Stage3-17 『私の騎士となれ、クリス・ラグニカ』

 あの日から『悪』を憎み、剣の鍛錬を続けながら私はアンドラウス家の悪事を暴くために時間を捧げた。


 ようやく尻尾を掴んだが、そのときに奴らと私は同じ舞台に立っていないことに気づかされた。


 ……結局、私はリリー総隊長の敵を討つことが出来ず、聖騎士団すら追い出されて地下闘技場に身を落とした。


 除名を言い渡されたときの絶望は決して忘れない。


 唯一の支えだった敵討ち――悪徳貴族たちを裁き、リリー総隊長の残してくれた任務を遂行することすら出来なかった自分に私は半ば自暴自棄になっていた。


 そんな私を掬い上げてくださったのがオウガ様。


 オウガ様に出会わなければ私は何事も為せずに、地獄への道を歩んでいったと思う。


 だが、未来は変わった。運命の女神は私へと微笑んでくれた。


 こうして再びあだを討つ機会を与えてくれたのだから。


 馬車で移動して、数時間。もう少しすれば夜も完全に明ける。


 無事にアンドラウス領に入った私は馬車を降りて薄暗い街並みを歩き、指定された場所――ジューク・アンドラウスの屋敷へと向かう。


「……それにしても酷い街だ」


 ヴェレット領とは真反対。この時間になればすでに働き出している領民がいるのに、ここは明かりがどこもついていない。


 それだけじゃなく家もオンボロ。修復されていてもつぎはぎだらけの素人作業。


 決して街が富んでいるとは思えず、どれほどの重荷を領民に背負わせているのか……アンドラウス家の悪政がよくわかる。


 やはり奴は生かしてはならないという思いが強まった。


「……ここに奴がいるのか」


 さきほどまでの領民たちの家が嘘だったかのような豪邸。


 まるで闇に紛れるように黒塗りされた屋敷を見て、悪徳領主にお似合いだと鼻で笑う。


「……見ていてください、リリー総隊長」


 扉に手をかけ、グッと力を込めて押し出した。


 勢いよく開かれた両開きの扉。


 注意を払いながら足を踏み入れると、一気に灯ったきらびやかな明かりが屋敷中を照らす。


「……?」


 眩しい光で暗闇になれた目をくらまして攻撃してくると思ったが、襲撃の様子はない。


 次第に光になれてくるとまず目に入ったのは規則正しく置かれた丸テーブル。


 ずらりと両端の壁に沿って並んだ燕尾服の男たち。


 まるで今からパーティーが開かれる会場みたいだ。


 そして、その主催者は私の目の前――中央に立っていた。


「約束通り、一人でやってきたみたいだねぇ、クリス・ラグニカ」


 丁寧に揃えられた紫色の髭を撫でながらニタニタと笑う痩せた老骨。


 骨が浮き出るような体になっても未だに野心が潜んでいる瞳。


 人を馬鹿にするように半月に歪むその目を私は忘れたことはない。


「……ああ、お望み通り殺しに来てやったぞ、ジューク・アンドラウス」


 私は剣を抜き、その切っ先を奴へと向ける。


 こいつは、こいつだけは必ずこの剣で斬らねばならない。


「またお前の顔を見る羽目になるとは思わなかった。これも因果かね。どうも私たちは縁があるらしい」


「安心しろ。その縁も今日で断ち切れる」


「そう邪険にするな。綺麗な顔が台無しじゃあないか」


「貴様に褒められても微塵も嬉しくないな」


 ……ここに出てきている以外に潜んでいる気配は感じられない。


 間違いなく奴の用意した主戦力がこの場に集まっている。


 両端に待機する黒服たちはみな頭を垂れて、背を丸めている。なんとも不気味な光景だ。


 だが、肌に感じる実力は私に全く及ばない。それこそ一般市民と言われても驚かないほどに。


 何度も読み返したリリー総隊長の残してくれた資料を思い出す。


 ……この男に魔法適性はなかった。


 それなのにこの余裕はなんだ? 絶対に何かがある。……それこそ、リリー総隊長を陥れた卑劣な策が。


「どうした? 自分を蹴落とした憎き相手に復讐に来たんじゃないのかぁ?」


「……私がお前を斬るのは私のためだけじゃない」


 だけど、それがどうした? 隠し球を持っているならば、策ごと切り捨てれば良い。


 そのために私は剣を磨いてきた。


 力を溜めるべく上段に剣を構える。


「これまでお前が陥れた全ての人間の無念を晴らすためだ!」


 ――そして、命を刈り取る斬撃を解き放った。


「【斬華散撃】!!」


 三方向からの高速の斬撃が全てを切り裂く衝撃波を生む。


 武芸もない。魔法も使えない老体でどうやって切り抜ける!


