幼い日の記憶

 幼い頃の私には、大好きな『友だち』が居た。


『クロ、ご飯持ってきたよ』


 路地裏に捨てられた、段ボールの中の子猫。私はその子のことを、『クロ』と呼んでいた。


『貴方は体が黒いから、クロって呼ぶね!』


 クロには元々、他の兄弟が居た。

 でもクロには足の怪我があったから、クロだけは、引き取られずに残ってしまったようだった。


『クロ、聞いて。今日ね、学校で先生に褒められたんだ』


 可愛くて、小さな命。

 私はこっそり食べ物を持って行っては、クロに上げていた。

 お父さんとお母さんがお仕事で帰りが遅くなって、一人でのお留守番が多くなった私にとって、クロは私の本当の気持ちが話せる、唯一の存在だった。


 にゃあ。にゃあ。


『クロは本当に可愛いね。そうだ! クロ、よかったらうちの子にならない? そうしたら、もっといっぱい可愛がってあげる!』


 クロと一緒なら、一人でも寂しくない。

 でも私の願いは、すぐに却下されてしまった。


『お母さんがね、動物は飼ったら駄目だって言うの。一緒に暮らしたいけど、動物はすぐに死んじゃうから駄目なんだって』


 にゃあ?


 クロが首を傾げる。


『ごめんね、クロ』


 その後、私はお母さんに、子猫に会いに行くのを禁じられた。


『今日で貴方とはお別れなの。ごめんね。でも、他の誰かに可愛がって貰えるように、クロ。貴方にこの鈴をあげるね』


 私はそう言うと、クロの首に鈴を結んだ。


『――ばいばい。クロ』


 そうして私は、クロに背を向けた。

 クロの幸せを願って。

 ……でもどうしても気になって、クロが居た路地裏まで行った私を待っていたのは、残酷な現実だった。


『あの猫、死んだらしいよ』


 足の弱い黒猫は、段ボールから出て車にひかれて死んだのだと私は聞いた。

 その言葉を聞いて私の頭に最初に浮かんだのは、私を追いかけるように、私に手を伸ばすクロの姿だった。


『私のせいだ。私が、最後までお世話しなかったから。そのせいで、クロが、クロが……!』


 声を上げて泣く私の体を、お母さんは優しく抱きしめて言った。

 

『これでわかったでしょう? ひな。動物に関わったら駄目なのよ。あの子達は、私たちより早く死んでしまうから』


『……お母さん?』


『ヒナ。貴方は、何も考えずに、お母さんの言うことを聞いていればいいの。そうすれば間違いはないんだから。あの子がああなったのは、全部ひなのせいなのよ』


 私には、人に言えない過去がある。

 その記憶は、子どもだった私にとって重すぎて。

 私は記憶もろとも、大切な友人のことも忘れてしまった。


 大好きな、大切な、小さな私の『お友だち』。

 名前をつけて、鈴を渡した、その子猫の名前は――……。


「お願い。私を見ないで。見ないで、クロード」

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