3

 カインは聖女と人との繋ぎである。よって、聖女の職務から外れようとする彼女を諌め、正しい方へと導くのもまた仕事だ。

 ここで言う人とは王家や王都に住む貴族たちのことを指す。だから彼らからしてみれば彼女の言は聖女らしからぬ行為であり、当然容認出来るものではない。

 これを報告すればカインはお咎めを食らうことはもちろんだし、聖女とて王家の管理下に置かれる身。表立った処罰はないにせよ、何らかの不利益は被るであろうことは目に見える。

 お咎めだけで済めば良いが、お役御免とばかりに切られるのは勘弁だ。

 そう思っていながらも、カインに彼女の行動を制限をすることは出来なかった。

 陽の光に照らされた金糸の髪を見詰め、それからキールへと視線を振る。


「ラタクへのユラーシアの花の依存度は高いからこそ、今回はこのような特例措置を取っていただくが、これが常態であるなどと夢にも思うなよ」


 ラタクの民にフレズベルクを討伐したことで反感を持たれ、ユラーシアの流通量を制限されてしまえば医療関係から混乱の声が上がる。もちろんラタクと取り引きしている行商人にも被害は及び、市場に出回る花の価値が法外に上がってしまっては経済全体に影響が出かねない。

 たかが花だが、ユラーシアの花の薬草としての価値は高い上に品質も良く、それでいて手頃な価格を維持し続けているため欠かせないものとなっているのだ。

 故にこれは特例措置であり、今回はフレズベルクを討伐対象外にすると聖女は決めた。カインは彼女の意向に従うだけであり、かといってこのような特例はあくまでも特例。

 もしも次にフレズベルクが森から出て国土を侵すというのなら、聖女が討伐を躊躇うにしてもカインは剣を抜くことを進言するだろう。聖女の職務とは、騎士団の意義とは国を守ることにあるのだからと。


「もちろんです! ラタクなどという取るに足らない辺境なんかのために、聖女様のお慈悲をいただけることに、ラタクの民を代表して感謝いたします!」


 きっとこれが馬上でなかったら、地面に額を擦り付けて感謝していただろう。

 走り続ける馬、ましてや速度上昇の魔術を施した馬の上では頭を下げるくらいしか出来ず、キールは涙を浮かべるほどの感謝を述べていた。

 しかし、そんな彼に聖女であるスクートは窘めるように口を開いた。


「いけませんよ、キール。そのような自身の故郷を陥れる発言は許されません。私は“取るに足らない辺境”のために盾となるのではありません。私はラタクという“守るべき国の領土”のために在るのです」


 最早振り返ることのない彼女の背に、再度キールは感謝の言葉を送るのだ。

 そんな背後のキールを思考の端に置き、前方の上空を飛行するフレズベルクへと目は向いたまま。

 フレズベルクを討伐対象から外したとはいえ、しかしいつまでも頭上を飛び続けられてはやはり民にとっては恐怖でしかないはずだ。ある程度の高度を取っている上に幼体とはいえ、その巨躯に襲いかかって来られたらひとたまりもないことは容易に想像出来る。

 フレズベルクは他の魔物の進行する方向へと着いていくように飛んでいるため、自ずとその位置を割り出すための目印となる。

 2日以上かかる見込みではあったが、どうやら魔物たちの進行は思った以上に速いらしい。

 今は聖女の瞳では見えているフレズベルクも、あと半日もすれば普通の人間が単眼鏡を使えば見えるようになるだろう。街中に入れば建物に阻害され見えづらいだろうが、高い建物に登れば微かに肉眼でも見えるはずだ。

 長閑な光景に不釣り合いな武装した騎士団は、土煙を上げながら全速力で駆け抜ける。その姿を道行く人たちは畏怖と尊敬に頭を下げ、彼らが通り過ぎる背中に祈りを捧げる。

 騎士団に対してでは無く、その先頭を行く聖女に対するその祈りを受け取るには、今のスクートには時間がなかった。故にスクートは馬を走らせながらも祈っていた。民の祈りを受け取れるようにと。

 昼下がりの頃、ようやく馬を乗り換える手筈の最初の街へと辿り着く。魔物の侵入を防ぐ外壁は各街や村ごとに大小異なれど施されており、街の正面に位置する門に着くと開かれたそこへ立つ門番の姿が見える。

