Stage3-8 リリーシェーン・スプライド
「ふぅ……今日はいろいろと疲れた……」
ため息を吐きながら、ボタンを一つずつ外していく。
間違いなく肉体的疲労ではなく、精神的に。
まさか自分があんな勘違いをしてしまうとは……。
て、てっきり夜伽を求められているのだとばかり……!
一人で舞い上がって、恥をさらしてしまった。
抱きしめられたときは心臓が飛び出るのではないかと思うくらい、心臓がうるさかった。
おそらく過去の命の取り合いでも、あんなに緊張した経験はない。
「一生の不覚……!」
恥ずかしさに脱いだメイド服を投げ捨てようとして、思いとどまる。
これはオウガ様にいただいたオーダーメイドの給仕服。決して雑に扱ってはならない。
しっかりとしわの残らないように畳んでソファの上に置く。
……きっと昔の私ならば床にでも放り投げて寝ていたのだろうな。
「……ずいぶんと変わったものだ」
取り巻く環境も。私の立場も。
聖騎士団総隊長から場末の闘技場の剣士へと落ちて、四大公爵家、それもヴェレット家に仕える メイドに。 しかも名前さえ捨て、年若い主に従っている。
「……あの人も、今の私を見たらきっと驚くだろうな」
私を指さしながら豪快に笑うに違いない。
……聖騎士時代の記憶を掘り起こした。
ただ私の過去を話すだけなら気にはしない。
だが、今日は脳裏にあの人の影がちらついて仕方がなかった。
オウガ様へと向けるのと同じ憧れの感情を持つ人だったからだろうか。
愛剣について尋ねられたからだろうか。
だけど、私は詳しくはオウガ様にはお話ししなかった。
あえて触れなかったのはわかっているからだ。
自分の蓋をしている感情が湧き出てしまうと。
「……リリー総隊長」
私にこの剣を譲った過去の 上官の名前を呟く。
……今日は夢にでも出てきそうだ。
そんな確信に近い予感を抱きながら、私は眠りについた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ようこそ、クリス・ラグニカ隊員。私はリリーシェーン・スプライド。聖騎士団の総隊長をやらせてもらっている。これからよろしく頼むよ」
「クリス・ラグニカです! よろしくお願いします、スプライド総隊長!」
「あはは、固い固い。リリーでいいよ。うちの隊員はみんなそう呼ぶからさ」
それが【聖戦乙女】として世界に名を轟かせ、人々から憧れを集めていた彼女と初めてかわした会話だった。
リリーシェーン・スプライドとはロンディズム王国で生活していれば必ず一度は耳にしたことがあると言われるほど有名人だ。
貴族の生まれながら『世界のみんなを笑顔にしたい』という信念のもとに聖騎士団へと入隊し、生まれ持った才能で総隊長まで上り詰めたヒロイン。
また【聖戦乙女】と呼ばれるように容姿にも恵まれていた。
戦場で羽のように舞う銀色の髪。
穢れ無き純白の肌。
美しく人々の意識を引き寄せる深紅の瞳。
私は特にリリー総隊長の瞳が好きだった。
ときに鋭くなり、ときに柔らかくなる。確固たる自身の意思を持った瞳が。
天は二物を与えずと言うが、彼女はきっと神に愛された例外なのだろう。
近年はリリー総隊長に憧れて聖騎士団へと 入団する新人 が数多くいるという。
そして、私自身もそこから漏れない彼女に憧れた人間の一人だった。
憧れの人が誰よりも早 い時間から鍛練を行っているのに、まだまだ未熟な自分がやらないわけにはいかない。
あと、この時間ならリリー総隊長と二人きりで練習する時間が作れる。
多くの使命感と少しの欲望を抱えて、私はよく総隊長と早朝の実戦稽古を行っていた。
太陽が照りつけようが、雪が降り積もろうが関係はない。
今日もまた寒風が肌を痛めつけるが、私たちは向かい合い、剣を打ち合っていた。……のだが、今はものの見事に足下から崩されて、空を見上げていた。
「いやぁ、クリスは筋が良いね。教えたことをすぐに吸収するし、これは将来すぐ抜かれるなぁ」
「む、無理ですよ! 私がリリー総隊長を抜くなんて!」
「あははっ。相変わらずクリスはお堅いねぇ。でも、私はお世辞なんて言わない。そうね……じゃあ、こうしよう」
しゃがみ込んだリリー総隊長は私の目の前に自身の愛剣を突き出す。
「もし、クリスが私に勝てたらこの剣をあげよう」
「い、いいんですか!?」
「何か目標があった方がやる気も出るでしょう。それに私は可愛い部下が成長してくれる方が嬉しいから。これからも鍛練に励むんだよ」
「は、はい! 精一杯努力します!! 」
私は大の字で寝転がったまま、快活に笑うリリー総隊長の激励に大声で返す。
当然、敗者は私で、勝者は総隊長だ。
私が総隊長を追い抜く姿など到底想像できない。
今だって、たった一撃しか総隊長には当てられなかった。
次は二発、総隊長に攻撃を入れてみせる……!
