第2話

 手を合わせた。



「ごちそうさまでした」



 食事を終えた俺は食器を流しに置き、洗面台に向かった。歯ブラシを手に取り、口に突っ込んだ。鏡の中の俺の顔はいつも通りと変わらない。俺は歯磨き粉をつけた歯ブラシをシャコシャコと動かすことに集中した。口の中だけがスッキリした。



 時計が目に入った。手段を考えれば、まだ学校には間に合う時間だ。



 自分の呼吸が荒くなるのを感じて腹が立つ。あんな下らない考え方の蔓延る場所が俺のメンタルにこうも影響を与えている事実が不愉快だ。



『遅刻』や『サボり』なんてものは幻想でしか無い。ただの夢だ。なのに、どうしてこんなにも自分で苦しめているんだ?



 ――つくづく俺も、調教されている……



「学校行かないの?」



「……!」



 唐突にかけられた母の声に息が止まった。



 調教済みの想像力がクソみたいな言葉を溢れさせた。



 誤魔化し、言い訳、俺が言いたい「行かない」という言葉だけが不自然に出てこなくて、溺れたようにゴポゴポと口を動かすだけだった。



「どうして学校に行きたくないの? ここ数日ずっと家にいるけど……」



 母親は少し心配そうにしていた「イジメの心配でもしていたりしているのだろうか?」と思い、その旨は否定した。



「別になにもないよ。何かされてもすぐにやり返すし」



「……学校では何も無いんだよね」



 改めて確認された。



 ――まあ、そうだよな。そういう態度になっても仕方がないか。



 俺は言葉を重ねる為に口を開いた。



「ついて行けなかったりするのはついていく気がないだけだし、友達と話すのは普通に楽しいし、問題は何も無いよ」



「じゃあ、どうして行かないの?」



 母は間髪入れずに聞いてきた。



 ――学校って言ってる事とやってる事がチグハグだから。



 学校のシステム自体は不愉快だが、それについて思案するのは好きだった。



 問題は教師に始まる。学校でやっているのは勉強であって学びではない事を理解していない節がある所。そのせいで徹底的に学ばせないで勉強が学びだと勘違いさせている所。そも、彼らが勘違いしているのだろう。それか知らないか? だが、それを教師とするのはいかがなものか? 人は勝手に学ぶ。むしろ誰かに学ばせられる事なんて出来ない。勉強を多少は教えられる事はできても学びは出来ない。それをちゃんと理解しているのか怪しさを感じる。そも、勉強とは何のためにするのかをわかっているのだろうか? 勉強とは考えるための材料である知識をプールする為のモノだ。勉強それ自体で考えることは出来ない。勉強で得た知識の中の矛盾や理解の及ばない事などに疑問を持ちそれを考える種として自分の感覚や理論で突き詰めて自分の肉体にすることが学びだ。それを理解しているのか? していないだろう。理解していないから今のシステムだ。何が学び舎だ。勉強小屋だろ。その上、揃いも揃って姿勢が悪い。心も、体も、学ぶためにも、姿勢が大切なのにそもそも視界に入る教師の姿勢が悪い。本当にどうしようもない。なんて言ってもどうしようもないだろうが、俺はそんな所が気に食わない。



 そうする事しか知らないのかもしれないが……気に入らないものは気に入らない。



 と、言いたい内容はあるが、こんな内容を会話の中では出来ない。



「……大学進学とか就職とかどうするの?」



「大学なんてどこ行ったって同じだよ。使う気がなけりゃどこ行っても意味がないし。就職は、まあ……」



 面倒くさい、というかなんか怖いし、なんか嫌だ。話で聞いた感じだと、学校と似たニオイを感じる。



「じゃあどうするの」



「正直、どうでも――」



 いい、と言いかけて――バシッ! と、母に両肩を掴まれて言葉が止まった。ニタリと笑う母親は俺の投げやりな回答を待ち構えていたらしい。



「じゃあ今日は大学に行きなさい。近くにあるでしょ徒歩十分。散歩がてら行ってきなさい!」



「……?」



 ――これはどういう風の吹き回しだ? と首を傾げていると、お構いなしに母は捲し立てる。



「しれっとしてれば大学生だって思われるでしょ。大丈夫、大丈夫。バレないから」



 ドン、ドン、と背中を押す母を躱し俺は振り向いた。



「そうかもしれないけど、どういうこと?」



 よくぞ聞いたとばかりに母は腰に手を当ててドーンと仁王のように立った。



「行かないのはもういい。分かった……だけど、休んでなにかするつもりある?」



 その迫力に少し押されつつ言葉を返した。



「無いけど……そもそもここ数日で出来ることなんて無いだろ」



「何もしなくても良いときはあるかもしれないけど、今暇なだけなら何もしないのは許さないから」



 そう言うと母は引き出しをガサガサと漁り始め、取り出したのは雑誌だった。占いのページの俺の星座。そのラッキーアイテム欄に指が置かれていた。



「ユニバァァァシティェェェ」



「なんだよ……」



 奇妙な母の様子に気圧されながら内心では納得していた。



 ――占いか、なるほど。



「占いの使い方としては、間違ってないな」



「なら良いでしょ? 言うこと聞け」



 そう言って母に背中を叩かれた。



「はいはい……じゃあ、行ってきますよ」



 気づくと身体は素直に前へと進んでいた。



「言ってらっしゃい」



 母の声で俺は玄関を出た。

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