Stage3-22 兆し

「……はぁ……はぁ……」


「オウガ君! 大丈夫ですか……?」


「……あぁ……助かった」


 血を失いすぎて視界がくらむ。頭がクラクラする。


 胸骨はぐちゃぐちゃに砕けたか? だが、レイナが必死に【回復】をかけてくれたおかげで吐き気を催す痛みだけで済んだ。


 攻撃を受ける直前に発動した通常の【限界超越】で気を失わなかった自分を今だけは褒めてやりたい。


 確かに状況は俺たちが圧倒的不利に映るだろう。


 だが、俺からすればたったこれだけの被害で、あのアリスの太刀筋を目に焼き付けること・・・・・・・・・が出来た。


 その事実が俺に希望を与えていた。


「……まさかこの技を食らって生きているとは……想定外だ」


 驚いた表情を見せる彼女。


 ……やはり忘れているんだな。洗脳されていたならば、所詮は操られているだけの人形か。


「……一つ、訂正しよう」


 膝に手をつき、ゆらゆらと立ち上がった俺はビッと奴を指さす。


「確かにお前はアリスじゃない。正しくクリス・ラグニカだ」 


 アリスの剣を磨いてきたのは人を思う優しさからくる『正義』を執行するためだ。


 誰かを助けるため『悪』を斬る。そのために日夜、剣を振って今の実力を得た。


 ただ操られるままに剣を振る――そんな彼女の気持ちが乗っていない斬撃なんて、日頃のアリスに比べれば全く怖くない。


 目の前の女はただアリスのスペックを使えるだけの偽物。


 確かに殺気はすごい。だが、本気を出していなかったアリスの【残影空々】の方が重く、俺に鮮明な恐怖を抱かせた。


 だから、さっきの【残影空々】は本物からしか斬撃が出なかった。


 俺の理性が本能を説き伏せ、恐怖を打ち払ったから。


「初めからそう言っているだろう。いまさら、なにを……」


「ラグニカ! さっさと殺してしまえ!」


「はっ! 我が主!」


 ふと上を見やれば声を荒げるジューク・アンドラウスとジッとこちらを見つめる父上の姿があった。


 クックック……アンドラウスにでも連れてこられたかな。


 しかし、あの老骨……焦ったな。


 ここで俺たちが死ぬと判断したのか知らないが、命令を下して自らがアリスを洗脳した張本人だと露見させた。


 ……そうか、あいつか。あいつがアリスの誇りを汚したか。


 彼女が俺の剣になると誓ったあの日からアリスは俺のものだ。


 彼女の悪を恨む感情も。振るう正義の剣も。穢れなき誇りも。全て含めて、俺のものだったんだ。


 それが誰かの人生を背負う悪役としての矜恃だと思うから。


 そんな覚悟さえ持たず、【洗脳】という楽な手段でただの道具として扱う? 


 あいつがやった行為だけは絶対に許さない。


 俺は女人形に向けていた指を安全圏から鑑賞している老害へと移した。


「次はお前だ。そこから動くなよ」


「その言葉は無意味だ、侵入者。お前は今度こそ死ぬ」


「そういうのは人を殺してみてから言ってみろ」


「強がりか……? 次はその体をバラバラにしてやる!」


 アリスが再び【残影空々】を放つための殺気を解き放ち始める。


 俺はそばにいたレイナを巻き込まないようにゆっくりと押し退けた。


「……レイナ。あとは俺に任せてほしい」


「……大丈夫なんですね?」


「心配いらない。全く負ける気がしない」


 そう告げると、彼女は納得した様子で俺とアリスの射線上から退く。


 ここからは俺と彼女の語らいの場だ。俺たち二人だけが参加を許された聖域。


 俺は知っているぞ、アリス。


 お前の信念は、こんなちゃちな【洗脳】ごときに負けるほど弱いものじゃないと。


「今すぐ起こしてやるからな、アリス……!」


「……しつこい男だ。言っているだろう? 私の名は――クリス・ラグニカだ!」


 力にものをいわせた斬撃による衝撃波が一直線に伸びてくる。


 彼女を目覚めさせるためには、まず触れないと始まらない。


 ならば、俺が取るべき選択は踏み込む一択!


