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 少女は馬に乗りながら先頭を走っていた。柔らかい陽射しが逸る熱を浮かすなら、穏やかな風が頬を撫でて冷静さを説く。

 先導者の後ろへ続くのは、彼女の護衛騎士が選んだ精鋭たちである。

 街を大きく取り囲む城壁の唯一の門を抜けてから、出来る限りの速さで馬を走らせていた。

 城下の街から離れて行けば行くほどに長閑な風景が広がり、次の街へは半日ほどかかる見込みだ。すれ違う荷馬車は行商人が主で、騎士団の旗を見るやいなや率先して道を譲ってくれるのは、その鬼気迫る勢いから逃げたい気持ちも含まれているのだろう。

 少女の護衛騎士――カインの話では、目的地まではどれだけ馬を飛ばそうとも片道2日以上はかかるそうだ。その間にどれだけの人や街に被害が出るのかは魔物次第だ。

 逸る気持ちを抑え、常と変わらず感情の乏しい表情で先を見据える少女に、カインが馬を寄せる。


「スクート様、予定地を過ぎましたらどうぞお先に。我々も全速力で追い掛けますが、貴女様には遅すぎましょうから」


 スクートと呼ばれた少女は、そう言って並ぶ彼へと目を向ける。

 スクートの護衛騎士となってからというもの、彼は表に出にくい彼女の心情を掬うことに長じ始めた。それもそのはずで、彼はスクートが赴く地には必ず伴っており、全ての橋渡しも彼を通して行われる。

 接する機会が多ければ自ずと視線一つで心情を察することは出来ようと、彼は騎士団員たちにも胸を張っているのだ。

 カインにとって聖女であるスクートの護衛騎士を任せられているのは誇りである。たとえそこに雑用紛いなことも含まれていようとも、彼女を支える微力にでもなれるなら、この上ない栄誉と考えているのだ。

 心酔している、とはカイン自身も自覚がある。

 だが騎士として、戦いへと身を置くものとして、彼女に焦がれずにはいられない者はないだろうと言うのがカインの本心だ。

 スクートの金色の瞳が向けられじっと見詰められれば、その麗しき顔立ちに思わず喉が鳴る。綺麗だと、任務中でありながら雑念が混じるのもまた仕方がないだろう。


「カイン、あなたのおかげで私の憂いは晴れます。あなたには救われてばかりいますね」


 スクートは滅多に表情を変えない。

 しかし、時折ふわりと微笑むことがあるのを知っているのは、騎士団であり彼女の直接指揮する王都勤務の者たちだけだ。

 いつもは無機質とも見える金色が、柔らかく細められれば、背後で見ていた騎士たちの士気が上がるのは当然のこと。

 突然雄叫びを上げ出す騎士たちに、いつもの無表情で不思議そうに首を傾げる聖女の姿は、カインにとっては見慣れたものだ。


「いいえ、スクート様。そのような勿体なきお言葉は俺のような者には相応しくありませんよ。俺たちはあなたに救われているのですから。感謝のお言葉をいただけるだけでも、俺にとっては喜びなのです」


「あなたはいつも私の言葉を素直に受け取ってくれないのですね。素直じゃないのはジル様だけで十分ですのに」


 前を向く少女が少しだけ拗ねているかのような口調をしたことに、カインは苦笑を零してしまう。

 聖女は人形のようであるが、決して人形ではないのだ。

 背後から野次を飛ばす騎士たちを睨み付け、カインは先ゆく上官の背中を追い掛ける。


「俺如きを大公閣下と並べてはいけませんよ」


 苦笑混じりにそう言うカインは、脳裏に大公の姿を浮かべる。

 彼は建国以来この国の大公として変わらないという。王族の代が代わろうと、彼は老いることも死ぬこともなく、この国の大公で在り続けている。

 彼は深緑の髪に新芽のような瞳。柔和なその顔立ちとは裏腹に、永い時を生きる者であるその出で立ちには畏怖を覚える。

 長命種はこの世にいるが、果たして彼はいつの時代から生きている者なのか。その答えを知るものはこの国にはいないのだ。

 そしてクルムノクス大公――ジル・アルクスは、代々の聖女の後見人でもある。

 聖女の出自は誰も知らされていない。

 だが新しく生まれた聖女は彼の腕に抱かれ、民の前で聖女であることを宣言され聖女となるのだ。


「同じですよ。私にとっては同じです」


 スクートは後方に手を伸ばす。

 察した騎士の一人が単眼鏡を手渡すと、彼女は前方を覗き込む。カインの目には何も見えないが、同じように単眼鏡を覗いてもやはり何も無い。

 聖女の五感は人のそれを遥かに凌駕し、見えないものまで見えるのだ。

 

「北上した魔物の1匹でしょうか。大森林より出ることの無いはずの種ですが、恐らくまだ幼体なのでしょう。誤って出てしまい、他の魔物が進行する方が森だと勘違いして飛んでいるようですね」


