第5話 星の儀式

 夜の帳が下りた頃、魔導士会の本部に到着した一行は、そのままアデル・オルビー会長の元へ直行。アリンガム家で起きた騒動について報告を行った。


 今回の不手際が原因でフィプス・アリンガムが暴れ回っていたこと。面会した途端にヴィンセントとアニータが自室に連れ込まれて暴力を受ける寸前であったこと。救助のため、ヨナが止むを得ずドアを破壊してフィプス・アリンガムを拘束したこと(危害は加えていない)。形式上の謝罪をしたが、相手が規約以外のものを要求してきたため、食い下がる相手に未成年暴行の嫌疑がかけられていることを告げると押し黙ったこと。


 一連の出来事を聞き終えたアデル・オルビーは難しい表情で黙ってしまった。卓上には高級ワイン。悪いことでもしてしまったのか、とヴィンセントとアニータはそわそわし始める。ヨナは全く動揺していない様子だ。


「ご両親は何と?」


「いえ、どちらも留守だったようで……」


 アニータが答えると、アデルは唸るように溜め息をついた。


「厄介なことになりそうじゃのう。まあ、元はと言えば儂がフィプス・アリンガム氏の人間性を全て見抜けなかったのが原因……事が終結しなければ、後は儂が対応することにしよう。三人ともご苦労。明日に行われるヴィンセントの儀式に向けて休みなさい」


 アデルはそう言って背を向けてしまったので、ヨナはさっさと会長室から出て行った。残った二人も後に続き、儀式の前に迎えに行くと告げてアニータも自室へと戻って行く。


 全ての用事を済ませたヴィンセントは空腹に気付き、恐る恐る大広間を覗いた。一般的には夕食の時間だったが、たった一人だけがぽつんと座って食事をとっているだけだ。見知らぬ顔に緊張が走る。


「あ、あの……」


 思い切って声をかけると、黒い長髪の男は少年に顔を向ける。ほぼ無表情の男はサンドウィッチを片手に隣の部屋を指差した。


「調理室はそっちだ。奥に食料庫がある」


 淡々としたものの言い方に素っ気なさを感じたが、「ど、どうもありがとう」と言ってそそくさと調理室に入って行く。


 雑然とした調理室は棚に食器が詰め込まれ、火が入っていない竃が鎮座していた。調理器具は壁に打たれたくぎに引っかけられ、その真下には塩や胡椒などの調味料が瓶に入れられ一列に並ぶ。奥の食料庫は木箱、樽、棚で埋め尽くされて窓がなく薄暗い。ヴィンセントは棚からヤギのチーズとパンと果物ナイフを持ち出し大広間に戻る。


……さて、自分の席はどれだろうか。


 片手にチーズとパン、もう片手に果物ナイフを持ったままウロウロする少年。一つずつ椅子の背を見ていくが〈獅子座レイヨナ〉の紋章が見当たらない。


「ここだぞ」


 見兼ねた男がすぐ右側の席を指した。慌てて行くと確かに〈獅子座レイヨナ〉の紋章が彫られている。「ど、どうも」と頭を下げて着席した。


 緊張のあまり心臓が口から出てきてしまいそうだった。チーズを切る手が震えて切れ目がガタガタになった。沈黙が息苦しいが、隣の男は黙々と野菜スープとサンドウィッチを交互に頬張っていて話しかけられる状況ではない。早く腹を満たして部屋に戻ろうと少年の手は急ぐ。


「お前が例の新人か」


 予兆もなく突然話しかけられたものだから、驚きのあまり両肩が飛び跳ねたヴィンセント。口の中の物が喉に詰まりそうになったが、気を利かせた男はグラスに水を注いで少年に手渡すと、それを一気に飲み干して大きく息を吐き出した。


