Stage2-31 その笑顔がいちばん似合う
「……私は自分の生き方がわからないの」
彼女の口から語られた過去は、境遇は俺の想像を遙かに絶するものだった。
俺の想像など児戯に等しい所業の数々。
フローネ・ミルフォンティは英雄などではない。奴の本質は自己中心的で、己のためなら犠牲をなんとも思わない悪魔だ。
「レイナという自己はとっくに消えて……紅茶を淹れることだって自分がやりたいからなのか、先生のためなのか判別がつかない……」
……そうか。通りで俺の言葉が彼女に届かなかったわけだ。
俺が持ち合わせていた覚悟はあまりにちっぽけで、頼りなかった。
「私は……私は先生のためにずっと生きてきた……! 家族も! 普通の人生も! 全部全部奪われて!」
ドンと強く突き飛ばされ、あっけなく尻餅をつく。
己の未熟さと彼女へ投げかけた言葉の想いの薄さが情けなかったから。
「……ねぇ、オウガ君」
「……なんだ?」
レイナは両腕をこちらへと向けている。
「私のことを思ってくれるなら……ここで殺されてくれませんか?」
……そうだよな。彼女の言うとおり。死んだ方がマシだ──
「──断る」
──さっきまでの俺ならば。
そんなことで諦めるほど俺の気持ちだって柔じゃない。
足りなかったならば、今一度覚悟を決め直そう。
レイナ・ミルフォンティの全てを背負う気持ちで俺は彼女に言葉を投げかける。
「俺を殺してもお前は幸せになれない」
「言ったでしょう!? 私の全ては先生のためにあるって! どうしてわかってくれないんですか!?」
「レイナが泣いているからだよ」
心をせき止めていた彼女の仮面はもう役に立たない。
彼女の本心が外へとあふれ出していく。
「な、なんで泣いて……? 私は、オウガ君を倒して、倒さないといけないのに……」
「それは違う。もう自由になっていいんだ」
「違わない……! これが私の意思……そう、きっとそうだから……」
過去に苦しめられた彼女がいちばん過去にすがっている。
それは最後の最後で心に深く植え付けられたフローネへの恐怖心が、レイナを支配しているからだ。
だったら、俺が彼女のためにしてあげられることは一つ。
「レイナ──俺にお前の最大の魔法を撃ってみろ」
ピタリと彼女の動きが止まる。
混乱し、焦点の合わない瞳が俺へと向けられる。
「……ほ、本気で言っているんですか?」
「ああ、俺を殺したいんだろう? だったら、やってみせろ」
「わ、私はあなたの技のからくりも知っている……! この攻撃を受けたら、死ぬんですよ!?」
「『死の可能性』は俺が諦める理由にはなり得ない」
俺には覚悟を見せる必要がある。
レイナを、フローネから、世界の邪悪から守り切る覚悟を。
「言っただろう。俺はお前が欲しいと」
これは信念の戦いだ。
彼女がこれまでの人生で守ってきた『先生のため』という
ここで打ち勝ち、彼女にオウガ・ヴェレットという覇道を示す。
「そのためにも証明しよう。お前では俺を殺せないことを」
「……って」
立ち上がって、彼女の瞳を射貫く。
ここに撃てと、己の心臓を思い切り叩いた。
「俺が膝をつくことはない! レイナをこの手に掴むまで、決して!!」
「黙って!!」
埋め込まれた機械の稼働音が鳴る。
試験管の液体の量が減るのに比例して増大していくレイナの圧。
手のひらへと収束していく光は輝き、彼女の腕に纏うようにバチバチと電気がはじけていた。
……ここまでの魔力は初めて感じたな。
受けてはならない。避けろと本能が叫んでいる。
耐えきれるかどうかは神のみぞ知るといったところか。
これから後悔を持ち続けるよりも、悔いなく散った方がいい。
それに──こんなところで死ぬつもりはさらさらなかった。
「……オウガ君。何か最後に言い残すことはありますか?」
「ない。すぐ言葉を交えることになるからな」
「……そうですか。……オウガ君。あなたとの時間、楽しかったですよ」
そう言ってくれた彼女は涙をこぼしたまま、俺を殺すための魔法を解き放った。
「──【
刹那、光の奔流が俺を呑み込むように襲いかかる。
何かを考える前に衝撃が全ての思考を吹き飛ばした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
解き放たれた光の大砲はオウガ君ごと後ろの壁を削り取り、一瞬の静寂が辺りを包む。
数瞬遅れて、鼓膜を破るような破壊音が響いた。
「……はぁ……はぁ……」
自信を持って言える全力を振り絞った一撃。
体の魔力が空っぽになった影響で襲い来る疲労感に座り込んでしまいたかったけど、私はまっすぐ彼がいた場所を見つめる。
濃く砂煙が立ちこめて、彼の姿は捉えられない。
……それもそうですよね。強化が施されたあの魔法を受けて、無事でいられるわけがない。
そんなの誰にだってわかる事実。
さっさと死体を確認して、先生に彼の死亡報告をすればいい。
「……これでよかったんです」
彼の立っていた場所から目をそらし、彼を殺した手を見やる。
あの時間は私が見た儚い夢。
『……オウガ君は誰にでもそんなことを言うんですか?』
