第7話 奮い立たせろ、その心
翌朝、起床してから下のかいで軽く食事をとりつつ、宿の主人や同席した旅人や吟遊詩人から例のことについて情報を引き出す二人。多少でも慣れたのか、積極的に会話に参加する少年を見てアニータは少しだけ安堵していた。
二人が得た情報としては、〈呪う者、呪われる者〉を持つとされる老婆はたくさんの呪具を溜め込んでいる呪術師であるということ。村人で近寄る者は皆無で、時に依頼をするために外部の人間が訪れることもしばしばあるという。呪術師としての腕は確かなようだが、気味が悪いあまり誰も老婆の行いを咎めることはしないそうだ。呪術師が人を呪い殺していることは周知されているものの、注意をすれば自分が呪われるのではないか、という恐怖が村人たちの根底にあるため、実質、あの老婆は野放し状態である。
「困ったわねえ……確実な情報がほとんどないし、本当に呪術師なのかすら怪しいし」
「村の人たちは口を揃えてあのお婆さんは呪術師だって言ってるけど」
「もし、そうだとしたらヨリプトの兵士が逮捕に来るはずよ。一応、ここもヨリプト領だし、呪術師は人を殺したり物を呪ったりするから、ヨリプトでは処罰の対象よ? 外から依頼主が来るほど有名なら、ヨリプト兵が黙ってるはずがない……奇妙で頭が痛くなりそう」
「ううん……じゃあ、お婆さんに直接会って聞いてみるっていうのは?」
「アンタはバカなの? 警戒されちゃうに決まってるでしょ」
ことごとく却下されたヴィンセントは他に案がないか、と考え込む。しかし、一向に良案が浮かぶ気配がない。
「……仕方ない、とりあえず訪ねてみましょ」
早々に結論が出た少年少女は、呪術師の老婆が住んでいるという村はずれの木造の一軒家に足を運んだ。
確かに情報通り、朝方にも関わらず不気味な雰囲気を纏っている家だった。村から少し離れた場所に建つそれは、今にも悪霊が飛び出してきそうである。人の気配もなく、周囲の木々にとまるカラスが大声で鳴いているのがより一層、一軒家の印象を悪化させているようだ。軒先の小さな畑も植物らしからぬ派手な色をした草花が揃って風に揺られ、人そのものを拒んでいる様子に見える。
「いかにもって感じね……」
さすがのアニータも一歩踏み出すのをためらった。ところが、ヴィンセントは怖がる様子もなく平然としている。
「僕の家より立派だなあ」
暢気にそんなことを言いながら歩き出す。行きたくないアニータは一人で待っているわけにもいかず、少年の背中を小走りで追いかけた。
窓のない平らなドアの前に立つと、ひしひしと感じていた薄気味悪さは明白になっていった。本能が来てはいけない場所と訴えているようだ。二人は顔を見合わせ、ヴィンセントが思い切ってドアを何度かノックする。
「すみませーん」
声もかけてみるが、しん、と静まり返って物音一つ聞こえてこない。
「留守なのかしら?」
「おや、どちらさん?」
唐突に背後から発せられた声に驚いて振り向く二人。視線の先には痩せ細って背の低い老婆が突っ立っていた。黒いローブに身を包み、白髪を後ろで結う老人は、しわがれた声で続けた。
「魔導士が忌まわしい呪術師に用だなんて何の風の吹き回しだい?」
老婆はそう言いながら家の鍵を開け、立ち尽くす少年少女を手招きする。警戒する二人は恐る恐る不気味な呪術師の住処に足を踏み入れた。
家の中は物こそ多いが整頓されていた。屋根の柱からは乾燥した植物が垂れ下がり、腰くらいの高さの棚には何かの立像や大小様々な種、銀の食器、ドライフラワーなどまとまりのないものばかりだ。
「〈呪う者、呪われる者〉がここにあると話を聞いて……」
「ふうん……魔導士会はもう勘付いたのかい、やれやれ」
まるでもう知っているかのように腕にかけていたカゴをテーブルに置き、老婆は二人に向き直った。
「確かにそれはここにある。けれど、渡すわけにはいかん。これはあたしの商売道具だからね」
「ヨリプト兵にあなたが呪術師だって言ってもいいの?」
脅すようにアニータが口を挟むが、老婆は馬鹿にするような笑みを浮かべた。不揃いな黄色い歯が開いた口から覗く。
「おや、脅迫かい? 魔導士会も堕ちたねえ」
