Stage1-21 行き過ぎる気持ち

 ずっと毎日が苦痛だった。


 私の人生は私のものじゃない。


 お父さまの、レベツェンカ家のために奪われた。


 好きな人と結婚するという夢も、かけがえのない友だちも、何もかも。


 だけど今の私には楽しみがある。


「……ふぅ……よし」


 柱の陰に隠れていた私はきっちりとネクタイを締めて、みんなの理想のカレン・レベツェンカのイメージを作り上げる。


 弱虫で格好よくない私なんて誰もいらないから。


 あの時の私を受け入れてくれたのは彼だけだ……。


「……オウガ」


 ずっと心の支えだった友だちの名前を呼ぶ。


 どれだけ辛い毎日にも耐えられたのは魔法学院に入学したら彼と会える可能性があったからだ。


 オウガ・ヴェレット。


 周囲の評価など気にせず、自らの正義に従って生きる背中が大好きだ。


 平民いじめをされていたリーチェさんを助け、巷の噂では孤児院を救って荒れている地区の浄化活動にも精を出しているらしい。


 彼は私を助けてくれた時からずっと変わっていない。


 入学してから一ヵ月、観察して確信したから私はようやく彼に話しかけれた。


 決して興味ない態度がとられるのが怖くて一歩踏み出せなかった訳じゃない。ないったらない。


「おはよう、オウガ。今日は楽しい一日を予感させるいい天気だね」


 登校している彼の姿を見つけた私は偶然を装って話しかける。


 これが私の最近の日課。


「…………」


 ふっ、わかっているさ。


 つれない態度を取られても仕方がない。


 それだけのことを私はしたんだ。


 彼が傷ついた分、私も傷つこう。それで許してもらえる日が来るなら――


「おはよう、カレン。太陽に負けないくらい今日も輝いて見えるぞ」


「………………え?」


 無意識に口から間抜けな声がすり抜けた。


「しかし、カレンの言う通りだ。確かに素敵な一日の始まりになったよ。朝からお前に会えたからな」


「…………」


「また良かったらゆっくり話そう。それじゃあな」


 私の肩をポンと叩き、微笑みを浮かべたまま去っていく。


 い、今のは……夢?


 オウガが私を褒めてくれた……?


 私に会えて嬉しい……?


 彼が触れた部分にそっと手をやる。


 ほんの少しだけ感触が残っていた。


「オウガ……」


 バクバクと心臓が高鳴り始める。


 眠らせていたつもりの気持ちは、今もまだ私の心にあり続けていた。




    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




「クックック……見たか、マシロ。あのカレンの呆けた顔を」


「そだねー」


「やはり俺の予想は正しかっただろう? アリス、これからはアルニア王太子の動向にも注視しておいてくれ」


「かしこまりました」


 俺の完璧すぎる演技に彼女たちも満足な様子。


 ただ二人ともこちらに向けている視線が生暖かい感じなのが気になるが。


 なんだか微笑ましい子供の成長を見守る母親みたいな……いや、気のせいだろう。


「この俺を政治利用するなど断じて許さん」


 昨日、俺を当て馬にするというカレンの作戦を見破った俺はさっそく対策を講じていた。


 こうして俺からアプローチを仕掛けるのもその一環だ。


 カレンは逆に断れない。なにせ彼女の目的は軟派王太子に嫉妬させること。


 俺から言い寄ってくるのは一応、彼女にとって都合がいいから。


「アリスさん。オウガくんって可愛いね」


「オウガ様は世間のしょうもない事情で同世代との人付き合いの経験が乏しいのです。私たちは従者として成長なさる姿を見守りましょう。それに……」


「それに?」


「私たちには何か思い至らないところまで考えられているのかもしれません。なにせオウガ様は慈悲深く、正義を執行できる心をお持ちなのですから」


「えぇー……そうかな……そうかも……」


 なにやら女性陣がコソコソと話しているが、聞き耳は立てない。


 きっと二人も俺のあまりのイケメン演技に感心しているのだろう。


 とりあえず、この作戦はしばらくの間は実行する。


 終了のめどはカレンが俺を手に負えないと判断し、撤退するまで。


 そうすれば生徒会の監視の目もなくなるし、一石二鳥だ。


 やはり天才。勝ったな、ガハハ!


