迷宮サバイバル五日目(前半)
がさがさがさ
めりめりめりめり
聞き覚えのない物音に気がついた。
隣には楓くんが居るが、どうやら彼も目覚めたようだ。
めりめり……
音は近い、只事ではない嫌な予感がする。
心臓の鼓動が早くなり、一気に目が覚めた。
木を組んで立てかけただけのシェルターから、顔を出して確認する。
二度と見たくないと思っていたものが、そこに居た。そう、すぐそばまで屍小鬼が来ていたのだ。
昨日の焚き火の後に、顔を突っ込んで何かを咥えているようだ。
パキパキと乾いた音が、その口元から聞こえてくる。
焚き火の燃えさしを口に運んでいるようだ。
異常だ。
まだ燻って熱を持った燃えさしは、手で触れても火傷を負うだろう。それを、こいつは無感情に食っている。
空洞の目からは、何も読み取る事はできない。
めりめり、ぱきぱき
僅か数メートルの位置だが、こちらには気がついていないようだ。それとも気づいているが無視をしているのか。
楓くんに合図をして、極力物音を立てないように、そっとシェルターを出て立ち上がる。
視線はやつの方へ向けたまま、ゆっくりその場を離れる。
一歩、二歩。
じりじりと距離を稼ぐ。
隣の少年は、蒼白な顔で足元が危なっかしい。震えが、地面を通して伝わってくるようだ。
無理もない、俺も心臓が口から飛び出して来そうだ。
ごくりと、喉がなった。
その時、ぴたりと屍小鬼の手が止まった。
お食事は終わったのだろうか。
ふと顔を上げたやつが、ありもしない双眸をこちらに向けた。
カチカチカチカチ……
例の音が聞こえる。
だめだ、気付かれた!
「逃げろ!」
そう叫んだ俺は、あらん限りの力で地面を蹴り屍小鬼に飛びかかる!
ナイフを逆手に持ち、狙うは頭部の空洞だ。
煌めく刃の光。
緩やかな弧を描いて振り下ろされるそれは、体勢を屈めて簡単に躱された。存外に素早い!
間髪入れず、腹から背にズドンと抜ける衝撃が走る。
「うぐっ……」
返す刀で腹に膝蹴りを貰ったようだ、肺の中の空気を絞り出されるような感覚。
よろめきながらも、ナイフをやみくもに横薙ぎに振って距離を取る。
ばっと離れる屍小鬼。
(ゾンビって動きは鈍いんじゃないのか!クソ、映画と違うぞ)
想定外の素早い動きに、思考が焦っている、切り替えろ。
でないと死ぬ。
ぐぐっと屈んだやつは、殆ど四足歩行の状態だ。飛び込んでくる、回避して……。
バッ!
そう思った瞬間には、もう目前に来ている。
反射的に顔を守った左腕に噛みつかれた!
そのまま体重をかけられ、どんと尻餅をついた。噛み付いた腕からは離れないままだ。
ぐぅぅ!と唸り声を上げながら、頭部を振り、傷口を抉る!
「あああああぁぁぁ!!」
腕を破壊されていく感覚が分かる。
残った右腕で、ナイフをやつの首元に振るう!
ガッ!
しかし上腕を掴まれ、それも阻まれた!
左腕は抉られ、右腕は万力のような力で押さえつけられている。
「うああああぁぁぁ!」
ぐぅぅ
体を捻って脱出を試みるが、小さな体のどこにそんな力があるのか、全くビクともしない。
ガァン!
不意に、屍小鬼の頭が激しく揺れ、両腕が解放される。
この瞬間は見逃せない、渾身の力を込めて、ナイフを頭部の空洞目掛けて突き立てた!
ふぅおん
どん、という衝撃と、ぐちゅりと掌に伝わるこの感覚。
ぷつんと何かを決定的に断たれ、屍小鬼は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
どさり
「はぁー、はぁぁー」
這うように、それから距離を取り、ゆっくりと立ち上がった。どうやら助かったようだ。
ふと目線を送ると、楓くんがフライパンを持って立ち竦んでいる。どうやら彼が加勢してくれたようだ、まさに九死に一生だった。
「お兄さン!大丈夫ですか!?」
震える声を上げ、ぱっと駆け寄って来る。
「その手……」
ちらっと見ると、真っ赤に染まった左腕。あぁ、ついにやってしまったか。
そんなに痛みは酷くないが、麻痺しているのかもしれない。
「大丈夫、大丈夫!骨までは、いってないから」
根拠の無い言葉を、言い聞かせるように言ったのは、彼に向けてか、自分に向けてなのか。
急いで上着を脱いで、傷口を確認するが、よく見えない。水筒の水をかける。
「-------!」
口を真一文字に結んで、痛みに耐えながら、傷の中まで良く洗った。
薬や消毒薬などが無い今、出来る事は傷口を清潔にする事だけだ。
上に二本、下に二本の咬み傷がある。ここに牙が入ったんだろう。しかし幸いな事に出血量も大した事はない、恐らく太い血管は避けられたようだ。
縫合する事も出来ないので、布切れでぐるぐるに巻く。すぐさまじわりと赤く染まっていく。少しきつめに巻いて、圧迫して止血しよう。
「ぐぅぅー」
思いつく処置は、こんなものだろうか。どかりとその場に座り込んだ。
少しでも止血の助けになればと、心臓より高い位置に腕を上げておく。
感染症などのリスクが頭の中を駆け巡っていくが、やれるべき事はやった、後は自分の免疫力に賭けよう。
しかし
ここに居たら危険だ。すぐに移動すべきか?
血が止まってからか?なぜ、やつは焚き木を食った?
死体を焼くべきか?
死にたくない、命を守らねば、どうしたらいい。
考える事が、ぐるぐると頭の中を回っていき、何一つまとまらない。
そんな時。
近くでわたわたしていた楓くんだが、何を察してか、すとんと正面に座った。
彼の口が開きそうになって、また閉じた。
そうか、そこに声をかけた。
「うん、しばらく休ませて」
やりたい事や、やらなければならない事は沢山あるが、一先ず休憩する事を選んだ。
まずは落ち着く事が大切だ。
こくりと彼は頷いた。
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