5

「フィデティス様、見えて来ました!」


 先頭を走り風避けとなっていた騎士が、声を上げ前方の空に指を指す。その先に見えるのは大きな鷲であり、いまだ距離があるとはいえ、カインの目にもはっきりと見えた。

 彼らは半日かけて次の街に辿り着き、そこからは休むことなく馬を走らせていた。

 強行軍と言えるほど無茶な走りに、馬もまた限界が近付いていた。本来であれば既に泡を吹いて倒れていてもいいものだが、魔術によって強化したことによって意図的に限界への知覚を遅らせているのだ。

 騎乗している騎士たちもまた疲労感を感じてはいるものの、日々の訓練によって鍛えられた彼らに活動限界に至るような者はいない。


「キール、キールはどこだ!」


 カインが後方に呼び掛けると声を上げたキールを通すように波が割れ、彼はカインの横に並んだ。

 ほとんど初めての強行軍であろうに、キールは疲労を顔に出しながらも、任務遂行に対する熱を失ってはいない。

 王都勤務、ましてや聖女の小隊に編成したのだから当然のこととはいえ、カインは大したものだと内心笑んだ。


「お前はあれが何に見える。ラタクのお前には何に見えている?」


 キールたちラタクの民はフレズベルクの生態や容姿について詳しい。自身らに恩恵をもたらす者について幼少の頃より教育を受けたり、言い伝えられているため、他の地の者よりもフレズベルクの見分けなどは容易いことだ。

 万が一にもここで、キールがフレズベルクを見間違えてはいけなかった。

 王は魔物6匹の討伐を命じている。だが、聖女であるスクートは5匹であると言ったのだ。

 ラタクの民の誇りを守るため、そして王への反心を生まないため。

 だからこそここで間違えれば、魔物を1匹取り逃したことになり、人々には危害が及び、その責は騎士団だけでなく聖女にも及ぶだろう。騎士団だけが詰られるのならば良いが、貴族たちは間違いなく聖女に対してあらゆる言葉を尽くしてその責を問うはずだ。

 王は貴族たちの機嫌を損ねることを避けるため、聖女への重い罰を下しかねない。ここでジルが彼女を庇いでもすれば良いものだが、彼は聖女を庇うことは無いだろう。

 聖女は王の所有物なのだから、王の命に従うのは当然だろうと、平気で言ってのけることは誰でも理解している。

 ジルは後見人として、誰よりも聖女に対して親しくしているが、けれど彼女が犯した失態について庇う気はない。むしろ王に罰を下すように言うくらいで、その腹のうちを誰も理解出来ない。

 彼に対して畏怖するのは、長命種であるからということだけではない。ジルに絡め取られれば、傀儡のように生きることになると本能で悟ってしまうからだった。

 そして、王に対し唯一真っ向から言葉を訂正させられる人物はクルムノクス大公のジルだけであり、そのジルが是とするならば誰にも止めることは出来ない。彼女はどのような言葉も受け入れ、そして罰を受けることになんの感情を抱かないだろう。


「フ、フレズベルクです! 幼体なので色素は薄いですが、あの尾はユラーシアの花と同じ色をしているように見えます! あのクチバシの形状からも、フレズベルクに間違いありません!」


 キールは大声を上げて報告する。本人としては馬の足音に消されまいとしただけなのだが、そのいつにない力強い言葉が小隊に行き渡るには十分だった。

 カインはその報告をもって視界に映る鷲を改めてフレズベルクだと認定し、そして聖女から任せられた仕事をこなすことにする。


「射程圏内までおよそ100メートル。長距離術式用意。威力は極力抑え、同時に両の翼を狙え」


 カインの命令は声を荒げずとも魔術の補助があり、全員の耳へと行き渡る。

 大気中に漂う魔素が魔術師の呼び声に呼応し、術者の体内へと取り込まれていく。取り込まれた魔素は術者の体内の魔力と結合し、そしてろ過をされてから術式を編むことでその形を変えていく。

 魔素と魔力の結合には比率が重要であり、それを間違えれば正しく魔術は発動されない。

 単なる強化魔法であれば殆ど無意識に体感で合わせられるが、攻撃などとなればその難しさは跳ね上がる。騎士が剣術だけではなく、魔術の腕も求められるのはこういった戦闘によるものが大きい。