「あの、ありがとうございます。名前は……」


「〈水瓶座ヴェシミエス〉のデューイ・プラマーだ」


「えっと、僕は……」


「アリュインから聞いている」


 デューイと名乗った男は視線を食べかけの料理に戻した。


「メモを忘れるなよ」


 残りを口に詰め込み、食器を持って男は調理室に入って行く。少しもするとデューイはヴィンセントと目も合わせず大広間から立ち去った。アニータのようによく喋る人もいれば、デューイのように寡黙な人もいて、魔導士会は個性が強い人物が多いのか、とヴィンセントは一つ賢くなった気がした。


 一人で食事を終え、調理室の小さな掲示板に貼られた羊皮紙に目を通してみる。夏の月に入ってからもう既に様々な食材が使われているようだ。ニンジン、ジャガイモ、酒にチーズなど。もう書き込めるスペースがなかったのでどうしよう、と悩むヴィンセントだったがここであることに気付く。少年は学校に通わず育ったため文字の読み書きができない。つまり、使った食材のメモを残せないというわけだ。あたふたし始めたヴィンセントは必死に頭を捻るが名案は浮かんでこない。


「あら、ヴィンセントじゃない。どうかしたのかしら?」


 タイミング良く調理室にやって来たのは〈乙女座ネイトシュト〉のパトリシア・バグウェルだ。少々疲れた様子で食料庫からワインボトルを片手に羊皮紙を見やる。


「もういっぱいね……そろそろ買い出しかしら。あなたも使ったら書くのよ」


「それが……僕、文字が書けなくって」


 自身のコンプレックスを口にするのは相当の勇気が必要だったに違いない。一部の心無い人間はそれを笑うかもしれないが、パトリシアはそれらの人間とは全く正反対の部類だったらしい。羽ペンを片手に持ってヴィンセントに問いかける。


「私が書いてあげる。で、何を使ったの?」


「ええっと、パンとチーズ……」


「どのくらい?」


「それぞれ一つずつ」


 派手な見た目とは反して崩れた筆記体で書き込んでいく。ヴィンセントにはそれを読むことはできなかったが、文字を学びたいという思いを芽生えさせるには十分なきっかけになっただろう。


「はい、もう行っていいわよ。文字を習ったら自分で書くこと。いい?」


「うん。ありがとうございます」


 ペコリと小さくお辞儀をしてヴィンセント少年は大広間を出て自室に真っ直ぐ戻った。本当はアニータの部屋に寄ってから本を借りようと思ったのだが、少女の部屋がどこなのか教えられていなかったので諦めるしかなかった。どうせ読めないでしょ、と一喝されることも目に見えていた。


 質素な部屋に面白味の欠片もなかった。ベッドに腰を下ろし、陽が落ちて窓から注ぎ込む月明かりを眺めるだけ。光源のない自室はそれを頼りにする他なく、これじゃ本すら読めない、と少年は大きな溜め息をついた。


 ところが、息を吐き出したことによって全身の力が抜け、途端に疲労感と眠気がヴィンセントを襲うことになってしまった。仮眠をしたとはいえ、激動の一日で蓄積した疲労は相当なものだ。もはや抗う体力は残っていない。ベッドの誘惑にあっさり負け、少年はあっという間に夢の中へ落ちていった。




 翌日が訪れたのは一瞬だった。何か夢を見たような気がしたヴィンセント少年だったが、夢というものは内容の濃さに関わらず瞬く間に記憶から消去されてしまう。思い出そうとした頃にはもう脳の引き出しから追放されている。


 直射日光が降り注ぐ部屋は何故か明るくて見えない。それはヴィンセントの気分が晴れていないからだろう。正午には魔導士として魔法が使えるようになるための儀式が待ち受けている。起床した直後に儀式のことを考えてしまい、まだ時間があるというのに緊張で手が小刻みに震える。外でさえずる小鳥の声など全く耳に入ってこない。


 コンコン。二度のノックに肩が飛び上がる思いをしたヴィンセント。そのまま黙って硬直していると、またノックが繰り返される。


「どうぞ」


 ようやく絞り出した声でそう言うと、まだ眠気が残る顔をしたアニータが入って来た。白いレースのついた寝巻き姿に思わず目を逸らす少年。女性に耐性がないヴィンセントには少々刺激が強いみたいだ。


