第3話

「おぉ……すげぇ……」



 二年でオープンキャンパスに来た以来だ。



 学生生活を想像させてその気にさせる行事。……だと、今思った。どこかで聞いた「相手に結婚を意識させる時の手法」が思い出され瞬くと瞼の裏で重なった。とどのつまりそういうことなんだろう。



 結局それで結婚生活が良くなるかと言われれば俺には分からないが、少なくともその時はその気になる事もあるだろう。果たしてちゃんと見ようとしているかは疑問だが、見させられてしまったのが現状だ。どうしようもないだろう。



 改めて見るとやっぱり広い。一角にはコンビニが開いていて、一角には自動販売機が並んでいる。当たり前だが高校とは施設の規模が違う。これを見るだけでも正直テンションが上がる。



 そして長テーブルにぽつんと座っている訳だが……俺の目の前には、コンビニで売られていた油たっぷりのチキンと自動販売機のカップコーヒー。ご機嫌な組み合わせだ。どこかの大学生が食べていそうな組み合わせ――



 ――いや、俺だな。大学生になった俺は多分これを食う。ウッキウキで肉にかぶりつき、脂ぎった唇でコーヒーを啜る。



 想像に難くない。輝かしいキャンパスライフなんて俺には想像できない。そもそも興味が無いんだから。友達が出来たりもするかもしれないが大体こんな感じだろう。



 俺はちょっとした食やら、時間やらを楽しむだろう。退屈な時間の中で楽しみを創出することは楽しいことではある。



 だが……それは“退屈な時間”があるからそうしているだけだ。



 この程度の楽しみなら俺はもっと深い楽しみを求めたい。そのためには時間が欲しい。小学校に入ってから高校までノンストップで学校が続き、求める時間は殺されてきた。それ以降も暇な暇ばかりが続く。大学生……社会人……と、思考のノイズがばかりが与えられてしまう。



 馬鹿な奴は時間を作れと言いそうなものだが、それでは意味がない。わざわざ苦労して作った時間は使い方を考えてしまう。それだって思考のノイズだ。次があるという幻想が前提に存在している。



 その時点でその時間は学校や会社に意味が内包されてしまっている。逆だ、学校や会社というものは自分の時間の中に内包して存在している。人は暇だから学校や会社に行くのだ。



 という訳で俺は求めるために暇ではないのだが教師やらに暇を強要されて久しく、しっかりと調教されているために「ノイズが無くなるくらいの何も無い時間がほしい」なんてわざわざ言わなきゃならん事になるのだ。



「馬鹿どもは意味とか意義とかそういうの……そういうことじゃねぇって。暇だな」



 ――俺がこんな事わざわざ考えなくてもいい世界になったら俺も普通に進学を考えられるか……いや、俺ならその世界でも一言二言くらい何か言ってるかもな。



「ふぅぅ」



 コーヒーを一口飲んだ。視線は壁の掲示板に移ろっていた。



『オープンキャンパス』『入学相談会』『学生生活』『授業見学ツアー』「クリスの短期バイト」……等々、なんというか下らない文言がつらつらと並んでいるその中で一つ俺の目に引っかかったのは……



「バイトの募集とかあるんだなぁ。さすが大学」



 一つだけシールで貼られているバイト募集の紙。明らかに異質だった。どの様に異質かと言うと掲示板はアクリル板一枚隔てて向こう側にボードがあるのだが、その紙切れはアクリル板の上に貼られていた。



 掲示板に貼られている紙には判子が押されていて貼り出しの許可的な印がある。アクリル板に貼られている紙には無かった。



「…………」――ビリッ



 清掃員に回収されていた。その後、アクリル板が気になったような素振りをすると磨いて行った。仕事が出来る清掃員だ。心のなかで拍手をして見事に磨き上げられたアクリル板に目を向け――



「なんで居るんだよ」



 俺は縮こまった。アクリル板にはクラスメイトの女子がいた。



 今の状況的に会いたくは無かった。女子は二人。片方がクラスメイトの小鳥遊雛(たかなしひな)。女子二人はお揃いのジャージを着ていて背中には学校名が入っている。おそらく部活のもの。もう片方の女子は後輩だろう。