「クリス、昇進おめでとう~!」
「あ、ありがとうございます……」
「なに? 照れてるの? 可愛い~」
「そ、総隊長! こぼれます! そんな急に抱きつかれては飲み物がこぼれますから!」
努力と実績が認められ、分隊長への昇進が発表された日。
リリー総隊長は宴だと言って、私を高級店へと連れてくださった。
ここは貴族御用達で有名で、平民出身の私は一人では決して足を踏み入れることが出来ない場所だ。
テーブルに並ぶ料理だって見たことがない品ばかりで……正直、どれから手を着ければ良いのかわからない。
「マナーなんて気にしなくていいのよ。今日は無礼講なんだから、食べたいものから食べちゃいなさい。たくさん頼んだからどんどんやってくるから」
「わ、わかりました!」
目の前の料理から私は平らげていく。
緊張から最初はこんなにも食べられるかと思ったが、一口頬張った瞬間にあまりのおいしさにそんなことは消し飛んだ。一皿、もう一皿と食器を積み重ねていく。
「ふふ……美味しい?」
「えっ? あっ……はい……美味しい、です……」
ニコニコと私を見て笑うリリー総隊長の視線に気がつくと、自分の姿が恥ずかしくなって顔が熱くなる。
憧れの人の前で私はなんてことを……!
「それはよかった。前から気になっていたのよね。クリスって朝も昼も夜もトレーニング、トレーニングで自分から休んだりしなさそうだったから」
「それは……その、それくらいしないとリリー総隊長には追いつけないと思ったので……」
「前も言ったでしょ? クリスはいつか私を抜いていくよ。着実に強くなっている。……だけど、トレーニングだけじゃダメ。たまには他のことにも目を向けてやらないと」
「……そういうものでしょうか?」
「ええ。私の経験上、間違いないわ。一つのことに集中して、視野が狭くなっていく人ほどつまずきやすいの。……だから、クリスはそうならないように気をつけなさい」
「は、はい! 頑張ります!」
「うん、良い返事。これからは部下を持つんだから。トレーニングだけじゃ息が詰まって誰もついてきてくれなくなるわよ」
「うっ……き、気をつけます」
まさに痛いところを突かれて萎縮してしまう。
自分が考えていたスケジュール表はトレーニングでほとんどの日を埋めていたから。
そんな私を慰めるようにポンポンと総隊長は頭を撫でてくれる。
「何かあったら私に相談しに来なさい。遠慮なんてしなくていいから。あなたは私の大切な部下なんだから」
……どうしてリリー総隊長の言葉は、笑顔はこんなにも私の心を温かくしてくれるのだろう。
入隊当時はただの憧れで、決して自分の手が届かないところにいる人なんだと思っていた。
だけど、知れば知るほど大好きになっていく。
リリー総隊長のような人間になりたいと願う気持ちが大きくなっていく。
……やっぱり私が総隊長を追い抜く 姿なんて想像できない。
私はあなたの下で、あなたの部下として剣を振るいたいです。
私の姿が映った大好きな総隊長の瞳は、今日も強さと優しさを兼ね備えていた。
そうやって毎日、失敗を繰り返して。たまに目標を達成して、更新して……そんな日々を繰り返して、三年目に突入したある日。
聖騎士団史上、最大の惨劇が起きた。
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