夢の扉
黄色い扉の向こうには、お父さんとお母さんが一緒に居た。
『今日は、沢山遊ぼうな。ヒナ』
『うん。お父さん! お母さん!』
扉の向こう側で、幼い私はお父さんと手を繋いで、小さな浮き輪をお腹に嵌めていた。
私がまだ、幼稚園くらいの頃だっただろうか。
その頃の両親は、まだ仲が良かったように思う。二人とも必ず私と夜ご飯を食べてくれたし、休日になると必ずどこかに出かけてくれた。
でも私が小学生に上がる頃、ある日を境に、二人の帰りは遅くなってしまった。
二人とも、仕事が忙しくなってしまったのだ。
幼い頃の私はそう自分に言い聞かせて、一生懸命毎日を『頑張る』ことにした。
そんな、ある日のことだった。
【あーおいとびら、あーけちゃおう♪】
『――ひなちゃん』
青い扉が開く。
扉の向こう側で、お母さんが私の肩を掴んだ。
『お母さんね、お仕事で遠くに住まなきゃいけなくなったの。ひなちゃんは、お母さんについてきてくれるよね?』
お母さんが私を掴む手が、本当は少し痛かった。
だから私は――お母さんに笑って欲しくて、お母さんの『お願い』を受け入れた。
『ありがとう。ひなちゃんはいい子ね』
本当は私は、引っ越しなんてしたくなかった。
だってそうなったら、私は今の学校の友だちたちと、お別れしなきゃならなくなる。
でも私に、それ以外の選択肢はなかった。
だって私は、お母さんを一人にしちゃいけないって思ったから。
――でも。
【あーかいとびら、あーけちゃおう♪】
赤い扉が開く。
扉の向こうには、青い扉からまた少し時間が経った頃の私の姿があった。
お父さんと離れて暮すようになって、お母さんは前より私に厳しくなってしまった。
『お隣のお兄ちゃん、有名な中学校に受かったんだって。ひなも頑張らなきゃね。ひなは将来何になりたい? お医者さんになれたら、みんなから褒めてもらえるよ』
お母さんは私に、昔よりずっと、『一番』を求めるようになった。
『勉強も、運動も、ひななら全部一番になれるよね?』
『どうして、こんな簡単なテストで間違ったの?』
少しの間違いも、お母さんは許してくれなくなった。
それでいて、頑張って一番をとっても、満点を取っても――お母さんは、私を褒めてくれなくなった。
『これくらい、当然だよね。だってひなは、お母さんの子どもなんだから』
だから私は、私は――。
もっと、もっと、もっと、頑張らなきゃいけない。
ずっと、そう思っていた。
「危ない! 避けろ。ヒナ!」
クロードが叫んだその時、扉の向こうから伸びた手が私を捕まえようとしているのに気が付いて、私はクロードから受け取ったヘアピンを持った手でそれを振り払った。
危うく『ユメクイ』の罠に嵌まりかけていた私は、ゆらゆらと体を動かしながら私を見る『ユメクイ』を睨んだ。
【おかしいなあ~。あくむはもうみているはずなのに、どうしてキミはまだがんばるの?】
「……私は、貴方なんかに負けない!」
ぐっと体に力を込める。そんな私を前に、『ユメクイ』は笑うような弾んだ声で言った。
【ああ。でもまだ、もうひとつあったね! キミにとっての、とっておきのあくむ!】
「え?」
【さいごのとびら、あーけちゃお♪】
『ユメクイ』が、そう言った瞬間。
黒い扉の向こうにあったのは――……。
「……嘘」
私は、思わずそう呟いていた。
違う。そんな筈ない。だって、だって私は。
私は――……。
『これでわかったでしょう? ひな』
頭の中で、お母さんの声がする。
『ヒナ。貴方は、何も考えずに、お母さんの言うことを聞いていればいいの。そうすれば間違いはないんだから。あの子がああなったのは、全部ひなのせいなのよ』
『今日も来たよ。――【 】』
黒い扉の向こう側で、幼い私が段ボール箱に話しかける。
その箱の中に居るのは――。
ちりん、と鈴の音がする。
「嫌。駄目。駄目。だめ……っ!」
お願い。見ないで。見ないで。クロード。
私、貴方にだけは、このことは知られたくない。
私。私は。私は……。
誰の言葉も聞きたくない。何も考えたくない。何も見たくない。
そう思ったら、心が、冷たく凍っていく――……。
私が、抗うことをやめた瞬間。
扉から伸びた手が私に巻き付いて、それから『ユメクイ』が作り出した糸が、私の体を包み込んだ。
【つーかまーえた】
繭のように巻き付いた糸は固くなり、まるで卵の殻のように固くなる。
動けない。私にはもう、何も出来ない。
そんな無力な私を嘲笑うかのように、『ユメクイ』の声は響いた。
【おめでとう。きょうもからキミも、ボクらと同じ、『ユメクイ』だ】
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