「【限界超越ギア・チェンジ ごう】」 


 全身から一気に魔力を右腕に流す。


 膨大な血液と魔力が高速で巡った結果、赤黒く変色した右腕は鋼鉄にも勝る硬度を誇る。


 その分、細胞の損傷も激しい……が、今は他のことなんて考えるな。


 ただ目の前の彼女との語らいに集中しろ。


「【斬刃流きりばながし】!」


 衝撃波にタイミングを合わせて拳を撃ち出す。


 金属同士がぶつかり合うような甲高い音が鳴った瞬間、一気に腕を内旋させる。


 ねじりの力が加わったことによりはじかれて、軌道が逸れた衝撃波は後方へと逸れた。


「奇妙な技を使う……!」


「全部アリスを倒すために日夜考えていた技さ」


 何も実戦練習のたびに彼女に負けていたわけじゃない。


 どうすれば彼女を倒せるかどうか突破口を探っていた。


「――ほら、もうここまで来たぞ」 


 俺の肉体はただでさえ世界によって強化されている。


 そこに右腕に集中させていた【限界超越】の力を両足に移せばどうなるか?


 爆発的な瞬発力を得た俺は床を踏み砕いて、弾丸のようにクリス・ラグニカに迫っていた。


「【魔術葬送デリート】」


 下から突き上げるように右腕で掌底を放つ。


 対してクリスは手が体に触れないように剣で受けようとした。――のを見て、左手で右腕の動きを止めた。


 これによってクリスのテンポが一つ狂う。


「っ!?」


 攻撃が予想のタイミングに来なかった場合、ほんのわずかながら隙が生まれる。


 想定外の事態に脳が処理の時間を求めるからだ。


 それにこの左手の役目はただテンポを狂わせるだけじゃない。


 右腕の動きを抑えることで溜めを作った。これによって解き放たれた右腕の速さはさらに加速する!


「【魔術葬送】……!」


「がはっ……!」


 間隙を縫った掌底がクリスの腹部へと突き刺さり、ぶっ飛ぶ。


 お前の意識がアリスにあったならば、この攻撃は防げただろうよ。俺という人間がどんな手を使って攻撃してくるか、知っているからな。


 だが、今のお前はクリスだ。


 初見相手ならば、通じるフェイントもある。


 さぁ……問題はこれで彼女が帰ってくるか?


【限界超越】と【魔術葬送】を同時に使っているため、十全の魔力をたたき込めなかった。


 しかし、少しでも効果があったのはすぐにわかった。


「うっ……ぐぅ……!」


 今までに無い様子で苦しみ始めたクリス。


【魔術葬送】によって【洗脳】の力が薄れて、内なるアリスが目覚めようと抵抗している。


 ならば、俺にできるのは拳を通じて、彼女に語りかけることだ。


「アリス! いつまで寝ているんだ!? 好き勝手に操られたままでいいのか!?」


「操られ……? ……違う。私はクリス・ラグニカ……ジューク・アンドラウス様の……剣」


「……まだ足りないか」


 いいさ。お前が目覚めるまで何度だって、俺は拳を叩き込んでやる。


 アリスに俺の未来を信じてさせてくれたこの拳でな……!


「疾っ!」


「くっ……!」


【洗脳】が解けかけている影響か、クリスの足取りがおぼつかない。 


 今のうちにたたみかける……!


 再び接近した俺はマシンガンのように両拳をフルに使って、アリスへと殴りかかった。


【限界超越・剛】によって強化された右手で防御をこじ開けて、左手でアリスの体に【魔術葬送】を打ち込む。


「今のお前の太刀筋なら、俺はいらない! こんなにももろくて弱い剣なんて信じられないからな!」


「黙れ! 私はリリー総隊長の後を継いで……継いで……私は? 奴を討つと……」


「リリー総隊長! そうか、お前の憧れの上官の名前か! しかし、悲しいだろうなぁ。剣を託した相手がこんなにも弱い奴だったなんて」


「ち、違う! リリー総隊長は最後……そう最後、死ぬ前に笑いながら……なんで? あれ? どうして総隊長は死んだ……?」


 よし、いいぞ……! 


 たとえ一撃の威力が低かったとしても何度も繰り返せば【洗脳】の効果は薄れていく。


 アリスの意識が徐々に戻り始めていた。





◇【悪役御曹司の勘違い聖者生活】コミックス1巻はいよいよ明日発売!◇

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