「はあ?」
「ヨリプト領で危機感もなく呪術師を名乗ってるとでも? バカな娘だねえ……魔導士にくっついてその恩恵を頂こうとする金魚の糞みたいなアンタには難しい問題だったようだね。帰りな。魔導士会に渡す物はないよ」
「黙って聞いてればこのババア……!」
「ちょっと、アニータ落ち着いて」
老婆の挑発に乗りかけるアニータをヴィンセントは制止する。少女が魔導士ではないこと、ヴィンセントだけが魔導士であることを見破るあたり、この女がただの人ではないことは明白だ。下手に刺激して呪いをかけられては元も子もないし、どの方法が正解なのか……と、少年は思考を巡らせる。
「出直して来な」老婆は吐き捨てた。「子供が相手じゃ話にならん。ま、あれを渡す気なんてさらさらないがね」
更に老婆が挑発的な言動をし、アニータの怒りのボルテージも上昇する一方だったため、ヴィンセントは老婆を睨み続けるアニータを引きずって家を後にした。離れた水車付近まで行き、川辺でまずは少女の怒りを鎮めようとする。
「あのババア、ほんっと失礼しちゃう!」
彼女の第一声に全てが表れていた。
「あたしが金魚の糞ですって? あのババアの目は節穴ね!」
「はは……」
アニータの暴言に少年は苦笑いを浮かべるだけだ。こういう時は好きなだけ吐き出させればいいとヴィンセントはわかっていたからだ。そのうち満足して静かになるだろう。
その後もアニータは愚痴を言い続けたが、ヴィンセント少年はただひたすら相槌を打つだけで、目の前を流れる川の中の魚をずっと見つめていた。少年の耳には彼女の言葉は入っていかず、左から右へと抜けていっている。川の流れに身を任せている水草、上流で削れて丸みを帯びた水底に沈む石ころ、それらが見える素晴らしい水質を眺めてばかりいたヴィンセントだったが、突然、アニータの声のトーンが下がったので視線を移すことになる。
「早く帰りたいなあ……」
「どうして?」
「ディアンが心配でさ。こうしてる間にも大厄災の日は近付いてくるし、それにディアンが務めを果たすための道具を探してる自分が本当、残酷というか……」
「なんだかディアンさんの話になるとアニータらしさがなくなるっていうか。僕はディアンさんがこうなることを決めたんだし、君も割り切るべきじゃないかって思うんだけど」
「そうよね……わかってるんだけどなあ」
溜め息と同時にうな垂れるアニータ。以外にも反論してこなかったことにヴィンセントは驚いていた。「アンタに何がわかるの!」とでも怒鳴るかと思っていたが……どうやら彼女は割り切ろうとしているが簡単にそうできないことに苦悩しているようだ。真っ向からディアンの決断や他人からの助言を否定する様子はない。
「きっと、ディアンなら任務に集中しろって言いそうだし、まずは〈呪う者、呪われる者〉を手に入れなきゃね。悩むのは終わってからにするわ」
「うん、僕もそれがいいと思う」
「そうと決まれば、あのお婆さんの自宅から頂戴しましょ」
「え? まさか……」
「ううん……頂戴というより拝借ね、魔法の遺物は力を使い終えたら持ち主に返還する決まりだから」
「でも、見たところあの家にはなかったよね?」
「高価で仕事道具ならどこかに隠してるでしょうね。考えられるのは屋根裏か地下、どちらでもないなら別の場所かしら」
顎に手を当てて家の様子を思い出そうとするヴィンセント。屋根裏に続く梯子はなかったし、地下への道も見当たらなかった。とはいえ、呪術師は狡猾ということをアニータは重々承知していたため、ヴィンセントが「なかった」と言っても、留守を狙ってもう一度あの家を調べるときかなかった。
「ダメだよ、怒られちゃうって」
犯罪まがいな行動にヴィンセント少年はすっかり保守的になっていた。なんせ留守中の家に侵入すると言い出したのだから当たり前だろう。魔導士が物を盗んだなんて話が広がったら二人の処遇はタダでは済まない。けれど、言って聞かないなら強硬手段をとるケースは公にならないだけで何度もあるし、皆が通って来た道。バレなければいい、という甘い考えはないが、身元は知られているし動機もある中でどうやって後始末をするかが問題だ。
