Stage3-24 未来永劫、この命が尽きるまで
「馬鹿な……馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な……!」
地面へ押しつけられている私は目の前の光景が信じられなかった。
あのクリス・ラグニカにガキが勝っただと!?
いや、それだけじゃない! 全魔力を注ぎ込んだ私の【心操洗脳】が解除された……?
平民を何十人も同時に操れるほどの魔力量だぞ!? それを超える魔力量……そんなのフローネ様しか見たことがない。
これはいったいどういうことだ……!
私は何か悪い夢でも見ているのか?
「ふっ……どうやらこの勝負、私の息子の勝ちのようだな」
「ゴードン・ヴェレットォ……!!」
「本来ならこのままお前を監獄まで連れていくところだが……今回はその前に息子たちがいいたいことがあるみたいだ。応えてやるのが情けない私ができる数少ない償いだろう。ほら、立て」
「うぐっ!」
奴は私の腕の関節を極めながら、階段を一段ずつ下ろしていく。
くそっ……! 魔力さえ、魔力さえ切れていなければこんな奴……!?
全身に注がれた強烈な殺気に思わず思考が遮られる。
……この感覚、覚えがある。
忘れもしない。フローネ様と戦場で出会った時と同じだ……。
同じだけの殺気を目の前のガキが放っている……!
「何が起きたか理解できていないといった顔だな、ジューク・アンドラウス」
「ひいっ!?」
気圧されるような低い声で名前を呼ばれて、思わず悲鳴をあげてしまう。
……あぁ……わかった……。今ので本能が理解してしまった……。
このガキもフローネ様側の人間で、私とは違う神に愛された男なんだ……!
すぐに頭を垂れて、地面へとこすりつける。
「お、お許しください! 私は、私はフローネ様に指示されたとおりにやっただけでして……」
「……本気でそう言っているのか?」
「ぐえっ……!」
ガキが近づいてきたと思うと、襟首を掴まれて持ち上げられる。
「く、苦しい……! 首が絞まる……!」
「そうか。苦しいか。だが、お前が与えてきた苦しみはこんなものじゃないぞ」
徐々に締め付けが強くなり、目がチカチカし始める。
く、苦しい……息を……息をさせて……。
「お前が相手を人間扱いしないなら、俺だってお前を人間扱いしない」
苦しさから解放されたと思うと、浮遊感を覚える。
何事かと下を見れば、体が浮いていた。
……いや、違う。上空へ投げられたのだ――と理解したときには落下が始まっていた。
「――歯を食いしばれ、ゴミ野郎」
「ふべらぁっ!?」
顔面に走る強烈な一撃。
鼻の骨と歯が砕ける感触がして、吹き飛んだ私は壁にたたきつけられた。
「いだい……! いだいよぉ……!」
なんで、なんで、俺がこんな酷い目に遭わなくちゃならないんだよぉ!
口の中が血の味しかしなかった。ボロボロと折れた歯が舌の上にこぼれる。
この力……や、やっぱり……人間じゃない。
私は別の神様に逆らおうとしていたんだ……!
殺される……このまま私は殺されてしまう……!
「ゆるじて……もうゆるびてくだふぁい……」
近づいてくる神様の姿を見て、私は精いっぱい許しを請う。
何度も何度も頭を下げて、まともに出ない声を絞り出して謝罪する。
だけど、目の前の殺気は一向に収まる気配がなかった。
「……お前を許すかどうか……それを決めるのは俺じゃない。――
キンと 剣が抜かれた音がする。
その瞬間、ネジが外れたかのように涙がこぼれだした。
し、死ぬ……そんなの絶対に殺される……!
「私を見ろ」
「あがふっ!?」
顎を蹴り上げられて無理やり顔を上げさせられる。
「……私がお前に望むことはただ一つ」
そこには本物の鬼がいた。
「おぐっ……ぶほぉ……おえぇぇぇ……!」
激痛と恐怖の連続で胃から逆流した 胃液を床にぶちまける。
意識が遠くなる。
も、もういい……。早く殺してくれ……。
苦しいのは嫌いだ……痛いのは嫌だ……。
……あいつだ。あ、あいつにさえ出会わなければ……フローネになんか会わなければ平穏に暮らせていたのに……!
