4

 カインが宿駅に着く頃には既に騎士たちの鞍替えは終わり、それぞれが休息を取っていた。カインもまた鞍替えが済むまで休息を取ろうとしたところ、一人の騎士が駆け寄る。


「団長団長!」


 犬であったなら尻尾をちぎれんばかりに振っていたであろうその姿に、カインは右手を前に出す。突進する顔の前に出されたその手を見ると、急ブレーキを掛けて立ち止まる彼は、それでもどこかそわそわとした表情で足踏みする。


「団長と呼ぶのはやめろ。騎士団を率いておられるのは聖女様なんだぞ」


 カインは幾度となくこうして窘めているのだが、この男は一度だってそれを聞き入れたことがなかった。


「役職なんてどうだっていいじゃないですか! 聖女様は聖女様であるべきだし、聖女様を団長って呼べって言うんですか? そんなの嫌ですよ、僕は聖女様は聖女様って呼びますよ。だから実質的に僕達の指揮を取る団長を団長って呼んでるんですよ。僕の些細な気づかいと言いますか、まぁ好きなように呼ばせてくださいよ、減るもんじゃないんだから。嫌だなぁほんと、そんな細かいことにこだわるなんて。団長はもっと心の広い人だと思ってたのに。いやいや、もちろん心は広いでしょうけど、今のは言葉の綾ですからね。口からでまかせ、本心じゃありませんよ。だから団長! 聖女様の剣とマントを預かるのは僕に任せてください!」


 早口で、捲し立てるように目を輝かせる騎士は、両手を出してカインの抱える聖女の持ち物を寄越せと言うのだ。

 団長と聖女という単語がゲシュタルト崩壊を起こしそうな頭痛を覚えるが、これは錯覚だと言い聞かせる。言い聞かせたところで目の前の彼はそんな心情を預かり知らず、さぁ早くとばかりに手を上下に振る始末だ。


「落ち着け、騒ぐなヴォゼス。お前はまず、その一度開いたら気が済むまで閉じない口を先に直せ」


 溜息混じりにカインは手を下ろす。

 前半の無駄口と後半の欲望がまるで噛み合っていないのだが、ヴォゼスと呼ばれた騎士はなにがいけないのかまるで分かっていない。喋りたいことだけを喋り、聞きたいことだけを聞く。あまりにも便利なその脳味噌は、単純だが厄介なのだからカインの頭痛の種になる。

 ヴォゼスはカインには及ばないが、近衛として長く聖女の直属として仕えている。それ故にこのやり取りも今に始まったことではないのだが、毎度相手をすれば嫌気すらも通り越しそうな勢いなのがカインとしてはいただけない。

 犬のような気質とは反する、彼の狂気を内包したその性格さえなければ、カインではなく彼が護衛騎士となっていてもおかしくはなかった。狂気は常識を呑み込み、聖女への崇拝にも似たなにかを育てた彼に、大公は大層愉快だと笑っていたことを昨日のように覚えていた。

 カインがいるその前で、大公はヴォゼスを護衛騎士にするべきだったとも言ったのだ。それに反したのは王家を筆頭に王城に勤める貴族たちだったのだが、後にも先にも彼らに感謝をしたのはそれが唯一だろう。

 

「酷いなぁ、団長。僕が傷付かないとでも思ってるんでしょうけど、僕はきちんと傷付くんですよ。僕の心は繊細に出来ているんですからね、団長のようにカチコチの心には分かりっこないでしょうけど。というのも嘘ですよ、今のも別に本心じゃないですよ。団長だって優しい心の持ち主だって僕は知ってますからね! あぁ、傷が付いて痛む僕の心を慰めてくれるのは聖女様の慈悲しか有り得ませんよね! 僕の傷だらけの心を優しく包み、慈愛に満ちた瞳で祈りを受け入れてくださるに違いない! さぁ! 僕にその剣とマントを寄越してください!」


 騎士団の支部としても機能する建物内に、ヴォゼスの声はよく通る。

 この地に配属されている騎士はヴォゼスの特異な発言に慣れてはおらず、奇異の目を向けるのは当然だ。

 探るような視線が二人に注がれており、カインとしては好奇の目に晒されるのはあまり良い気分ではなかった。


「却下されるのは分かり切っているのに、懲りないって言葉じゃ足らないくらいの鬱陶しさね。ほら、フィデティス様の辟易とした顔を見てご覧なさいよ。お前になにかを預けるほど、狂ってなどいないお顔があるでしょう」