『そんなわけないだろう。俺にとって特別な相手だけだ』
これまでの人生のように、ただ無機質に忘れ去ればいい。
『お前はどこにも行かせない。必ずここに戻ってきてもらう』
『そのために俺は全力を尽くそう。どんな手を使ってでも無事にこのメンバーで生徒会として集まる。俺たちの前に立ちはだかる困難も打ち払ってみせる』
私は私自身が望んだ通り、先生の下へ戻って今まで通りの人生を歩む。
『わかった。なら、レイナの紅茶を希望する。あれは本当に美味しかった』
……なのに、どうして……。
『俺はお前が欲しい!!』
どうして……涙が止まらないのだろう。
「……オウガ君……」
「……ァ」
「……え?」
……聞き間違いだろうか。
いま確かに……彼の小さな声が……。
声が下方向を私は直視せずにいた。
空耳だと信じたかったのか。それとも彼の死を現実として確定させたくなかったのか。
「──俺の、勝ちだ……レイナ」
だけど、彼の言葉で私は否応がなしに顔を上げさせられる。
「ぁ……あぁっ……」
そこには間違いなくオウガ君が立っていた。
彼は右足を引きずりながら、まっすぐこちらへと歩み寄ってくれる。
フラフラとダメージで体が揺れているのに、その姿は今まで見てきた何よりも雄大に映って。
決して道を違うことなく、私の元へ。
怒るでもなく、ただ柔らかく微笑んでオウガ君は私の手をそっと握る。
「……約束通り掴んだぞ、レイナの手」
そう言って、彼は倒れるように私にもたれかかった。
私は動けなかった。
近くだとよくわかる、彼の体の傷。立派な服はボロボロになり、露出した肌にはひび割れた傷が目立つ。
これは全部、私がつけたものだ。
なのに、私に抱きしめられる価値はあるのか。抱きしめ返す資格はあるのか。
【
グルグルと思考が負の迷路へと迷い込んでいく。
「──レイナ」
「あっ……」
そんな迷いが全て無意味になったのは、オウガ君が私の頭をなでてくれたから。
「心配しなくていい。俺はそばにいる」
脳裏にこびりついた先生の怒声と浴びせられた暴力の記憶。
いつもなら思い返すだけで胸が苦しくなるのに、今は少しも怖くない。
私を守るようにぬくもりが包んでくれている。
「ゆっくりと道を歩いて行こう。お前はお前のままでいいんだ、レイナ」
私はどこに続くかもわからない未来を歩むのを恐れていた。
先生という拠り所を失ったら私は何のために生きているんだろう。
なによりあの日。パパにママ、メアリが死んだ意味がなくなるんじゃないかって。
そんな私は生きている価値があるのかと、ずっと考えてきた。
「俺がありのままのお前が欲しい」
「……はい……私も……」
だけど、もう迷わない。
「私も……オウガ君の隣で生きたいです……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
あぁ……体のあちこちが痛い。……いや、もう半分くらい感覚がなくなっているな、これ。
まぁ、今はなんとか命があるだけよしとしようか。
きっとレイナの放った魔法の爆発音で誰かがここまでやってくるはずだ。
欠損さえしていなければ元に戻る。
今はそれよりも腕の中にあるぬくもりを感じていたい。
「…………」
穏やかな表情を浮かべているレイナ。
彼女との勝負は一か八かの賭けだった。
大会前に実技棟でマシロに協力してもらい、魔法にも効力があると判明した魔力を巡らせる肉体強化方法──【
まだ全魔力を使用した経験は無かったが、なんとか俺の肉体は形を保ってくれた。
頑丈に生んでくれた母上に感謝しなければいけないな。
「……あの、オウガ君」
「なんだ?」
「……私はオウガ君のために何をしたらいいですか……? その……こんな体ですけど、一応男性が好むことはできますけど……」
「……女の子がむやみやたらと胸を晒すものじゃない」
「ご、ごめんなさい……」
彼女はわかりやすく落ち込みながら、制服のボタンを留める。
……別に怒ってないんだけど、しばらく言葉遣いに気をつけた方がいいな、これは。
「……今は難しく考えずに好きに生きたらいいさ」
「その……慣れるまででいいので、初めのうちだけ指標が欲しいと言いますか……」
「指標か……。やはり紅茶の研究とかじゃないか。俺も毎日レイナの紅茶が飲みたい」
俺とレイナにぴったりな事といえば、これだろう。
悩む必要もない。
「……ふぇっ」
「ん? 何か変なこと言ったか?」
「い、いえ……そうですよね。ずっと一緒にいると言ったんですから、そういう関係になるはず……。ち、ちなみに、それはどういった理由で……?」
「レイナの紅茶はとても美味しかったから」
「──っ。……嬉しい……」
……なんだ、そんな表情もできるんじゃないか。
今まで見せたことのない表情をしていることに彼女は気づいているのだろうか。
もうお前は前進している。
今の気持ちを、顔を、彼女が忘れませんように。
「クックック。その笑顔がいちばん似合うぞ、レイナ」
そんな願いを込めて、俺は彼女の頬を指でつついた。
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