるが、蜘蛛の巣が張り巡らされたもう一つの棚の方をスライドさせるようにどかすと、身を屈まなければ通過できないような道が出現した。老婆はその先に進み、突き当りの机の上に置かれた金属の置物を見て胸を撫で下ろした。


 鈍い光沢を放つそれは奇妙な物体だった。オーク材の長方形の台座に、黒い球体を貫通した同色の棒が突き刺さっているだけの物。凡人にとっては無価値なガラクタだが、知る人ぞ知る一級品であり、ソウルドレインにとっては命よりも優先すべき代物であることは間違いなかった。これこそが魔導士が探している〈呪う者、呪われる者〉だ。とても古い時代に作られ、古都ヨリプトの第三皇帝フェルディナンド・ルイ・コルドウェルが宮古で一番の鍛冶屋に作らせた一品。希少なオリハルコンという鉱石を使用した最高級の品物だという。芸術家としても知られるフェルディナンド皇帝は収集だけでなく製作も手がけ、この作品は彼が亡くなる前の最後のアート作品という話は有名だ。


 どんな意味が込められているのか不明だが、この置物に魔法の力が宿ったと知った老婆は様々な嘘を並べ、所持していた貴族に「これは呪われている。死にたくなければ手放せ」と説得し手に入れた。その後、この作品の価値を知る者が「呪術師から芸術を取り返す」と息巻いたが、絶対に死守しなければならなかった老婆は「神を連れ去る者に死を!」と村人の前で騒いでその人物を殺したことにより、本当に呪いで死んだという話が一気に広まったおかげでこれを狙おうとする者が現れなくなった。嘘も方便とはよく言ったものだ。


 しかしながら、最も耳に入れてほしくなかった魔導士が〈呪う者、呪われる者〉が魔法の遺物だと知り、こうして取り戻しに来たのは老婆にとって命の危機と言っても過言ではない大問題だ。これが魔導士の手に渡れば深淵による侵攻は振り出しに戻るどころか消滅してしまうではないか。何度も魔導士によって世界の破壊の邪魔をされてきた深淵の王ソウルドレイン・ルージャは徐々に弱化し、魔導士と真っ向勝負は望めないほどの衰弱ぶりである。だからこそ老婆は〈呪う者、呪われる者〉を彼らに渡すわけにはいかなかった。


 彼女が置物に手を伸ばそうとした時だ。背後の気配に振り返ると、目を赤く染めた非力な小鳥が不安定な地面に佇んでいた。不規則に首を動かしていたが、確実に老婆の存在を捉えている。


《よく聞け、コンスタンティン》


「はっ、我が主公よ、何なりと……」


 小鳥の正体に気付いたコンスタンティンと呼ばれた老婆は片膝をついてこうべを垂れる。眼前の小さな存在は彼女らソウルドレイン・ギナを統括する尊い人物の使い魔である。王の側近でもあり、王が弱化している今、王すらも上回る強大な力を持った実質的な支配者だ。少しでも失敗してみろ、存在そのものの消滅が目に見えている。


《正午過ぎ、あの場所で待っている。お前に立ちはだかる壁について話し合おう。置物を忘れるな》


「承知しました……」


 返事をした途端に小鳥は数本の羽を散らして姿を消してしまった。そこに残るのは小鳥の小さな羽と酸化した血液のような赤黒い液体。深淵によって形作られた小鳥は主の意思によって死を迎えたのだ。必要になれば再び生を受け、不要となれば死を受け入れる他ない。全ては主公のさじ加減でその者の生死が左右される。全ては主公の手が握っている。そのことを忘れてはならない。


 命令を受けた老婆は側にあった蔓で編まれたカゴに置物を入れ、老婆の姿から黒い中型の犬に変身を遂げた。垂れた耳を揺らし、カゴの手持ちを咥えて家を出た。


 静かにドアから顔を覗かせる。周辺を見渡すと、二時の方向にある水車付近に立つ木の陰にあの二人の存在を確認できた。そう簡単に魔導士が諦めるとは思っていなかったが、このままだと追跡されてしまうだろうとコンスタンティンは予想する。どこかでそれを振り切らなければならない。


 金色の瞳をぎらつかせ、黒い犬は家を飛び出して森に足を踏み入れた。やや離れた距離から茂みを行く足音が聞こえてくる。彼女は追いつかれまいと疾駆し、追っ手から逃れるためわざと曲がりくねった走り方をすることによって方向感覚を狂わせようとする。魔導士にだけは集合場所を知られてはならない。もし発見されたら別の魔導士を呼ばれて床の溝まで調査の手が入るだろう。


 そうしてでも二人分の足音は立ち止まらない。これ以上の追跡は避けたいコンスタンティンは足を止めて振り向き、体毛と同じ色をした肉球から一体の幽鬼を召喚した。子供相手ならこれでも十分だろう。再び駆け出し、足音が遠くなるのを感じながら森の深奥へ足を運んで行く。


 しばらくして見えてきたのは木造の建物。いつ崩壊してもおかしくないような廃墟だ。中の様子からして元は狩人が使っていたようだったが、持ち主はこの家を利用しなくなったためありがたく待ち合わせの場として有効活用しているというわけだ。普通の人間は魔物を恐れて森に足を踏み入れないし、獲物を求めている狩人がここを発見しても倒壊寸前の廃墟など目もくれないだろう。人の目を避けたい彼女らには絶好のポイントだった。