「ちゃんと寝れた?」


「うん。よく寝たよ」


「それならいいけど。昨日買った服を着て大広間に集合ね。朝食をとったら儀式の準備を始めるから」


「わかった」


 そう返事をすると、アニータは大きなあくびをしながら部屋を出て行った。それからすぐ新調した服に袖を通し、ぎこちなさを感じながら大広間に向かった。だが、少年は大広間の様子に戸惑い、早まる鼓動と共にドアの前でそわそわするハメになる。


「ちょっと、何やってんの?」


 普段着に身を包んだアニータが挙動不審なヴィンセントに声をかける。


「いや、中に人がいっぱいいて……」


「当たり前でしょ? 儀式は全員出席なんだから」


「ええ、そうなの?」


「言ってなかったっけ?」


「聞いてない」


「あらそう。でも今知れたからいいでしょ。儀式の日は全員で朝食をとるのよ。これはずっと昔からのしきたりだから、みんな日程を調整して参加してるみたいね」


 有無を言わさずアニータは少年を連れてドアを開けた。


 一斉に視線が二人に向けられた。まだ会ったことのない人物が何人かいて、ヴィンセントは息が詰まるような緊張に早くここから逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。が、ガッチリと腕を掴んでいるアニータはそれを許さない。


「お、おはようございます……」


 ボソボソとした声で挨拶をするヴィンセント。アニータが静かに脇腹を肘で突いてくるので、少年はどうしたらいいのか頭が混乱してしまっていた。


「さあ、二人とも座って」


 気を利かせたミレイン・モロウがそう促し、彼女は立ち上がって調理室に消えていく。それから間もなく両手に皿を持って出て来た。それをヴィンセントとアニータの目の前に置く。湯気が上がる白いシチューはゴロゴロとした数種類の野菜が入っていて、よく見れば全員がそれを食べていた。


「お手製の野菜たくさんシチューよ。たんとお食べ」


 鮮やかな野菜の色合いと優しい香りが食欲をそそる。向かい合って座るヴィンセントとアニータはスプーンを持って空かした腹を満たすため食べ始めた。テーブルの中央に並ぶライ麦パンにも手を伸ばし、他のメンバーに見守られながら食べ進める。


「若いというのは良いものじゃな」


 同席している、ドアから最も遠くに座るアデル・オルビーは微笑みながら言った。紅茶をすすり、白い髭をたくわえた口元をナプキンで拭う。


「さて、全員が揃ったところで今日の儀式についての話をしよう。本日の正午より、精霊広場にて星の儀を執り行う。皆、時間厳守で集合するように」


「五年ぶりか?」


 パンにチキンを挟んだものにかぶりつくアリュイン・マッコールが言い出す。


「デューイ以来だから……それ以上前か?」


「ちょっと! 余計なこと言わないで!」


 突然、大声を張り上げてアリュインの言葉を遮ったアニータ。しかし、丁度良いと思ったアリュインはここぞと言わんばかりに嫌味を撒き散らす。


「ああ、そういやお前は星の儀を受けてないんだったな。なり損ないの魔導士が、今や新人を引っ張り回して先輩面だ。せいぜい新人の足手まといにならないことだな」


 大人気ない言葉にヨナも鼻で笑ったが誰も制止しようとしない。今、まさにこの組織の関係図が明瞭になりつつあった。いい歳をした男たちが寄ってたかって少女をいじめているにも関わらず、他のメンバーや会長のアデルさえも止めに入らない。あの爽やかな青年レヴィン・ウィズも少し俯いて静かに食事を続けている。


「いい加減にして!」


 怒鳴り、食べかけのシチューが残る食器を放置してアニータは大広間を飛び出して行ってしまった。


「アニータ!」


 ヴィンセントが呼び止めたが無駄だった。途端に少年の中で沸々と怒りが湧いてきた。大人たちがたった一人の少女を揃いも揃っていびることが許せなかった。


「どうしてアニータをいじめるんですか⁉︎」


 そう叫んだが、会長も含め誰も口を開かない。それに更に腹が立ち、怒りに満ちた顔で少年も大広間から駆け出して行った。残された大人たちはそれぞれ溜め息をついた。アデルは険しい表情を浮かべる。