「飛行型......フレズベルクは繁殖期を終え幼体と成るには頃合でしょうか」


 スクートは小さく頷き、単眼鏡を降ろす。

 何も言わず速度を上げた彼女について速度を上げる騎士たちに、少女は馬の速度を上昇させるようにと告げる。

 騎士が詠唱を始めると大気中の魔素が集まり、騎士の体内へと取り込まれる。魔素は本来人の目には映らないものだが、聖女は見えないものの気が集まるのを感じて目を伏せる。

 周辺にある魔素は騎士の体内の魔力と結合し、やがて魔術を編む糸となる。それは術者の体から馬へと付与され、馬の速度が急激に上がった。

 聖女であるスクートは魔術を使えないため、カインによって施された馬の手綱を握り締めれば頬に当たる風が鋭くなる。

 馬にも体力の限界値はあるが、本来底を尽きる頃に着くはずの街へはもっと早く着けるはずだ。そして馬を乗り換え、次の街を目指してを繰り返すことで目的地に向かうのだ。


「あの、せ、聖女様......」


 不意におずおずとした、やけに及び腰な声が後方から上がる。

 カインとは長年の、といっても人より少しだけ接する機会が多いだけの付き合いがあるからか、何の気なしに話している。しかし、他者からしてみれば聖女とは尊い者であり、その瞳に映るだけでも光栄だと思われているのだ。

 だからこそ自身らを率いる上官だとしても、おいそれと言葉を掛けようなどとは思わない。カインとの会話を漏れ聞いて遠くから野次を飛ばすくらいが精一杯なのだ。

 まして、話し掛けてきたのはつい最近地方勤務から上がり、ようやく王都勤務になったばかりの者だ。声を掛けるのは不敬だと思いつつも、王都勤務先輩方の刺すような視線に震えながらも、絞り出すように声を上げた。

 震える姿は一見頼りないが、王都勤務な上に彼女の小隊編成にも抜擢されるくらいなのだから、腕自体は相当立つのだろう。けれど、どうしたって彼女の前では情けない姿になってしまうのは、憧憬の存在を目の前にした者だからだとしか言えまい。


「え、と......」


 スクートは、彼の名前を呼ぼうとして見慣れぬ顔だということに気付いた。

 言葉を詰まらせると、カインが彼の名を補足する。


「キールです。ラタクの出身で、ふた月ほど前より王都勤務になりました」


 優秀な護衛騎士は、彼女の表情が感謝に少しだけ明るくなったのを感じた。

 キール、と呼ばれる青年は聖女に見られるのを落ち着かないとばかりに視線をうろつかせる。それでも名を呼ばれると不自然なほどに姿勢を正してまた震え、スクートはその姿が護衛騎士に選ばれた最初期のカインと重なって見えた。


「キール、そうかしこまらないでください。それではあなたのお話をきちんと聞けないですよ」


 他の騎士からもシャキッとしろだの、恥をこれ以上晒すなだのと散々な言われようだ。

 スクートの困惑を感じたのか、カインの静かにの一言で野次は止まるが、全員の視線がキールの背中を射抜かんばかりに注がれている。


「うっ、す、すみません! ......聖女様にお、恐れながら申し上げます」


 かしこまるなと言われたところで、早々に直るものでもない。

 上擦った声のキールは未だに恐る恐るという面持ちだが、意を決したように少女に目を合わせた。金色の瞳と重なり、すぐに逸らしたがキールの心音は高鳴り頭に響くほど爆音を奏でている。

 変に心拍数が上がったせいで言葉を詰まらせていると、護衛騎士であり実質的な騎士団長のカインからも急かされて俯いたままに声を上げた。


「あ、あの、フレズベルクを、こ、殺さないで欲しい、です......」


 討伐のために出ている騎士が、討伐対象を殺すなというのはおかしな話である。キール自身もそのことは十分承知しているが、言葉尻が弱くなる中なんとか言い切った。

 当然カインの目は厳しいものとなり、背後からの視線も先ほどよりも数段鋭くなる。

 肩を竦めて震える彼に、スクートの表情は相変わらず変わりはしないものの、真意を探るようにその瞳がキールを捉える。


「――私は、私たちは王命によって動いています。そのことは理解していますか?」


 口調は常と変わらず淡々としたもので、それを責められていると感じるならばキールの罪悪感からくる錯覚だ。

 何度も頷く彼にスクートはカインに手を上げると、厳しかった目が少し和らぐ。そしてカインは風避けのためにと前に出る。

 カインが口を挟めばスクートの意見が言いづらくなり、彼女自身ではなく聖女としてしか言を述べることが出来なくなる。カインは彼女の護衛騎士としてあるのはもちろんだが、彼女を人と繋ぐ役目をも担っている。