 彼女らはコンビニで商品を物色している。俺はその方向には背を向けているから、まずバレることは無いだろう。



 気配を立てないようにしながらひとまず息をついた。アクリル板越しにもう一度雛の姿を目で追う。



「……いや~ビックリ。大学にもすげぇ巨乳の学生も居るんだなと思ったら、クラスメイトだったよ」



 そういえばいつだったか大会で休むって話をしていたの教室で聞こえたっけな。それが今日だったって訳か。



 クラスではまとめ役やってるし、成績もそれなりに良いらしい。部活でも結構好成績って聞く。よくもまあそれ程まで頑張るものだ――凄い奴。おっぱいも含めて。



 少し顔を回して横目だけで見た。後輩女子とゆったりと会話して緩やかに笑顔になった。仮面を変えたような急激な表情の変化は無い。



 何か、違うと思った。学校とプライベートとの違いと言われればそれまでだが、誰の顔もしていない今が。よっぽど良い。そう思った。



 俺は再び気配を殺し、コーヒーを啜る。



「気づかれていないからといってこれ以上調子に乗ってチラ見していれば流石に気づかれるだろうな……」



 勝手に見ている分際だが見られるのはこそばゆくてあまり好きではない。顔を合わせると相手が見ている自分を見ようとしてしまう。だから、これ以上は止めよう。



気配を殺しても悪目立ちしないように、呼吸をする……そうしてやり過ごすんだ。



 ――ガララッ



 自動販売機でジュースを買った大学生が目の前を通った。



 ――スゥゥ



 コーヒーを啜る。



「……ふぅ、ッ!?」



 息が詰まった。カップから口を離し、視線を上げた。



 目が合った。女子二人が俺を見ていた。言い訳がましい言葉が頭を駆けるが、言葉にしないように口を噤んだ。



 俺の意思に対して今に在る現状に言い訳は要らないからだ。



 そんなもの欲しくない。



 立地が悪さをしたようだ。座った場所が自動販売機から近すぎた。



 無視を決め込めば少し気まずいながらもやり過ごせたかもしれないが、こうガッツリ目が合ってしまえばそうもいかない。逃げても無視しても感じが悪い。



 仕方がないできる限り愛想良く応対しよう。



 じいっと俺のことを見ている雛に聞こえる様に声を出した。



 ――「なんだ? どうかしたか?」



 雛は一瞬すっとぼけた顔をした。愛想良くはなかったかもしれない。まあ、悪い訳でもないだろう。



 ハハハ、と雛は愛想で笑った。



「相変わらずとぼけた顔してるねぇ」



「何だよいきなり」と言うと「いきなりはそっちでしょ」と同じ調子で返された。



「加々見くんは……あえと、今日学校休みじゃないんだけど?」



 さっそく聞かれた。別に何でも無い所謂サボりではあるのだが、わざわざ言うのもなんか違う。だから「そうだね」とだけ言葉を返した。



 そんな言葉を俺が選ぶもんだから、口が続かなかった。



 かと言ってここで会話が終わるのも気持ち悪い。これからの雛の予定を思い浮かべると一つ言葉が出てきた。



 俺が言っても仕方がない言葉かもしれないが、少し言ってみたくなった。



 だから言ってみた。



「これから大会だろ。まあ……頑張ってこいよ」



 自分自身本当にそう思っているかどうかよく分からない言葉だったけど、言って悪い言葉ではないだろう。だから形だけでも言ってみようと思った。気まずさから出た言葉でしか無いけど。



 雛の次の言葉はおそらくこうだろう。



 今朝には壮行式があったはずだ。ただのクラスメイトである俺はその式以外で大会のことを知り得る術は殆ど無い。この時期に部活ジャージの格好だから想像に固くないとは言え、合宿や練習試合とも言わず断言した。だから雛は「どうして大会だって知っているの」的なことを言うだろう。俺はそれに対して「教室で言っていたら聞こえるさ」とでも言ってやればいい。