「子供相手にそこまでムキにならんでもよかろうに」


「掟を守っただけだ」アリュインは鼻を鳴らす。「本当なら口を利いてはいけねえのに、見て見ぬフリをして許してるジジイもどうかと思うぜ」


「ふうむ……先代も厄介な掟を作ったものじゃ。星の魔導士とその見習いは会話を交わしてはいけない……昔は差別が当たり前じゃったが、今の時代では差別することは軽蔑の対象。困ったものじゃ」


「星の掟を変えることはできないのかしら?」


 溜め息混じりにパトリシアが提案したが、アデルは首を横に振った。


「今までもそうじゃったが、星の掟は変えたい時に変えられるほど簡単なものではないのじゃよ。血をもって書き直さねばならんからのう。たった一項目を変更するのに誰かを犠牲にしなければならないほど掟を変えることにそれほどの価値があるのか……儂はそうは思わん。なあなあでやっていくしかないのじゃよ」


「でも、その掟によって傷つける側と傷つけられる側が存在するのは確かよ。アリュインやヨナのように大人気なく子供をいじめて楽しむ輩が私は許せないのよ」


「はあ?」アリュインが声を荒げた。「お前だってあのクソガキと会話してたじゃねえかよ! 都合の良い時だけ善人ぶりやがって!」


「まあまあ、落ち着きなさい」


 ミレインが仲介に入ったが、雰囲気は最悪だった。比較的若い魔導士たちはベテランに意見ができず沈黙しているし、ベテランたちは意見をぶつけ過ぎて火花を散らしているし、もはや収拾がつかない。


「こういう時にディアンがいれば……」


 ミレインの呟きに誰もが頷いたのだった。





「アニータ! アニータ!」


 大広間を出た後、迷路のように広大な館の中を走り回るヴィンセント。静まり返った館内のどこに少女の自室があるのだろうか。二階? それとも三階?


 少年は辺りを見回しながら廊下を歩いていると、通り過ぎようとした部屋からか細くすすり泣く声が聞こえたような気がしたので足を止めた。息を潜めてドアに耳をくっつけると、より一層、悲しみに満ちた泣き声が大きくなった。


「アニータ……?」


 そう呼びかけると泣き声は止み、ドタバタと物音がした後にゆっくりとドアが開いた。目と鼻を赤くして、潤んだその瞳は言葉では表現できない複雑な感情で支配されているようだ。ヴィンセントは彼女の様子に戸惑っている。


「だ、大丈夫?」


「なんで来たのよ」


「心配だったから……」


「そんなの嘘。アンタもあたしに文句言おうと思ったんでしょ⁉︎」


「なんでアニータに文句言わなきゃいけないの? みんな酷いよ。何かあったの?」


 ヴィンセントが問うと、彼女はキュッと口を固く結んだ。視線を逸らして完全に沈黙してしまう。話しかけようにもアニータの瞳から大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちるものだから、少年はこの状況をどうしたらいいのかわからず困惑している。


「アニータ、彼を通してあげなさい」


 聞いたことのない優しい男の声が部屋の奥から発せられた。それに顔を上げたアニータは、渋々といった様子で少年を部屋の中に招き入れる。


 室内はモダンな家具で統一された、とても趣味が良くて穏やかな時間に満ちた一室だった。新都ミンスタインで流行しているという鳥型の置き時計に柄が似通った棚やクローゼット。開いた窓からは小鳥のさえずりが聞こえ、腰くらいの高さの台にはカラフルな花が生けられた白い花瓶。更には風景画が収まった額縁や動物を模したぬいぐるみが並べられていたりと、どちらかというと女性らしさが感じられた。


