第6話

「えっと、ああ、学生と言うか……高校生、っすねぇ」



「はぁ? お前、高校生なの?」



 そう言ってクリスはカレンダーの方に目をやった。



「サボりかよ!?」



 学校に行かないは行かないで手持ち無沙汰になる。だったら行っても良いんじゃないか? と、言い訳がましい言葉が頭に浮かんだ。そんな言葉に煽られ、俺はテーブルの木目をなぞって意識をそらす。



「あはは……行ってないっすねぇ」



 下を向いていてクリスの顔は見ていない。爺さんの顔も見ていない。人は表情を読む動物だってのに……だからか。顔を見たくなかった。



「不良じゃん!」



 興奮気味なクリスの声に俺は顔を上げた。その声に居付きは感じなかったから。クリスを見るとケラケラと笑っていた。爺さんもヤレヤレという顔をしていたが「まあ、若者だしな」と笑っていた。



 やっぱり。とは思った。同時にやっぱり自分に圧をかけているのは自分なのが分かる。それが仕方ないのも分かってる。



 でも良かった。そんな自分を推奨してくる場所じゃなくて。



 そう思うと、下らないこと推奨してくる場所に対して文句を一つ、言いたくなった。



「……なんか、学校の話題になると人間を工業製品みたいに言いますよね」



 俺がそう言うと、クリスは面白そうに顔を歪ませた。さも当たり前の事を言うように言った。



「学校に人間なんて居ねぇからな。教師というデバイスで稼働して、生徒という天然資源を加工する場所だ」



 本当に工場だ。だが、案外そこは気にならなかった。歯車と言う揶揄があったりするが、表現は間違っていない。人間なんて所詮全体の一部。星の一部なんだから、むしろ大切な歯車の一つ。歯車一つ外れるだけで時計は止まる。自分は違うと言いたがる方がおかしい。



 人間はモノを食べる時点で、個で生きた事など絶対に無い。そんな事実すら見えていないから揶揄できる。その時点で馬鹿でしかない。かと言ってその馬鹿な事が広がってしまうのは悪意を以て言葉を使われるからでもある。悪意によって言葉の意味にニュアンスが加わってしまうと、言葉自体に他意は無くても使った人間の悪意は伝わっちまう。そのせいで、それを言った人間ではなく歯車という表現に対して感覚的に反発が生じる。言葉による表現自体間違って無くても、悪意によってそれを見る目が濁る。



 ――結局は歯車かどうかなんてどうでもいい事で、悪意を込めた解釈をしてしまう事、そしてその悪意を以て行われた作為的な解釈に目を濁らされるのが問題な訳だ。



 解釈を正すと、人は歯車にでもなれる、というだけ。人が歯車なのではない。



 道具は人間に合わせられない。だから人間のほうが道具に合わせる。それが使い方だからそうする。けど、あくまで使うのは人間。



 俺が気になったのはそこだ。



「……それ、誰が制御してるんだ?」



 クリスはケタケタと笑った。



「暴走中でぇす♡ 誰も制御してませーん。もはや子を親から引き離して、その子を人質に親をPTAという名の労働力として利用するだけ利用して、子を取り返す気力も奪って、人間であることを忘れさせる史上最悪の愚民製造システムとなっていまぁす」



 相変わらずの言い方で、クリスは楽しそうに言った。



「もとは、子のためにあった場所でしょ?」



「それはその通り。学校は本来、国のための場所。子どもたちが安心して暮らせる国にするため、それをするための能力を付加する為の場所だったはずだ」



 スキルの開発のための工場か。他国との均衡を保つために相手に合わせた結果とでもいえようか。でも……



「今となっては大事な部分がスッポ抜けているわけだ」



「昔がどうだったかなんて知ったこっちゃないが、今の学校は人間を育む振りして其の実、大人っていう製品を生産する場所だからな。ろくでなしな事に変わりない」



 大人って言葉も、今や嫌になるほどニュアンスが重なっている。限りなく相対が積み重なって重さを無くしてしまっているだろう。



「……俺は大人になるつもりは無いな」



「ま、成るって言ってる時点で『大人』ってのは不自然な物だ。結局、人間は人間でしか無くて、大人は人間の発明品でしかない。だから、そもそも大人なんて存在しない。人間に存在するのは親か子供だけ。そしてそれが人の座標だ」



 そうか。この言い方も、だいぶ歪んだ結果か。



 ――大人による大人のための大人の世界。歪んだ『大人』が積み上げた世界。そもそも破綻しているんだ。それが学生、社会人と続いて行く。これじゃあ人間が生きていけない。



 でも、どうすることも出来ない。否応無しに皆んな繋がっている。



 でも、だからこそ……



「どれだけ歪んでしまっていても……ただ生きるしかないんだよな。人間として」



 横から「うへぇ」と言う声が聞こえた。爺さんの声だ。



「高校生と大学生の会話とは思えねぇな」



「あはは、ジジイが言うか。まあ、確かに高校生のガキの癖にしては話せる奴だ」



 なら良かった。と、俺も言い返す。



「まだガキの延長でしかない大学生に言われたくないっすね」



『あはは』――気に入った。良い絶望だ、雪兎。



 談笑が静まり、クリスはそう言った。そしてポケットをゴソゴソし始めた。



「これ、やるよ」



 突き出されたクリスの拳からぶら下がっていたのは、五芒星のペンダントだった。意匠はシンプルだが存在感がある。



 先程爺さんから渡されていたものだろうか?