 ヴォゼスの頭を後ろから小突き、カインの顔を見ろと言うのは女性である。

 今回の編成において唯一の女性であり、ヴォゼスとの付き合いが長い彼女は長い指で彼の耳を引っ張った。痛みに歪む彼の顔にけらけらとした笑い声で怖がりもしないのは、彼女の剣の実力もまた並のものではないからだ。

 カインは助かったと口にはしないが、それでも彼女が来たことによりヴォゼスから解放されたも同然だ。


「ロサ! お前はいつもいつも僕が任されるはずの、いや、僕がいただけるはずの栄誉を横取りしやがって! 僕はお前が女だからといって贔屓されるのにはうんざりなんだぞ。いや、これは言葉の綾だぞ。お前の腕が確かなのは僕も認めているところだからな、勘違いしないでくれよ。うん、お前の騎士としての才覚についての話ではないからな。お前は立派な騎士であり、騎士に性別の優劣なんかないからな。そう! 僕はお前が聖女様と同性であるというだけで、聖女様の持ち物を任されることが気に食わないんだ! あぁ、なんで僕は男なんかに生まれたんだ! 僕だって女であれば聖女様のすべてを預かることが出来たはずだ!」


「喧しいわね、負け犬。フィデティス様が迷惑がっているこのお顔を見て尚も喚くとは、とんだ騎士もいたものね」


 ヴォゼスを押し退け、カインの前に出るロサ――ロサンテリアは華やかに笑みを浮かべる。

 その笑顔は貴族のような優雅さであり、それでいてどこか棘があるような妖しい笑みだ。ここが騎士団の宿舎に隣接する宿駅ではなく、社交パーティーの場であれば、彼女は十分に中心人物と成り得たであろう。

 たとえカインが聖女であるスクートの顔を見過ぎていると言っても、ロサンテリアの美しさはスクートとは別物だ。

 彼女は紛うことなき侯爵令嬢であり、家門としての格で言えばカインより上にある。しかし、騎士団では家門の階級ではなく団内部の階級によって統率されているため、たとえカインやヴォゼスが本来では有り得ない態度を彼女に取ろうとも不問に処されるのだ。

 平民出身であるカインはこれに慣れるまでに色々と胃を痛めたのだが、今ではすっかりこの空気に浸かってしまっていた。


「ロサンテリア、いつもすまない」


「いいえ、私にとってもこれは光栄なことですから」


 ロサンテリアにとって性別というのは越えられない壁だ。

 騎士とは多くが男性がなるもので、女性で騎士となるのはもちろんのこと、出世するのは茨の道だった。

 志さなければ社交界の華になれたはずだというのは、父親の言葉である。

 父親は娘の将来が心配で口にしたのだろうが、ロサンテリアにとってはこの上ない屈辱だった。男であればそのようなことも言われなかったというのが一番頭にくるもので、ロサンテリアは憂慮や嘲笑を含めたすべての声を実力で抑えるべく剣を磨いた。

 幸いだったのが彼女には兄がいて、兄だけは彼女の夢を、志を心から応援し、剣術だけでなく魔術の教師まで手配してくれたりと寄り添ってくれる者がいたことだ。

 すべては己だけの功績ではないにせよ、今となっては父親の憂い顔にも何も思わなくなっていた。

 そして正式な入団後も地方で研鑽を積み、晴れて王都での勤務を勝ち取り、今ではこうして聖女の最も近くで剣を握ることだって出来ていた。女性であることを誰よりも嘆いていたのはロサンテリア自身であったが、女性であったがために聖女の持ち物を預かるという名誉をいただけていた。

 ロサンテリアは最初こそ荷物持ちに対して不満があったが、聖女の――スクートの剣を返す際に言われた感謝の言葉に救われたのだ。


「それに、ヴォゼスの悔しがる顔は私にとってなによりも嬉しいものですから」


 高らかに笑うロサンテリアは、丁寧に聖女の持ち物を抱えて踵を帰した。

 もしもこの場に彼女の兄がいたならば、美しさだけではなく、社交界のような醜い強かさでもなく、自由を手に入れたロサンテリアを見れば間違いなくこう言っていたであろう。うちのロサは聖女様の次に可愛いと。

 まぁここには彼女の兄はいないのだから、そんな感想を抱く者はいない。

 いるのは部下の自由さに呆れる聖女の護衛騎士と、自身が欲した役目を横取りされた同僚だけ。横取りもなにも最初からロサンテリアに暗黙ながらも一任されていることであり、どちらかと言うと横取りしようとしていたのはヴォゼスの方なのだが、本人としては逆なのだから声を上げて悔しがる。