「――『壁になれ』」


「なっ!?」


 私とアンドラウスの間に突如として飛び込んできた六人の黒服たち。


 彼らは三つの斬撃を前に立ち塞がり、肉片と鮮血をまき散らして絶命した。


「いったいどうして……!?」


「彼らが望んでやったのではないか? 立派な忠義者たちだ。私は幸せ者だなぁ」 


 薄ら笑いを浮かべるアンドラウスに全く動じた様子はなかった。


 もとよりここにいる彼らは奴の盾というわけか。


 ……しかし、どうも黒服たちの様子もおかしい。


 斬られているのに、どうして悲鳴の一つもあげない。仲間たちもなぜ一切の感情を表に出さない。


『死』へのためらいがなさ過ぎる。


 まるでいくつもの死線をくぐり抜けた戦士だ。だというのに、全く攻撃に抵抗もしなければ、力もあるようには見受けられない。


 矛盾する特徴。


 これならまだ奴に操られていると考えた方が納得でき――――。


「――そうか。……お前か」


 過去に残っていた謎といま起きている謎がつながった。


 意思がないような単調な動き。


 何よりもリリー総隊長の残した言葉。


『……ありが……う、クリス。……私を、止めてくれて……よかっ……』


 あの言葉の真意がようやく理解できた。


「お前が全てやったのか……!」


 初めてだ。心の底から人を殺そうと思ったのは。


 殺す、殺す、殺す!


 リリー総隊長の魂を汚したこいつを許してはいけない。


 この男は私が必ず殺さなければならない。


「いつのことを指しているのかはわからないが……そうだな。昔、お前に似て正義感を振り回していた女がいたなぁ。確か名前は……」


 一拍おいて、奴は悪魔のように嗤う。


「――リリーシェーン・スプライド」


「その名を貴様が口にするなぁぁぁぁ!!」


 遠距離からの斬撃が全て防がれるならば一気に距離を詰めてその首を掻き切る。


 テーブルを踏み台にし、天井まで飛び上がって奴の背後に回った私はそのまま天井を蹴って、一気に剣を振り下ろす。


 不可思議な現象はすべて魔法じゃないと説明がつかない。


 適性を持たないこいつは何らかの方法で魔法を使うことができる可能性がある。


 ならば多角的に空間を使って、魔法の的を絞らせない。


 対魔法使い戦での基本中の基本だ。オウガ様の仮説に寄れば優秀な魔法使いほど身体能力は低くなる。


 怒りに飲まれるな。超接近戦へと持ち込め。


 この男を殺すために冷静に対処する――


「――良い動きだ。流石だねぇ。だが、意味が無いよぉ……『肉壁』」


 また一切の躊躇無くアンドラウスとの間に割り込み、斬撃を一身に受ける黒服たち。


 体が半分にわかれ、血の海を作りだしていく。


「人の命をなんだと思っている!」


「人じゃないさ、こいつらは。私のものだ。ほら、『捕らえろ』」


「…………!」


「……すまない! 【大嵐】!」


 名の如し。その場で大きく回転して、体を押さえようと襲いかかってくる黒服たちを吹き飛ばす。


 こんなことは望んでいない。無関係の人間を斬ることなんて望んでいないのに……! 


「私はね、このときを待っていたんだよクリス・ラグニカァ。リリーシェーン・スプライドの時はよくも計画を邪魔してくれた」


 奴がこちらへ向き直り、自分のまぶたを指で大きく開かせる。


 ぎょろりと動く漆黒の瞳。


 なんだ? 何をするつもりだ……!? 


「これまで多くの魔法使いを倒してきたからこそ、その自信がお前を罠に陥れるのだ」


 奴の言葉を聞き入れるな。全ては私の思考を惑わすための戯れ言。


 おそらく奴の魔法を受けた瞬間、このうごめく黒服たちと同じようになってしまう。


 アンドラウスから放たれる魔法を躱すのが絶対条件。


 瞬きをするな。見ろ。見極めて魔法を処理して、黒服が邪魔できない距離で刺し殺――。


「――しっかりと目が合ったなぁ」


 その瞬間、言い表しようのない恐怖が全身にほとばしる。


 脳が危険信号を全力で鳴らしている。 


 マズい。あの目を見てはいけない……!


 急いで私は顔を背けようとする。だが、それはほんの少しだけ間に合わない。


「【心操洗脳ブレイン・ブラックアウト】――『私の騎士となれ、クリス・ラグニカ』」


 刹那、私の意識は深い水底に沈む感覚に襲われた。

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