 編み上げ束ねた魔術は幾重にも重なり合い、やがて二つの砲弾を撃ち出す砲台となる。

 馬の走りによって揺れて狙いがブレてしまいそうだが、遠距離魔術を放たない者たちによって補正魔術を掛ける手筈となっている。後方から複数人、そしてカインの近くを走るキールもまた補正魔術の術式を編み上げ終えていた。

 上空を飛ぶ鷲はただ空を舞っているだけで、時折鳴いてはくるりとその場を回る。

 スクートの話では幼体がために森への方向を見失っているだけだと言っていたが、それは間違いではなかったのだと確信する。


「――放て」


 静かな一言に続き、二つの砲弾がフレズベルクに向かって放たれる。ブレた射線は直ぐに補正され、両方の翼のそれぞれ真ん中を正確に撃ち抜いた。

 突然の衝撃と痛みに、フレズベルクは甲高い鳴き声を上げた。その声は距離があるはずの騎士たちの耳にも届いており、ビリビリと肌を震わせるほどの声量にカインも思わず顔をしかめた。

 くるくると回転しながら落ちる鷲は、地上に落下するといかに巨体であるのかが分かる。幸い落下地点に建物等はなかったものの、土煙を上げる中心を取り囲んでいく。万が一抑えが効かないほどに暴れた時、直ぐに安全域まで離脱出来るように馬には乗ったままだ。

 幸いにも土煙は直ぐに晴れ、美しいながらも獰猛な瞳の鷲が姿を現す。自身を攻撃した者たちへ向ける不信と怒りの目は、クチバシから漏れる呻き声よりも鮮明に語っていた。

 飛ぼうにも翼を射抜かれ力が入らないのだろう。翼を広げて威嚇しながらも、何度も羽ばたこうとして地面へと伏せることになる。


「睡眠魔術を掛けろ、捕縛するぞ!」


 畳み掛けるように降り注ぐのは魔物の意識を刈り取るため、幾重にも重ねがけされた睡眠魔術だ。突如掛けられた魔術にもがき苦しむように巨体を振り回すフレズベルクに、行動範囲を制限する魔術が掛けられ檻が嵌められた。

 見えない何かにぶつかりながら、徐々に呻き声を上げることも出来なくなり、遂にフレズベルクはその瞼を落として動かなくなる。ようやく睡眠魔術が聴いたのだ。

 安全確保のために檻の魔術はかけたまま、速やかに回復魔術がフレズベルクにかけられる。翼に空いた大きな穴は塞がり、無事に捕縛することが出来たことにより安堵の声が上がった。

 討伐よりも難しい捕縛を終えたものの、それでもカインたちは数十人掛りでようやく1匹を沈静化させることが出来た。

 だが、聖女はたった1人で魔物5匹と戦っているのだ。魔物が進行し、食い止めていると言う街は目と鼻の先であり、ここで呑気に捕縛成功の余韻に浸っている暇はない。


「聖女様と合流する」


 カイン含む騎士たちはフレズベルクを魔術の檻に入れたまま、街へと急いで向かう。

 城門に最早門番はおらず、退避したか避難民誘導に割り当てられているのだろう。聖女が通ったであろう大門は真ん中が破られており、“こじ開けた”というのが一目で分かった。

 門への費用割り当ては、ラタクからの税で取り立てることにしてもらおうなどと考えながら大門を過ぎる。

 街中は建物は倒壊し、ところどころから煙が上がっているのが見えた。さらに酷いのはその倒壊した家屋にめり込む魔物の肉切れであり、恐らく吹き飛ばされた衝撃でそうなったのだろう。

 まさに惨状とも取れる光景に、カインは既に予想が付いていたことであったために何も口にはしなかった。

 カインは気付かなかったが、後方ではヴォゼスは恍惚とした表情を浮かべていたし、キールは悪夢だとまで呟いていた。感じ方は人それぞれだが、概ね反応としては両者どちらかに寄るものが多く、カインとしてはそのどちらでもない。


「住民や騎士も含め、避難し遅れた者がいないかの巡回を開始しろ。取り残された者がいれば直ちに保護をし、安全地帯までの撤退後、負傷しているのであれば治療をしていなければ一時待機するように」


 避難が遅れた者がいればまとめて避難先指定地まで送らなければならないため、今は生存者の確保が先だ。この場合聖女の助けに入ろうとするのは愚策であり、はっきり言えばお荷物となる可能性のが高い。むしろお荷物となると断定してもいいくらいだ。