「君が噂の新人かな?」


 ベッドで上半身だけ起こした男が言った。青い瞳はヴィンセントではなく背後の壁を見ているようで、少年と目が合うことはない。


「はい。ヴィンセント・クックです。あなたは……」


「私はディアン・イェーツ。〈牡羊座オイナス〉の魔導士だ。みっともない姿で申し訳ない」


「〈牡羊座オイナス〉って……アニータじゃ?」


「あたしは代理なの」


 涙を拭ったアニータが答える。


「魔導士会の星の掟では、儀式を受けてない見習いは正式な魔導士と言葉を交わしてはいけないことになってるの。会長様はそんな掟は時代遅れだって言ってて、ミレインさんやパトリシアはあたしと話してくれるけど、アリュインやヨナみたいにあたしを良く思わない魔導士がいるのも現実だし。まあ、仕方ないよね。あたしはただの代理人で、下級魔法しか使えなくて……」


 口ごもるアニータをかばうようにディアンが発言した。


「席が空く前に彼女を指名してしまった私の責任なんだ。アニータには何も非がないのに星の掟のせいで酷い目に遭っている。本来なら私がなんとかしなくてはならないが、見た通り動くことができなくてね。だから君にアニータを守ってほしいんだ」


 そう言われたものの、話の糸口が見えてこないヴィンセントは状況の把握ができずにいた。なんとかそれを整理しようと疑問を口にしてみる。


「つまり、ディアンさんが正式な〈牡羊座オイナス〉の魔導士ということ?」


「そうだ。でも、本来は席が空かなければ次の魔導士を決定してはならない……これも星の掟の一つだよ」


「それでもアニータは〈牡羊座オイナス〉の後継者……どうして?」


「ディアンが〈星託者せいたくしゃ〉だからよ」


 口を挟むアニータの表情は暗い。


「少し前に話したソウルドレインについて覚えてる?」


「うん」


「数十年に一度、ソウルドレインの親玉が蓄えた力をもって世界を壊そうとする。それのせいで世界に大穴が開くんだけど、命を犠牲にして穴を塞ぐのが〈星託者〉と呼ばれる者。〈星託者〉は本人の意思と会長様の指名で決定されるわ」


「どうやって選ばれるの? 〈星託者〉の基準っていうか……」


「魔導士がソウルドレインと戦うために使う特別な力は身体機能をどんどん奪ってしまうの。ディアンのように目が見えなくなったり、両手足が動かなくなったり、魔導士としての役割を果たせなくなった時、本人が自らの意思で会長様にその旨を伝えるの。会長様がそれを承認して〈星託者〉を指名する。〈星託者〉は次の大厄災の日をただただ待つだけになるのよ」


 絶句してしまうヴィンセント。魔導士に明るい理想を抱いていた自分が馬鹿らしくなってきた。頑張ろうとしていた決意が揺らいで、自分もこうなるのではないか、という恐怖が込み上げてくる。


「大丈夫。アリュインやパトリシアのようにソウルドレインの任務をのらりくらりと避け続ければ寿命を全うできると思う。その代わり、誰かが任務を受けなければいけなくなる。だから、一人に負担が集中しないように代わりがわりにソウルドレインの対処をしているの」


「アニータの言う通りだ」ディアンが続ける。「それに、少し力を使ったからといってすぐ〈星託者〉になるというわけじゃない。私がこうなるまで五◯年以上は経過しているし、そう怖がる必要もないよ。魔導士の寿命はとても長いし、どう生きるかは君次第だ。できれば、私のようになってほしくないけれどね」


「う、うん。頑張ってみるよ」


 戸惑いながらも改めて決意した少年。不安は未だ残っているが、儀式が目前に迫っている今、逃げ出すわけにもいかなかった。


 その後、儀式の直前まで三人で雑談を交わした。ディアンが少女を後継者に選んだ理由は会長に負担をかけたくなかったこととアニータの家庭事情からだったというものだったことや、ディアンの親友の妹がアニータであることなど、プライベートなことも突っ込んで話をしていた。