 僅かに荒れた呼吸をして雛に目を向けた。



 ――「ありがとう」



 表情が少しほころんでいた。俺は何も言えなかった。



 笑える。御託は無駄だった。



「雛、その人は友達なんですか?」



 俺が妙な感覚でフリーズしていると、後輩女子が初めて口を開いた。



「ああ、クラスメイトの加々見雪兎(かがみゆきと)くん」



 訝しむような目で俺を見てくる少女は瞳で吸い込んでくるようだ「ふん、うんうん」と何かに頷いている彼女に困惑していると両手を取られた。



 小さく細く柔らかい手だった。チキンの油まみれの手だったが気にする様子は無く、俺の目が覗き込まれた。



「部の後輩の月見里朔(やまなしさく)といいます。よろしく雪兎」



 俺……何かしたか? なんか呼び捨てだし……



 不可解な様子に呆気にとられていると、朔は両手に付いた油を拭うと雛の後ろに回り、



「この、おっぱい触ってみます?」



 ――ムニュ、と雛のおっぱいを寄せた。



 両側からの圧力に柔らかな質量は前へと押し出され、小さな両手から溢れていた。



『は?』



 唐突な朔の行動に、俺と雛の言葉はシンクロした。



「ほら息ぴったり。やっぱり友達なんじゃないですか?」



「え、ちょ、ちょっと……」



 雛も状況が掴めず戸惑っている。



「ほれほれ、どうです? 柔らかくて大きいでしょう?」



「やめ、くすぐったいから!」



 口出しをした方が良さそうな状況に「お、おい」と、口を開くが声にはならなかった。



 こういう状況は苦手だ。”その方が良さそう”とフワッと思うくらいしか出来ないくらいの判断材料しか持っていない状況だとどうすることも出来ない。



 雛のおっぱいがひたすらに揉まれ、朔の独壇場となった。



「ほーれ、お前たちの関係を教えてくれないと雛のおっぱいがどうなるかな~」



「た、ただのクラスメイトだから。本当に!」



 叫びながら雛は振り解こうとするが、その甲斐虚しくおっぱいは揺れる。その光景に俺の心臓は鳴り、朔は器用に後ろを取り続けていた。



 どうにも動けない俺は朔と目が合った。



 その視線は雛と俺とを交互に見ると、一つ息を吐いた。



「……はい、じゃあおっぱい解放」



「ぷはっ、はあっ……もう、朔!」



「いひゃいいひゃい」



 開放された雛は朔のほっぺたに掴みかかった、というか朔が抵抗せずに掴ませていた。



 これがこの二人の間柄。らしい。何となく、いい関係だと思った。



 俺は顔を真っ赤にして頬を引っ張る雛と、引っ張られながら笑顔を見せる朔の姿を見ていた。



「さてさて、雛のクラスメイトの加々見くん」



 雛の手から開放されると、朔はこっちを向いて言った。



「私は雛のおっぱいが大好きでして、その大好きなものを好きになってくれた人にはついつい構ってしまうんです」



 俺がおっぱいが好きな前提で話をしている。まあ、間違ってはいないが……



 この謂われ様に「コイツは何を言ってるんだ?」と雛に顔で訴えかけようとしたが「……」と顔を赤くして背中を向けられた。齟齬が生じた気がするが、言葉も無いので諦めた。まあしょうがない、視線は印象の強い場所へと向かってしまうものだ。