「ジジイ作だ。良いだろ? これ」



 そのようだった。爺さんはそっぽを向く。



「クリ坊の設計だ。おれは形にしただけだ」



「ジジイがスゲェのは変わらねぇ」



 クリスは淡々と述べると、俺の掌にペンダントを落とした。



 円で作られた枠が二重になっていて、横にはりゅうずがついている。りゅうずを触ると星が縦に回転した。一度回すとシュルシュルというベアリングの音とともに回転は続く。



 良い。と、思った。



「ジジイが勢い余って二個目を作ってたんだ。欲しいか?」



「貰う」



 俺が即答するとニィっとクリスは笑った。



「雪兎は五芒星の意味、分かるか?」



「逆さにすると、悪魔崇拝的な? くらいですね」



 そんなもんか。と、想定内という表情でクリスは自分の分のペンダントを取り出した。



「別にどっちが良いとかはない。上下で意味が反転するってだけだ。反転って要素にどっかの馬鹿が安直に当てはめたかはたまた作為か? まあ、どうでもいいことだ」



 クリスは人差し指を振り、意気揚々と語りだした。星を落ち着く形で見せてきた。



「五芒星の形は有で構成された物質世界を表す。人間の体や動物、植物の形に似てるだろ? 全ては相似した構造になってる絶対の世界」



 星の上下を反転させて不安定な形にした。



「反転すれば反転した有で構成された物質世界を表す。所謂反物質世界。現象や性質が反転している氣や感覚なんて言われる相対の世界だ」



 星をシュルシュルと回転させた。



「有にはそういった二面性があり、その二つが同時に存在して空間と成る。全ての空間は有そのもの」



 ペンダントを揺らした。



「そして意味は、全てが同時に存在するには、全ては反転して存在している。だから物事を見るには反転が何よりも大切ってこと」



 俺がほぉ、と聞いているとクリスが言い終わった所で爺さんが口を挟んだ。クリスは爺さんに顔を向け、俺も振り向いた。



「聞いてりゃ、クリ坊。おれがペンダントを勢い余って二つ作ったと言ったが、おれは二つ在る必要があると思ったから二つ作ったんだぞ」



 ん?  クリスは顎に手を当てる。



「おれはクリ坊の話はよく分からねぇ。でも、こういう事だろ? ペンダントを途中まで回転させてから近づけてみろ」



 そう言われて、俺とクリスはごちゃごちゃしながらペンダントを近づけていくと――バチッ、とはめる場所があった。五芒星の下の交点、その一点が重なるように。



 爺さんは片手の親指と人差指で丸を作るともう片方の手の人差し指をその穴に通した。



「男と女がヤって一つになるって事だろ? つまり、子作りだ」



「おお、それだ!」



 クリスは興奮した声を上げた。



「対消滅。だから二つ。この状態の時、つまりセックスしている時、人はその体の形を以て無と成る。要するに人は無から生まれる……てことだ!」



 俺はクリスの方を見た。



「……人は、無から生まれて、汽水に生きる」



 クリスは頷いた。



「それが人の、この世の在り方だ!」



「下ネタだよ!?」



 老人らしからぬツッコミが起こるが、意に介した様子なくクリスは言った。



「やっぱり性欲って正しいな。ジジイも誰かの親なだけあるな」



「……うるせぇ」



 深くため息を吐いた爺さんは財布を取り出した。その様子を見てクリスは表情を変えた。



「金はいらねぇって言ってるだろ。もういくら貯まってると思ってんだ」



「じゃあアンタでいい」



 爺さんは俺に向く。そして手の中に万札を納められた。クリスは頭を掻いた。



「……んじゃあ、それが今日のバイト代だ。まあ、もともとジジイからの金から出すつもりだったから変わりねぇか」



 拒否する割にはある分は使うんだなと思っていると、爺さんは立ち上がった。クリスの諦めた様子にニコニコとしながら。



「じゃあな、クリ坊」



「一人で帰れるか?」



「おれぁ一人で来たんだよ!」



 そう言って楽しそうな顔で爺さんは帰って行った。爺さんを軽く見送って向き直った。



「にしても面白かったですよ五芒星の話。アレはクリスが考えたんですか?」



 クリスは頷いた。



「色々と見てたらそう思った。むしろ、見りゃ分かるだろ。そもそも腑に落ちるまで一人で考えたのなら、疑う必要はない。いつか、ん? と思ったらまた考えれば良い事だ。同調しないで、反転を見なきゃいけないから一人で考える必要はあるが……それはお前もそうだろ? 雪兎」



 ――そうですね。



 残った珈琲をスッと飲み干し、顔を上げた。



「そういえば何で俺はここに連れてこられたんですか?」



 そう言われてクリスはポンと手を打つ。忘れていたようだ。まあ、楽しく話せては居たから今の今まで忘れていた。



「そうそう、暇つぶしに作ったんだけど誰も来ないし着れなくて、ちゃんと使ってやりたかったんだ」



 そう言って「お前ならいける!」と親指を上げたクリスが目の前に出して来たのはメイド服だった。



 という訳で……何故かメイド服を着ることになった。



 ロングスカートの黒を基調としたワンピースタイプでフリルが大量についているザ・メイド服って感じで、デザインは可愛いかった。



 「ちゃんと使おう」という話からその姿で掃除をすることとなった。一通り掃除を済ませてからの感想は、なんか楽しかった。

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