「今、お兄さんは何をしてるの?」


 ヴィンセントが少女に問うと、彼女は苦笑いを浮かべて見せた。


「もう何年も行方不明なんだよね。ディアンに会いに行くって言って家を出てから戻らなくなって……ディアンはソウルドレインか他の怪物に襲われたんじゃないかって言うけど、あたしは絶対に帰って来るって信じてるから、たまに実家に戻って近所に聞き込みしたり、手紙を置いてきたりしてるの。有力な情報はないけど……」


「そっか……」


「アニータの両親はとっくの前に亡くなっていてね。ずっと兄妹で生きてきているんだ」悲しげな色をしてディアンは言った。「兄がいなくなった今、彼女は天涯孤独だったものだから、心配になった私は掟を破ってアニータを魔導士会に招き入れたわけだ。ここなら衣食住に関して困ることはないからね。ただ、他の魔導士からの風当たりは強いし、それでアニータを傷つけてしまうのは本当に申し訳ないと思っている」


「ううん、大丈夫よ」


 そう答え、少女はヴィンセントに目をやった。


「もう一人ぼっちじゃない」


「……そうだな。彼女をよろしく頼むよ、新人君」


 二人は顔を見合わせ、大きく頷き、少年は力強く「はい」返事をした。


「さて、そろそろ時間ね。準備はいい?」


 置き時計を確認したアニータが言った。正午まであと一五分。再び緊張に襲われたヴィンセントの体は強張り、今にも腹が大きな音を立てて急降下してしまいそうだ。


「だ、大丈夫。行こう」


「よし。……じゃあ、また来るね、ディアン」


「ああ、行ってらっしゃい」


 微笑むディアンに見送られ、二人は館に隣接して建っている馬小屋に向かった。


 馬小屋は一般人では維持できないような規模のものだったため、あまりの大きさに見上げてキョロキョロ見回すヴィンセント。どこを見ても馬、馬、馬。柄や色こそ個々で違うが、長くてしなやかな脚に艶のある体毛、おうとつがはっきりしている筋肉は美しく、どの馬も穏やかな表情でリラックスしているようだった。屋内は清潔で獣臭こそするが、不快になる要素は一切ない。


「魔導士には一人につき一頭の馬が与えられるの。遠出をする際に使うのよ。アンタの馬ももうじき届くはず」


 優秀な馬丁が三人で馬の世話をしていることや、二回も建て直されていることなどを得意げに話しながら小屋の奥に進む。すると、掃除用具が置かれた真下に鉄のドアがあることに少年は気付く。大人一人が入れるくらいの大きさで、真新しい蓋が不自然にどかされたことでドアが顔を見せたのだろう。


「精霊広場はこの下よ。着いて来て」


 重厚なドアを持ち上げるように開け、二人は下が見えない暗闇の中を梯子を使って降りていく。少しもすれば、ぼんやりとした光源が見え、そう長くかかることもなく地面に足がついた。


 地上に比べて肌寒かった。左右の壁のくぼみに蝋燭が埋め込まれた長い廊下をひたすら進むヴィンセントとアニータ。二人の足音だけが反響して、それ以外には何も聞こえない。


 しばらく歩き続けると、廊下が途絶えた代わりに更に地下へと続く階段が待っていた。降りて、降りて、更に降りて、ようやく終わった二人を出迎えたのは青白い地底湖が印象的な広い空間である。湖自体が光を放っているようで、どこからともなく吹いてくる風で揺れた水面が無機質な壁に映り込んで幻想的な雰囲気を作り出していた。


「アニータ、大丈夫?」


 ついつい心配する声をかけてしまったヴィンセント。何故なら精霊広場には大広間で朝食をとったメンバーが顔を揃えていたからである。罵声や嫌味こそ飛んでこなかったが、彼女に向けられる視線は冷たい。そういえば、星の儀には正式な魔導士のみが参加を許されているとディアンは言っていた。本来なら彼が参加しなければならないところだが、体の自由が利かないだめ、アニータに代理人として儀式に参加するよう頼んだらしい。もちろん、会長のアデルから許可を貰っているが、他の魔導士たち(主に古株と呼ばれる者たち)が良く思っていないとのことだった。