「ねえ、会長さんに知られたら大変なことになるよ」
「そんなこと、わかってるわよ」
木の陰から一軒家の様子を伺う二人だが、ヴィンセントはどうにかして別の手段をとるように説得を試みる。
「やっぱりちゃんと会って、もう一度お願いしてみようよ」
「無駄よ」きっぱりと即答するアニータ。「いかにも頑固で意地の悪そうなお婆さんだったじゃないの。それに……あれ、人間じゃないわよ」
「え?」
「気付かなかったの?」
「全然……」
「じゃあ、今回は良い勉強になるわよ。相手がソウルドレインなんだから」
「そうなの⁉︎」
「しーっ! 声が大きい!」
「ごめん、でもあのお婆さん、普通に喋ってたよ?」
「ソウルドレインには種類があるの。人に擬態できて会話もできるのは、ソウルドレイン・ギナっていう上位種よ。アンタはまだルインの訓練をしてないし、盗み出すのが得策って思ったわけ」
ああ、なるほど。ヴィンセントはすぐに納得してしまった。アニータの言う通り、少年は星の儀を受けてすぐ任務に駆り出されているので、魔導士らしいことは何一つできない状況だ。予想外なことに今回遭遇してしまったのは世界を破壊する怪物、ソウルドレインの上位種。本来ならばルインを使って消し去らなければならないのだが、その手段がない今、アニータの妙案に従う他ない。ただ、作戦を提示した本人は帰還して会長にどう説明しようかと頭を捻らせていることなどヴィンセントは知る由もない。
〈呪う者、呪われる者〉を盗もうとしている二人は老婆が家を空けるのをひたすら待ち続けていたが、正午を過ぎても動きは全くないどころか訪問者もいない。体力がないヴィンセントはすっかり緊張の糸が切れてしまってその場に座り込む。
「ねえ、少し休憩しようよ。お婆さん、全然動かないし」
少年のぼやきを耳に入れつつも沈黙するアニータ。微動にしない視線の先には呪術師が住む一軒家。きっと老婆も考えていることは同じかもしれない。
「相手も警戒してるかも。多分、あたしたちが何をしようとしてるのか勘付いてたりして」
「ええ? 呪術師ってそこまでわかるの?」
「いや、ソウルドレイン・ギナが特別敏感なだけよ。呪術師だからってわけじゃ……」
そこまで言いかけた時だ。すっかり沈黙していた一軒家のドアがゆっくりと開いた。それに気付いた二人は会話を中断し、そちらの方へ神経を集中させる。ひょっこり顔を出したのは老婆ではなく、見知らぬ黒い中型犬だった。垂れ下がった耳に長い鼻、ぎらつく金色の瞳は周囲を酷く気にしているようだ。最初のうち、二人は全く状況が吞み込めずにあんぐりと口を開けていたが、体毛の黒い犬が口に蔓で編まれたカゴを咥えて走り出した時、その犬が姿を変えた老婆だと言うことに気付いて後を追いかける。
アニータを先頭に二人は森の方へ向かった黒犬を追跡する。道無き道を駆けて行き、倒木の隙間を抜け、大きな池をぐるりと迂回し、かろうじて目視できている犬の尻を
「やられたわね……」
言葉をこぼすアニータ。肌に触れてくる植物の葉を鬱陶しそうに手で払いながら上空を見上げる。
「太陽はまだそれほど落ちてないから少し待つわよ」
「ここで? 何だか嫌な気配がするんだけど……」
そう言って辺りを見回したヴィンセントだが、視線の先には霞みがかった空間が広がっているだけで物体らしきものは何も見当たらない。アニータに関しては気配すら感じていなかった。
「何もいないじゃない」
「絶対に何かいるってば」
「何かって何よ」
「あ! ほら、あそこに!」
半透明の白い霞の中で形を成したぼんやりとした何かが動いた。「どれ?」と言ってヴィンセントが指で示す先を目を凝らして見るが、アニータには確認できない。
「だから、あれ!」
「はあ?」
もはやヴィンセントの言葉に疑問すら持ちかけたアニータは目を細めたところ、姿を明確にした何かに驚いて目を見開いた。ヴィンセントにも何かの姿はしっかりと映っている。
「幽鬼……!」
「幽鬼?」
「簡単に言うと実体のない悪霊よ。こんな状況じゃ逃げられないわ」
「でも僕、戦えないよ?」
「意地でも戦うのよ。アンタ、魔導士でしょ?」