 彼女は今、剣を所持しておらず、その身一つで戦っている。それは彼女が全力でもって魔物と相対しているという意味であり、そこにただの人間如きが入れば魔物同様に肉塊となりかねない。

 既に限界を迎えているだろう馬に、申し訳程度に回復魔術を施して騎士たちは街の四方に散っていく。

 その直後、大きな音が響き渡り地面が揺れる。

 咄嗟に右腕で頭を守るが、すぐにその腕越しの前方に広がる光景に思わず乾いた笑いが溢れ出た。

 今にも倒壊しそうな家屋の屋根に聖女が立っていた。その先には別の家屋に吹き飛ばされた白い猪の魔物――クロイア・ボアが半身を何かに潰されたような状態で息絶えていた。

 クロイア・ボアは一般的なカリュロス・ボアよりも大きな猪で、聖女よりも遥かに大きい体躯である。しかし、そんなクロイア・ボアを吹き飛ばした聖女は全身血塗れで、やはりいつものように感情の乏しい顔で立っているのだ。

 血塗れなのは怪我をしたわけではなく、あれらはすべて魔物の返り血であり、街にいくつも残された残骸はすべて聖女によって倒された魔物によるものだ。

 あまりにも鮮烈なその光景は、きっと街中にいる他の騎士たちも目にしていることだろう。

 あまりにも美しく、しかしあまりにも異質な彼女に、畏れを抱くのは彼が護衛騎士だからではない。人間として、ただ生き物として、強いモノに畏れを抱いてしまうことのどうしようもなさを、カインは信仰だと思って疑わなかった。

 聖女はべったりとつく血にも感情を示さないまま、ただ視界に入るのを払うためだけに目元を拭うと、騎士たちが街に着いたことを知った。

 カインを捉えた金の瞳が向けられ、思わず喉を鳴らす。獲物として見られているわけではないのに、どうにもあの姿の聖女に見られると居心地の悪さを覚えてしまうのだ。

 目の前に降り立つのは自身よりも背の低い少女であり、今まさに魔物を圧倒的な力で屠ってみせた聖女である。

 馬から降りたカインは歩いて向かってくる聖女に駆け寄り、彼女に跪いて頭を下げる。彼女はそんなことをしなくても良いのにと言いたげにほんの少しだけ首を傾げるが、カインの行動すべてを受け入れてその頭に血塗れのままに手を伸ばした。


「ご苦労さまです、カイン。あなたの、そして騎士たちの無事を嬉しく思います」


「はい、スクート様もご無事のようで嬉しく思います」


 頭を撫でられ、顔を上げてその手を取り甲へキスを落とす。その一連の流れはカインにとっては儀式のようなもので、スクートはそれもまた受け入れる。


「ハティ2匹とカリュロス・ボア2匹、クロイア・ボア1匹の討伐を完了しました。ハティに追い掛けられたカリュロス・ボアとクロイア・ボアが逃げ込んだのが、今回国壁を越えた原因であると私は考えます」


 カインが用意していた顔を拭くための布を差し出すと、彼女はそれを受け取ると顔をごしごしとやや乱暴に付着する血を拭おうとする。


「おかしいですね......、ハティがフェンリルの元を離れて狩りをするなんて」


「何が原因かまでは分かりませんが、恐らくフェンリルとははぐれてしまったのでしょうね。ボア3匹の体にはハティによる傷はありませんでしたので、そもそもの要因としては何かから逃げていたハティが迫ってきたことで、追われていると勘違いしたボアが森を抜けて国壁を破ったことだと思います」


 では何に追われていたのかという話になるが、それは森に入ることでしか分からないことだ。しかし今回は原因を探るのが目的ではなく、侵入してきた魔物を討伐することが目的である。