「大丈夫よ」


 力強く返事し、会長の登場で魔導士たちは静まり返った。


「皆、集まったかのう? では、これより星の儀を執り行う。星の加護を受ける者はこちらに来なさい」


 自分のことかどうかわからずオロオロしているヴィンセントの背中をアニータが押した。心細さを感じながら前に出ると、アデルが導くように手で場所を示した。


 少年が立ったのは骨粉で描かれた、三角形や四角形など様々な模様が組み合わされた魔法陣の真上だった。辺が一二個あり、黄金十二星座と同じ数である。ただ、今更になって気付いたが、十二の星座が存在しているにも関わらず、精霊広場に集合したのは会長のアデルを含めて一二人。本当なら一三人になるはずがそうではなかった。ふと思い返せば朝の食事の場でも空席が一つあった。それに対してヴィンセントは気にも留めていなかった。緊張と不安、目まぐるしい環境の変化についていくので精一杯だったからである。このことをアニータは知っているようだが。


「汝、星の運命に従い、魔導を志すことを誓うか?」


「え? あ、えっと……はい」


「汝、いかなる事象を前にしても、魔導に背かないと誓うか?」


「はい」


「汝、死を恐れないと誓うか?」


「は、はい」


「よろしい。では汝に星の加護を授けよう」


 なんとなく返事をしているうちに儀式は進み、アデルはポケットから取り出したネックレスをヴィンセントの首にかけて離れた。ひんやりとした金属でできたネックレスは雄々しい獅子の顔を模していて、今にも唸り声が聞こえてくるような気がするほど緻密な細工が施されている。


「儂の言葉を復唱しなさい。よいかな?」


 コホン、と咳払いする。


「我が名はヴィンセント・クック」


「我が名はヴィンセント・クック」


「我、獅子の魂を受け継ぐ者」


「我、獅子の魂を受け継ぐ者」


「我が大鎌は巨大な邪悪すらも寄せ付けず」


「我が大鎌は巨大な邪悪すらも寄せ付けず」


「絶対的な正義の下、それを振るうこととする」


「絶対的な正義の下、それを振るうこととする」


「我が名はヴィンセント・クック」


「我が名はヴィンセント・クック」


「魔導の大鎌を振るう者なり」


「魔導の大鎌を振るう者なり」


 そこまで言った時だ。ヴィンセントの足元に描かれた魔法陣が輝き始め、同時に少年の首にかけられた獅子のネックレスも光を放つ。何事かと慌てふためくヴィンセントだったが、動くな、とアデルがジェスチャーで指示する。まばゆい光は数分間継続していたが、予想にもしなかった出来事に少年は悲痛な叫び声を上げていた。なんと、獅子のネックレスが衣服をすり抜けて勝手に皮膚の中にめり込み始めたのだ。少しずつ体内に取り込まれ、鎖骨の真下、中央部分に完全にネックレスが埋まった。表皮の下から浮かび上がる獅子の顔は、更に猛々しくなって見えているようだ。


「ようこそ、魔導士会へ」


 アデルがそう言うと、メンバーたちから盛大な拍手が少年に送られた。当の本人は激痛で吹き出した脂汗を袖で拭い、胸に入っていった獅子のネックレスを恐る恐る指先で触れてみた。ゴツゴツした感触が異様だ。鎖は存在そのものが消えてしまったかのように指先が感知することができない。


「これにて星の儀を終了とする」


 その一言で集合したメンバーたちは精霊広場から出て行くが、同じように去ろうとしたヴィンセントとアニータはアデルに呼び止められた。


「早速だが、二人に仕事を依頼したいのだ」


「依頼とは?」と、ヴィンセント。


「魔法の遺物の回収じゃよ」


 アニータの顔色が一瞬で青ざめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る