 早朝から気分を良くした俺は意気揚々と教室へ入るのであった。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




「きれいな髪だ。毎日よく手入れしているのがわかる。カレンがみんなに好かれるのがよくわかるよ」



「なんだ、爽やかな花の香りがすると思ったらカレンか。女神かと思ったよ」



「カレンの肌はとてもきめ細やかだね。まるで雪の妖精だ」



 最近、昔馴染みの様子がおかしい。


 普段の彼からは決して想像できない褒め言葉を羅列して、私に接してくる。


 だが、それはそれとして。


「うへ……うへへへ」


 周囲に誰もいないことを確認して、頬をにやけさせる。


 私は制服の内ポケットに忍び込ませている日記にさっきの出来事を書きこむ。


「オウガが私を褒めてくれた……と」


 オウガは私の王子様なのだ。


 そう、幼い頃から運命で結びついている。


 昔の私はとても弱く、お付きのメイドにさえ馬鹿にされる始末だった。


 政略結婚で生まれた私はこの世に生まれてきちゃダメだったんだとさえ思っていた。


 あの日、オウガに手を差し伸べられるまでは。


 オウガはすごい人だった。


 我が道を征き、どんな障害でも乗り越えていく。


 その姿が格好良かった。


『これでお前は俺のものだから』


 そう言われた時は歓喜に体が震えたなぁ。


 必要とされる喜び。この人になら一生を捧げられると思えた。


 ……いま思えば、あれは小さかったオウガなりのプロポーズだったのではないだろうか。


 あれから私をいじめていた奴らから守ってくれたし。泣き虫の私と付き合うメリットなんかなかったし……。


 そうに違いない。


 そうか。オウガは私が好きなんだ。


 じゃあ、両想いだ。


 結婚しよ。


「ねぇ、オウガくん。カレンさんにもやってるやつ、ボクにもやってよ」


「やらん。絶対にやらん」


「えぇ~、ケチー」


「お前、最近遠慮なくなってきたな……」


 廊下から仲睦まじく教室で話す二人を見つめる。


 ……そこは私の特等席のはずだったのに。


 すれ違う度に立ち止まって会話する回数も増えてきた。


 そうすればもちろん他の生徒たちからも注目される。


『オウガ・ヴェレットがカレン・レベツェンカを口説こうとしている』という噂がちらほらと聞こえてくるようになってきた。


 ま、まぁ、私としては一向にかまわないのだけれど。


 まだ本気で言葉にされていないが、またプロポーズしてくれないのだろうか。


 そうしたら今度こそ私はちゃんと返事をする。


 レベツェンカの名前なんて捨ててもいい。


 新婚旅行は水の都・フロージャか祝福の花園・リリシェーラがいいな。


 どちらも有名な観光地だし、きっと楽しい時間になるだろう。


 屋敷じゃなくて小さな家で、家政婦もいない二人だけの時間を楽しみたい。


 あっ、でも子供は5人は欲しい――


「カレン様」


 ――聞きなれた声に一気に頭が冷える。


 声をかけてきた人物はレベツェンカ家の分家の子。


 お父さんに雇われた監視役。


「この後はアルニア王太子様とのお茶会が控えております。そろそろ移動しましょう」


「……わかっている」


 憂鬱な時間だ。


 逃避の妄想は終わり、現実が降りかかってくる。


 ……どうして私の婚約者はオウガじゃないのだろう……?


 後ろ髪を引かれる思いを抑え、好きでもない相手との時間を過ごすためにその場を去った。

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