そうして渡されたのは、アニータがマントの中で背中に背負っていた一本の長剣。見た目の割に軽くて持ちやすく、ヴィンセントのひ弱な腕力でも片手で振り回せる。両手で振れば安定度は抜群だ。
「魔物を切るための特殊な剣よ。例え実体がない相手でもダメージを与えられるから大丈夫。私は魔法で援護するから、アンタは前だけ見てて」
「うん、わかった」
しっかりと両手で握った長剣は子供が扱うには長過ぎる代物だったが、今のヴィンセントにはそれを感じさせない気迫がある。とはいえ、人生で初めて魔物という存在を目の前にして体が震えないわけがなかった。膝は微かに笑い、冷や汗がこめかみから流れ落ちる。それでもヴィンセントの視線は幽鬼を捉えたままだ。空中に佇む、破れたドレスを着た骨のような存在を。
嘆き苦しむような低い唸り声が臓腑に響き渡る。関節が外れた両手足は異様に長く、干からびた顔に目玉はない。半開きの口からは冷気が漏れ出ているようだ。確実に周囲の気温は低下していっている。
「ヴィンセント!」
「はい!」
それを合図に少年が飛び出した。大きく剣を振り上げて突進して行き攻撃するが、実体の無い幽鬼は空気のようにするりと避けてヴィンセントの背後に回る。
「ちゃんと当てなさいよ!」
「だって……」
会話を遮るように幽鬼が牙を剥く。恐ろしい形相でヴィンセントに襲いかかろうとする幽鬼の鋭利な爪をなんとか回避するも、頬には一本の切り傷が刻まれることになった。後退し、幽鬼に対する恐怖に打ち勝とうと少年は必死だ。
「イナミス・センバー!」
アニータが魔法を唱えると地面に魔法陣が出現し、青白く光った後、ほぼ透明だった幽鬼が形をはっきりとさせていた。ほとんど抜けてしまった髪の毛の一本一本まで確認できる。
「今のうちよ!」
少年は大きく踏み込み、思い切り銀色の刃を振りかざした。それは実体化した幽鬼にのめり込み、大きな傷を作る一撃となったものの、悲鳴をあげた魔物にヴィンセントは殴り飛ばされてしまう。それでもアニータは追撃を許さず火球を生み出しては幽鬼に向かって投げ続ける。その様子を目にしたヴィンセントも負けじと攻撃の手を緩めない。
幽鬼から受けたダメージは相当なものだった。魔法の効果が切れて霊体化してしまったが、ヴィンセントの男としてのプライドがひたすらに剣を振るわせていたのは確かだ。女に頼ってばかりいる自分に嫌気が差している、というのが本心であるが、それだけの理由でここまで幽鬼と渡り合えているのは大健闘だ。
……あと少し、あと少し……!
疲労の色が滲み出ていたが、力を振り絞って魔物目がけて長剣を突き刺すとそれは見事に幽鬼の腹部を貫通し、相手は甲高く叫んで、その姿は一瞬で霧散した。しんと静まり返った中でヴィンセントの上がった呼吸音が聞こえるだけだ。
「初めてにしては上出来ね、ヴィンセント」
へたり込む少年に対して敬意を表したアニータ。握力が限界にきて手放してしまった長剣を拾い、背中の鞘にそれを収めてマントで隠す。それから額の汗を拭い、静寂が漂う辺りを見回す。
「アンタさ、どこかで剣を習ったことある?」
「いや、ないけど……」
「そう。その割に上手く振れてたじゃないの。ちょっとだけ尊敬したわ、ちょっとだけ、ね」
「ちょっとだけって、頑張ったのに」
「ブツブツ文句を言わないで」空を見上げて、「少し傾いたわね……ということはあっちが西だから戻るべき方向はこっちね。ほら、立って。出直すわよ」
「疲れたんだから少しくらい待ってよ」
さっさと歩き出すアニータを見失うわけにもいかず、疲労で小刻みに震える足で少女を追いかける。よろけて小石に躓きそうになりながらも前を向き、擦れて赤く染まった手の平を強く握って雑木林をかき分け駆けて行く。この時、少年の感情は酷く興奮して達成感に満たされていた。人生で最高に緊張した瞬間、両腕にかかった負荷は今でも覚えていて、汗ばんでべたついた両手の関節は硬直していたが、強引に握り拳を作らせる。留まり続ける高揚感を抱き、ヴィンセントは淀んだ、なおかつ深閑でもあった空間から抜け出したのだった。
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