 だからこそ、報告すべきではない事柄を聞いていないという体にするのだ。聞いていなければ、報告など出来ようもないのだから。


「では、フレズベルクを逃がす理由をお聞かせください」


「は、はい! えっと、僕はラタク出身で、ラタクではフレズベルクは魔物だけれど、加護をもたらすものとされているんです」


 フレズベルクは巨大な鷲の姿をした魔物だ。

 彼らはユラーシアの樹と呼ばれる森の深奥に生える大樹に巣を作り、森から出ることなく暮らしている。彼らは大樹の守り人でもあり、その樹から離れることがないからだ。

 基本的にフレズベルクは気性の穏やかな魔物であり、怪我をしているかユラーシアを傷付けようとしない限りは人間を襲うことはない。とはいえ、森から出てしまえば魔物は魔物。人間にとっては恐怖の対象でしかない。

 ラタクには恩恵をもたらすだろうが、人間に危害を及ぼさない存在ではないのだ。


「ユラーシアの花は私たちには欠かせないもの。ですが、ラタクを尊重し他の領土の民にもそれを求めるのには無理があります。フレズベルクを尊ぶのは、あくまでも森から出ずに象徴で在り続けている間だけです。ひとたび人の住まう地へと降り立ってしまえばただの魔物です」


 フレズベルクが起こす風はユラーシアの種を運ぶ。種は風に乗りラタクに芽吹き、やがて花を咲かせる。

 ユラーシアの花は美しい純白の花で、それは薬草として多くの薬品の中に入って出回っている。種はラタクでしか芽吹かず、花はラタクの特産品だ。

 辺境でもあるラタクの特産品は、唯一と言っていいほどの収入源で、彼らの生活はユラーシアの花の恩恵が大きいのだ。

 キールはその事実を理解していたが、いざ聖女としてフレズベルクには生かす余地無しと言われてしまえば絶望的な気持ちになる。ラタクの民にとってフレズベルクは欠かせないものであり、王や聖女の次に敬って然るべき存在だとされている。

 そんな故郷の象徴を、この手で討伐するしかないのだと言われてしまえば途方に暮れる。もしも故郷でキールがフレズベルクを討伐したなどと知られてしまえば、彼は恩知らずだと罵られることだろう。

 騎士として国に貢献することに躊躇いはないが、かといって故郷の教えを破ることに躊躇わずにはいられない。

 だから意を決して聖女にその旨を進言したのだが、彼女は国の意思から反することはないと告げる。

 キールの背後にいる騎士たちは、その見るからに絶望する背中に同情の目を向ける。騎士たちも、ラタクがフレズベルクに対して友好的であることを知らなかったわけではない。

 しかし、これはあくまでも王命であり、私情や一領地の意向を聞いていては更なる被害を生むだけだ。

 まだ歳若い彼が自身の役目と今までの人生を天秤にかける姿は、先輩としては励ましたくなるものだ。憧憬の聖女へと不敬にも声を掛けたことは水に流し、落ち込む彼に騎士たちはわざとらしくも陽気な声を掛ける。


「心配するな。お前が手に掛けるわけではないし、お前が必要な場面は来ない。なぜなら俺がお前より先に剣を抜くからだ」


「いいや、俺が先に抜くからお前の出番も来ないな」


「あ!? じゃあ俺はさらにその先に抜くね!」


「いやいや、こちらは今から抜きますが?」


 血気盛んに勇猛果敢な彼らは、キールに落ち込むことは無いと言う。キールがフレズベルクを手に掛けることはないのだからと。

 元より結束力の高い騎士団だが、共に任務にあたればその仲はさらに深まるもの。

 聖女であるスクートはその輪には混ざれない。彼らと自身は違うのだからと、割り切って前を向く。

 カインは今もなお、何も聞こえていなかったとばかりに背を向けている。


「カイン、北上中の魔物は“6体”でしたか?」


 馬の速度を緩め、横に並ぶカインはちらりと後ろへと視線を流して溜息を吐く。そこにはキールが先輩騎士たちに励まされている姿がある。

 カインは聞こえなかった体を取っていただけであり、実際に聞こえなかったわけではない。最初から最後まで聞こえた上で、少女が何を口にするのかは既に予見できている。


「はい、6体です」


「そうですか。6体も侵入したとあれば相当混乱していたことでしょうね」


「はい、街の外壁は破壊されて家屋等の被害も大きいです。避難民の誘導と魔物の足止めに騎士はその人員を大きく割き、騎士の中にも多数の負傷者が出ているので、状況判断は“必ずしも正常”であったとは言えません」


「では、きっと“たまたま”大きな鳥が空を飛んでいるのを、魔物と勘違いしてしまうこともあるでしょう」


「そうですね。魔物は並の生き物よりも大きい個体が多いため、発育の良い大きな鳥が“偶然にも”頭上を飛んでいたら、状況も相まって魔物に見えることもあるでしょう」


 聖女と護衛騎士はお互いの顔を見ることなく、前を向いたままにそんな話をする。

 その光景に後ろに続いているキールは目を丸くする。先輩騎士は既に理解しているのか、キールの肩を軽く小突いて笑顔で言った。


「フレズベルクなんてそもそも森を出ていなかったって話さ!」


 キールにはその言葉を正しく理解することが出来なかった。

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