「ロサ! お前はまたそうやって横取りするんだ! 僕だってねぇ、我慢の限界くらいあるもんだよ。僕はお前と違って面の皮が厚くないとはいえ、それでもこればっかりは口に出して怒るってものさ。いや違うよ、お前の面の皮が厚いというのは悪口ではないからね。ふてぶてしいとかそう言う意味ではなく、お前は芯がある強い女だというのを知ってもらいたかっただけだからな。僕はお前のことは聖女様の次くらいには良い女だと思ってるくらいなんだし。いやでも聖女様と比べるのはあまりにも不敬だな。聖女様は唯一不変の美しさをたたえておられるお方なのだから、ただの人間と同じ舞台に立てと言うくらいなら断頭台に向かう方がマシだな」


 やはり口を開くと無駄口が多くなるのはヴォゼスの痛いところだ。

 ロサンテリアに物申しながらその背を追おうとするヴォゼスを引き留め、カインは釘を刺すことを忘れはしなかった。


「ヴォゼス、キールは“仲間”だ。キールに手を出せば、聖女様のお前に対する評価はどうしようもなく下落するだろうことを覚えておけよ」


 ヴォゼスは聖女を崇拝している。

 その信仰心はあまりにも歪で、他者の介在を許してなどいないのだ。だからこそ本来はカインのことも、もちろんロサンテリアのことも排斥したいと思っているのはカインだけが知っている。いや、正しくはカインとクルムノクス大公だけが知っていた。

 ヴォゼスのその信仰心は幼い頃からあり、今まで表立ってその独占欲を出さなかったのは、問題を起こして出世出来なくなっては困るからだった。剣と魔術の練度が重要視されるとはいえ、素行に問題があればその時点で地方に留め置きとなる。出世出来なければ王都には上がれず、聖女の傍に仕えることなど出来ない。

 こうして聖女の小隊編成にも加わることが出来るようになったのも、上手く聖女への独占欲を隠していたからであり、それを最初に見抜いたのはクルムノクス大公であるジルだ。ジルはヴォゼスを気に入っているからこそ、カインにもヴォゼスの危うさを告げたのだ。

 アレに食われれば聖女の顔も歪むだろうね、と。

 振り向いたヴォゼスの表情は、普段と何も変わらない。何も変わらずに、口の端を上げていることも変わらないのに、ただただ不気味だった。


「傷付くなぁ、団長。僕が聖女様に嫌われるようなこと、するはずないじゃないですか」


 平坦な声色には、熱もなければ冷めてもいない。無機質なそこに感情など一切含まれておらず、首筋に剣を突き付けられるかのような錯覚に一瞬陥る。

 カインは表情にこそ出しはしないものの、それでも肝を冷やすには十分だった。

 くるりとまた背を向け、ロサンテリアを追い駆けるヴォゼスは無邪気な青年にしか見えないのだから余計に恐ろしい。

 嵐が去ったかのような疲労感に苛まれていても、未だ王都を出てから半日しか経っていない。加えて本来の任務も終えてなどいない。

 カインは曲者揃いとしか言いようのない騎士団の中であっても、自身だけは常識を失いたくないものだと心に決めたのだった。


「手短に話す。我々の最優先事項は“鳥”の捕獲に変更された。討伐は聖女様が先行してくださるが、間に合えばもちろん我々もそこに加わることになる。だがあくまでも“鳥”を最優先とし、これを仕損じることは許されない」


 カインの言葉に騎士たちは声を揃えて応じ、頷きをもって返す。


「多少手荒ではあるが、遠距離魔術によってまずは翼を撃ち抜く。地に落ちたところを確保し、回復と同時に睡眠の魔術を同時に掛け鎮圧する。キールも異論はないな」


 視線を向けられたキールはやはり挙動不審になりながらも、何度も頭を縦に振る。

 もっと胸を張れと思っていれば、キールの後ろに立つ別の騎士がその背を叩くのだから、場は笑い声が広がる。下手に緊張し過ぎてもことは上手くいかないもので、その雰囲気を和らげるのは言わずとも誰かしらが担う。

 聖女様がいなければ統率もなにもないというのに、とカインもまた苦笑を思わず零した。

 そんなカインに街の常駐騎士が鞍替えの終わりを告げれば、即刻騎乗を促し走り出す。馬には速度上昇に加えて体力を極力抑えられるよう魔術を施し、正面には風邪避けまでして全速力で駆けて行く。

 聖女は既にカインたちとは遠く離れた地を駆けているだろうが、自身の口にした半日を過ぎるわけにはいかない。それよりも早く着かなければとさえ思っており、聖女の身が無事であることを祈るしか今は出来なかった。

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