「あ、今度一緒にプールに行きましょうね。水着姿の雛はそれはそれで可愛いんですよ」



 続く朔の戯言に雛の口が開いた。



「……分かったから」



 ニコニコと言葉を続ける朔に雛も脱力した言葉しか出ないようだった。



 俺も呆れた視線を送ったが、朔はニコニコ。



 ニコニコ、ニコニコ。ニコニコ……ニコニコ――ねぇ、雪兎さん。



 朔はズイッと首を近づけてきた。



「さっきの『頑張って』って、どういう気持ちで言ったんですか。口から出任せですか?」



 ――唐突に……なんだ? 言葉の雰囲気が変わった。少し押されつつも、口を開いた。



「確かに、雑に言った言葉だったけど……」



 眼前で目が合う。朔は静かに息をした。



「そっちじゃない。訊いているのは祝詞だ」



 穏やか、だが仰々しい。言葉がスッと入ってくる。



 ――フフッ



 俺は贈った言葉を反芻し、口を開いた。



「自分自身、本当にそう思っているか分からないから。せめて言葉だけでも、ポーズだけでも、言ってみたんだ。『言葉で気持ちが出来ろ』って、そう念った」



 朔は言葉を数秒をかけてゆっくり食んだ。



「その気持ちが欲しかったんですか?」



 俺は軽く笑った。そして朔に笑いかけた。



「そんな事、ど~でもいい。“せめて”って言っただろ? その時に込められたら良いなって思ったんだよ。応援するなら気持ち、入ってる方が良いじゃん」



 ――言葉はちゃんと使いたいからちゃんと格好をつけないと、だ。だから“せめて”となってしまうが、言いたくなったんだから仕方ない。



 それくらいしなきゃ、それくらいしないと……いや俺は、それくらいしたい。する。ていうか、した。



 俺は朔を見た。



「……あなたの吐いた言葉の“意味”踏み倒しはさせませんからね」



 和んだ笑顔で言われたこの言葉……よく分からなかったが、とりあえず満足はしてくれたようだった。



 朔はニコニコ。



「さて、どこのプールが良いですかねぇ? どこも結構遠いんですよねぇ。でも市民プールだとイマイチ面白みに欠け――」



 助長する朔に「もう、うるさい」と雛は言葉を遮る。



 大会前なのに雛は疲れたようなため息を吐いた。そしてこちらをチラっと見て顔を背けた。



「恥ずかしいから、あんまり見ないで」



「……! っあ、ご、ごめ」



 なんか……吃った。いや、まあ、あれだけ揉みしだかれたのを見られちゃそりゃそうだよな。と、俺は視線を外した。



「別に怒ってないから」



 その言葉にもちょっと齟齬があるなと思いつつ、雛の方を見ないようにして口を開く。



「会場にはバスで行くのか?」



 雛と朔は会場に行く前で、その道中にある大学の購買に寄ったのだろう? 親に送られるのならわざわざ大学に寄る可能性は低いと思うんだ。つまり、ここに来たのは何か目的があるのだろうと想像してみると、バス停とかが思いつく訳だが……



「ああ!? もうバス止まってるじゃん!」



 予想通りだったらしい。雛は慌てて荷物を担ぎ直しスマホを確認していた。



「よかった出発までまだある…………加々見くん」



 ――ありがとね。



 俺は、見られていた。それは一瞬のこと。すぐに雛は前を向いて歩き出した。



 ――また吃りそうだ。



「雪兎、雪兎」



 声に向くと朔が横に立っていた。



「取るの忘れてましたよ。ほうじ茶ラテ。にしても、」



 朔はウインクしてきた。



「良いもの見れましたねぇ……雛のパイスラなんて。結構雛ってガード硬いんですけど、ツイてますね!」



 俺が何かを言う前に「朔、行こ」と呼ばれて行ってしまった。分からない奴だ。



 ――真面目なのか、ふざけているのか……いや、ずっとふざけてたか?



 二人は大学内に設置されたバス乗り場へと駆けて行く。俺はその後姿を見送った。



 姿が見えなくなる前に朔は俺に向かうと手のひらを見せた。俺も同じ様にすると、手を振ってきた。俺は手を振り返した。気に入られたのだろうか?



 そして姿が見えなくなると息が抜けた。思わず疲れていたようだ。



「さて。これ以上大学に居ても、しょうがないかな……」



 俺は家に帰った後に何をしようか考えた。


 

 ……とりあえず風呂にでも入るか。と、そう思った。

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