 街の門は普段は常に開かれており、魔物の接近によって閉じるようになっている。今回の魔物はここよりさらに国境付近の街への出没であり、ここでは門が開かれたままだ。

 速度を落とし、門に近付くと騎士団の旗を目にした門番は慌てて詰所にいたであろう上官を呼びに行き、着く頃には出迎えの姿勢が取られていた。

 この国の兵士は騎士団に全員所属する騎士であり、こういった街の警備などもすべて騎士団の担当だ。だが同じ騎士ではあるものの、王都勤務のカインらと地方勤務の彼らとでは地位が違った。

 

「王命が下った。継ぎ馬の用意を」


 カインがそう言うと、恭しく頭を下げたこの街の騎士は騎士団専用の宿駅へと案内する。そこに続くように命令すると、カインは馬から降りた。

 聖女は既に馬から降りており、遠巻きに門番が憧憬の人が目の前にいることに高揚しているのが見て取れた。彼女は生ける象徴であり、その姿を目に出来たことに喜ぶのは当然だ。

 けれどカインはその不躾な視線からスクートを隠すように立つ。


「馬を潰さない限界で出せる速度は?」


「半日遅れでしょうか。それでも個体差があるので到着にはばらつきが出てしまいます。継ぎ馬も最低でもあと一度は挟むことになりますから、やはり半日ほどは遅れるかと」


 そうですかと、瞼を伏せる彼女の睫毛を見詰めることに、カインはこれこそが不敬だなと視線を外す。

 もう一度目を開けたスクートは、カインへと腰に差した剣を渡す。


「優先順位を変えます。最初にフレズベルクを確保してから預けようと思いましたが、それでは遅過ぎます。あなた達の最優先事項はフレズベルクの確保に移行してください」


 スクートは留め具を外してマントを取ると、手を出していたカインに任せる。

 カインの眉間には皺が寄っていて、明らかに不満があると言いたげな顔をしている。スクートの金の瞳が彼の視線を捉えると、ようやくそれを口にする許しを得たかのように切り出した。


「せめて剣をお持ちいただくことは叶いませんか?」


 スクートは、その身一つで魔物と対峙しようとしているのだ。騎士が剣を手放すことはないが、スクートは騎士ではなく聖女だ。剣に対するこだわりもないので、首を傾げてこう返すのだ。


「また壊したら鍛治職人さんが泣いてしまいます」


 それに、と続けるスクートは自身の手をじっと見ていた。


「魔術付与なしの剣ではあれらの体はおろか、皮膚すらも貫けません」


 まるで自身の拳なら貫けるとばかりに握る手。いやまさしくその通りなのだが、そうなってしまえば彼女の全身は魔物の血に塗れることとなり、あまり好ましいとは言えない。

 血塗れの少女が魔物の死体の山に立つ姿を想像し、カインは頭を振ってそのイメージをなんとか払う。

 民からの反応もあるが、なによりも彼女は女の子であり“人間”なのだからとカインは思ってしまうのだ。

 スクートはそんなカインの心情を推し量ることはしない。スクートにとってカインもまた数多の人間の一人に過ぎず、特別視するような相手ではないからだ。

 だから何が問題なのかも分からない。

 これが大公からの言ならば一考の余地があるのだろうかと、カインは膝を着いて頭を下げた。


「お時間を取らせてしまい、申し訳ありません。スクート様、あなたの無事を祈っております」


「ええ、あなたの祈りを受け取った上で返しましょう。あなた達の無事の到着をお待ちしていると」


 スクートは下げたカインの頭を一つ撫でると、振り返ることなく走り出す。門の下は日陰となっていたが、走り出し陽光の元へと躍り出る彼女の髪の煌めきは眩しかった。

 立ち上がるカインの手の中には彼女の剣とマントがあり、それを託されたことにさえ喜びを感じてしまう自身が情けなかった。彼女にとってカインは単なる護衛騎士に過ぎず、彼である必要性はない。

 その事実を噛み締めながら、ようやく彼は思考を切り替える。

 彼女は恐らく到着と同時に魔物の討伐に取り掛かるだろう。その身を削られながらも止まることなく蹂躙し、血肉を浴びて魔物よりも魔物らしい風体で街を救ってみせるだろう。

 人々が聖女の姿を“正しく”認識する機会は少なく、多くの場合は早々にカインや他の騎士の手によって隠されているのだ。血を浴びればすぐに魔術によって目眩しをかけ、肉が抉れていれば自身のマントを掛けてやり、文字通り隠して来たのだ。

 だが、今回のように単独で先行するとなればそれが難しい。聖女の足は馬の足を上回り、例え速度上昇の魔術を施したところで、1分も経たずに置いて行かれる。

 自身のマントを翻し、疲れ切って息を吐く馬にもう一度跨る。首筋を撫でながら、カインは宿駅まで頼むと馬に告げると馬はゆっくりと歩き出す。

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