 既に目標は達成され、残るのはフレズベルクを帰すのみなのだが、そこにも問題がないとは言えない。


「フレズベルクは私が森に送りましょう」


「おひとりで行かれるのはいくら聖女様とはいえ容認出来ません! 森に行かれるのであれば我々もお供し、万全の体制であなたをお守りしなくてはいけません」


 強く擦るスクートの手から布を取ると、カインはその頬を優しく拭く。

 護衛騎士というよりも侍従のように世話をする彼の好きにさせながら、聖女はカインの反論にはっきりとした口調で切り捨てた。


「今のあなた方は万全とは言えません。馬の調達もままならない現状、あなた方が森に入ればただの餌と成り果てます。私は国の盾であり、個の盾ではありませんから」


 足でまといだと、告げられる。

 それもそうだ。万全の体制と言いながらも、馬は既に体力の限界を迎えている。その上睡眠を取らずの強行軍によって集中力は乱れ、魔力も十全とは言い難い。

 それでも余裕があるのは国防に限っての話であり、森に入るとなれば話は変わる。

 森の中には多種多様な魔物が生息しており、今の小隊に聖女を守ることなど出来ない。逆に聖女に守ってもらうという構図にしかならず、しかし聖女は個を守ることは無い。

 ただ魔物に自身の命という餌をやりに行くよりも、聖女が帰るまでに別の出来ることをやっていた方が賢明である。


「カイン、落ち込まないでください。皆それぞれに領分があり、今回はあなたの領分ではなかっただけです」


「いいえ、俺は自身の無力さを嘆かずにはいられないでしょう。あなたのお力になれないことが歯痒いと、そう思わずにはいられないのですよ」


「あなたは十分にその責を果たしていますよ。逃げ遅れた生存者の確認後、生存者がいればイレモトランに送り届けてください。既にこの街の住人と騎士はそちらへ避難をしています。私も後から合流しますので、街で落ち合いましょう」


「承知しました。剣をお持ちしますか? 必要であればロサンテリアをお呼びいたしますが」


 拭き終えた彼女の顔は綺麗にはなったものの、その体には未だ血はこびり付いている。そのことをまったく気にも留めずにスクートは首を振る。


「必要ないです。ロサンテリアにはいつも荷物を持たせてしまい、申し訳ないですね」


 困ったように零す彼女の言葉に、それを真に受け取る相手は今はいない。

 カインは頭を下げながら少女に願った。


「どうか、そのお言葉はロサンテリア本人にお伝えください。もちろん、ロサンテリアにとってはスクート様の剣とマントをお預かりすることは光栄であるのですが、そのお言葉をいただけるのであれば望外の喜びを得られることと思います」


「大袈裟ですね、カインは。ですがそうですね、ロサンテリアにはあとできちんとお礼を伝えさせていただきます」


「ありがとうございます」


 微かに笑むスクートに、一瞬任務中であることを忘れて見惚れてしまう。美しくも儚いその姿はまさに聖女そのもので、その瞳には慈愛が満ちているように見えたのだ。

 それが向けられているのが自身であることが夢だと言うのならば、あまりにも都合のいい夢を見ている自身の頬を殴り付けたいくらいである。だがそれは現実であり、カインは躊躇いの後に感謝の言葉を漏らすことしか出来なかった。

 スクートはカインの馬の近くに横たわるフレズベルクを見やると、そちらへと歩み寄る。巨体を持つ鷲は今は固く目を閉じており、穏やかな寝息を立てている。

 魔術の檻に入れたまま運んで来たのは馬に乗せることも、ましてや持って運ぶなど出来ないからだ。

 スクートが魔術を解いて欲しいと言うと、檻の魔術を掛けていた騎士2人は躊躇いながらもそれを解いた。睡眠魔術によって深く眠らされているフレズベルクは未だ起きる気配はなく、スクートは手を伸ばしての体に触れた。


「さぁ、あなたを巣に戻しましょう」


 スクートがそう声をかけると、フレズベルクは目を覚ます。慌てて抜剣しようとする騎士を制し、スクートはフレズベルクと目を合わせる。

 フレズベルクは目を覚ました直後こそ威嚇するような声を上げたが、スクートの目を見詰めると穏やかになる。

 魔物は本能で生きるからか、自身よりも強大な力を持つ聖女に対して畏れを抱き、大人しくなったことにようやく騎士も警戒態勢解いた。

 いい子ですね、などと言いながらその毛並みを撫でるスクートはそのままフレズベルクの背に乗ると、ばさりと鷲は大きく翼を広げる。その羽ばたきは力強く、魔術によって風避けを展開し損ねた騎士は転がるように吹き飛んだ。

 一つの羽ばたきで大きく上昇したフレズベルクは、聖女を乗せたまま森を目指すように飛んで行く。

 その姿を目で追いながら、カインは誰にも聞こえない小さな声で呟く。


「――あなたの無事を祈っています」


 その祈りは聖女に受け取られることなく空気に溶けた。

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