ひんやりとした金属の感触が首筋に感じられる。
もう痛みで、何もかもグチャグチャで頭がおかしくなっていたのに、なぜかこれからされることはすぐにわかった。
首筋から冷たさが離れ、目に映るおぼろげなシルエットが動く。
直後に何が起きるのか理解した体は震えて、緩くなった股間から温かい液体が漏れ出た。
「地獄で、己の罪を懺悔しろ」
黄色い湖を作りながら、私は自分の最後を悟った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
黄色が混ざり合った湖が床に広がる。
そこに
「……本当にいいのか、アリス?」
「……はい。この剣を汚してまで切る価値もない男でしたから」
浮かべる笑顔はどこか憑きものが落ちたみたいに柔らかいものだった。
「ありがとうございました、オウガ様。私の長年の目標を果たすことが出来ました」
「そうか……。それはよかった」
彼女がそういう選択をしたのならば、俺からは何も言うまい。
……アリスが洗脳されていたとき、発していた言葉から察するならば……リリー総隊長はアンドラウスによって操られて最期を遂げたのだろう。
だから、アリスはアンドラウスの存在を知った際に単身で突入した。
その結果、尊敬する上官と同じように操られてしまったのは彼女にとっては最大の屈辱だっただろうに。
実際、己の復讐相手だった男に洗脳までされたなら、命を奪うくらい当然の権利だと思う。
しかし、俺は彼女の決断を尊重する。
ここで俺が意見を歪めてしまっては、アンドラウスと同じく操り人形にしているのと同義だからだ。
……だが、ここからは話が変わってくる。
本来ならばこれにて一件落着……なのだが、そうは問屋が卸さない。
俺にはもう一つ、これから重大なミッションがある。
「……話は変わるが、アリス。お前がやるべきことはわかっているな」
「はい。――私の命を持って全ての罪を償わせていただければと思います」
この覚悟ガンギマリメイドを説得して、連れ帰るという最も大変なミッションが。
「違う、そうじゃない」
「いいえ、これしかございません。オウガ様に黙って単身行動をし、あまつさえ迷惑もかけて、なによりオウガ様に刃を向けてしまった。従者として失格レベルではありません」
なんで変な方向に突っ走るんだ、お前は。
アンドラウスが死んでいないのに、お前が死ぬなんて結末は絶対に俺は許さないぞ。
「全て俺たちに迷惑をかけまいとした行動の結果だろう?」
「……いいえ、すべて私情のために動いた結果、招いた過ちばかりです」
それに、と彼女は続ける。
「私は拾っていただいた恩がありながらもオウガ様のメイドを辞めた身。これ以上の我が儘など到底自らを許せません」
「俺のメイドを辞めた? それはどういうことだ、アリス」
「……使用人寮の自室の机に辞表を置いてきました」
「辞表……それはこれのことか?」
そう言って、俺はポケットに忍び込ませていた便せんを取り出す。
「なるほど……『暇をいただきます』か、なるほど……」
俺はそれを宙へと放り投げた。彼女に選択をさせるために語気鋭く言い放つ。
「斬れ、
「っ!」
俺の言葉に反応した彼女は迷う素振りさえ見せず、剣を抜いた。
一瞬の剣閃。
バラバラに切り刻まれたそれはヒラヒラと散って湖へと着水し、もう文字も読めない。
そんな辞表があった証拠はどこにもなくなった。
「クックック……どうやらお前の心は辞めたくないと言っているみたいだぞ」
俺の言葉にアリスは目を見開く。
「わかっていないみたいだから教えてやろう。……いまアリスがすべきことは俺の文通の質問に対して本心での答えを返す。それだけだ」
「……オウガ様」
「質問を忘れたなんて言わないだろうな」
「……まさか。これまで片時も、これからも忘れることのないお言葉でした」
「だったら、それに対してお前が思った気持ちを素直に教えてくれたらいい」
「……いいのでしょうか。私のような不届き者で」
「お前しかいないんだ。俺の覇道を切り開ける剣はな」
そう言って、アリスの頭をそっとポンポンと撫でた。
「……わ、私は……私は……」
ポツリ、ポツリと彼女から涙のしずくが流れ落ちていく。
彼女と出会い、契約をした日を思い出す光景。
震える声。続きが紡がれるまでずっと待つ。
「未来永劫、この命が尽きるまで――私の剣をオウガ様の為に振るうことを誓います」
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