 老婆の姿に戻ると同時にドアを押し開けると、中では一人の人物が彼女の到着を待っていた。無造作に伸ばされた今にも床に届きそうな白髪、間から覗く業火に燃えた隻眼は相手を畏怖させるのに十分な強さを秘めている。奪われた右目はそこが目という部分だったと思うのが困難なほどに切り刻まれ、火傷した皮膚のようなものがぎこちなく周囲の皮膚と繋がっている。深淵の炎の紋章が施された金と黒のマントに身を包み、ただそこに存在しているだけで威圧感を辺りに放っていた。ここでそれを隠す気はないようだった。


「遅いぞ」


「申し訳ありません……追っ手に手こずりまして」


「ふん、たかだか子供だろう」男は鼻で笑った。「だが、〈獅子座レイヨナ〉の座に座る子供とは興味深い。調べる必要がありそうだ。……それで、持ってきたか?」


「はい、こちらに」


 カゴから取り出した置物を両手で差し出すと男は球体の部分を左手で掴んで目を細めてそれを観察し始める。


 まるで価値を見出せないガラクタそのものだった。これだから芸術家というものは理解できないのだ。球体に棒を突き刺しただけの物が〈呪う者、呪われる者〉などという大層な名前を与えられたことに驚き、戸惑うばかりである。確かにオリハルコンという鉱石を用いている件については大変な希少価値はあるのだが、何に使用されたか、という部分で全てを台無しにしている気がしてならない。とはいえ、これは魔法の遺物であることに間違いない。魔導士たちは喉から手が出るほど欲しがっているし、やはり確かな価値はあるのかもしれない。


「見ていらしたのですね」


「ああ。私にそっくりな〈獅子座レイヨナ〉の魔導士を見かけたのでな」


「わかるものなのでしょうか? あの少年が〈獅子座レイヨナ〉だということを」


「わかるさ。過去、私がそうであったように、その者には猛々しく誇り高い獅子が取り憑く者だ。あの少年はまさに獅子。私などとっくに誇りなど忘れてしまったがな」


「そんなことはございません! 貴方様に自虐的な発言ほど似合わないものはありませんよ」


「持ち上げても何も出ないぞ、コンスタンティン。……さて、今後のことだが、この置物は奴らにくれてやれ。魔導士会の動向を見極めたい」


「何故です?」老婆は声を荒げた。「これでは魔導士会の手助けをしているようなもの! 王の負担が増すばかりではありませぬか!」


 反論してくる老婆に対し、男は口角を上げて不敵に笑った。


「いいや、その逆だ。我らの王は力を増大させることができる。そう、この呪いでな」


 男は片手に持った置物に右手をかざす。手の平からどす黒い煙が滲み出たかと思うと置物を包み込み、ゆっくりと煙を吸収していった。さらに黒みを帯びた置物は禍々しさが増し、見た者を不安にさせるような外見へと変貌を遂げている。台座の表面は酸化で黒ずみ、オーク材だと言わなければ判別できないほどだ。


 一連の流れを見ていたコンスタンティンは肩をすくめた。呪いへの恐怖を覚えたのだ。


「まだまだ贄を求めているのですね……」


「そうだ。王は貪欲であられるのはお前も知っているだろう。必要なのだ、底無しの〈獅子座レイヨナ〉の力がな。お前はこれを元の場所に戻し、支度をして村を去れ。遠い地へ赴き、任務を継続させよ」


「はっ、必ずや完遂させてみせましょう」


「よろしい。では行け」


 コンスタンティンは〈呪う者、呪われる者〉を受け取ってカゴに入れ、来た道を犬の姿で戻り始めた。あの二人と鉢合わせないように途中のルートを変更しつつ村へ向かう。


 急いだ甲斐あってあの二人はまだ村に到着していなようだった。少年らが戻る前に〈呪う者、呪われる者〉を地下の机の上に置き、自らは人の姿に戻ってここを出る準備を始める。


 手当たり次第に物をリュックサックに詰め込んだ。植物の類は全て灰に変え、人が住んでいた形跡の一切を消し去った。最初からここは廃墟だったと言わんばかりに。だが、そうしなければならない理由がある。魔導士会には気にも留めないような僅かな痕跡から目的の人物を探し出してしまう魔導士が属しているからだ。コンスタンティンはその人物をよく覚えていた。名はツェザーリ・オールマン。〈双子座カクソネン〉の魔導士で、彼女は幾度となく追いかけられては逃亡を繰り返していた。執拗な追跡を受けるのはもうこりごりだった。


 荷物をまとめ終え、膨らんでずっしりとしたリュックサックを背負い、さっさと世話になった一軒家を後にした。彼女はこの家に、この土地に未練というものは全く感じていない。ソウルドレインには破壊本能が根底にあり、たまたま理性や知性を持ったソウルドレイン・ギナたちはただ目的に向かって理性的な行動を取っているだけ。何かに固執するというのは生物ならばあるべきことかもしれないが、元々、ソウルドレインは深淵より生み出された存在であり、深淵という死の塊にすぎない。つまり、彼女らは生物ですらないということ。何かに執着するという考えすら浮かんでこないのだ。


 何も思うことなくコンスタンティンは街道を避け獣道を行く。新たな土地を見つける前に、〈獅子座レイヨナ〉の魔導士が深淵に引きずり込まれているといいのだが。

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