これが私の、魔法の種

「だから言っただろう! その子は、ここに来るべきじゃなかった。落ちこぼれのくせに無理を通そうとするから、こんなことになったんだ!」


「俺のせいだって、言いたいのか」

「そうだ。お前も、お前にその鈴を渡した人間も、お前に関わる奴らはみんなみんなみんな無責任だ。最後まで責任を持てないくせに関わって、だからこんなことになったんだ!」


 繭の向こう側で、クロードとオコジョさんは喧嘩しているようだった。


 オコジョさんの言葉は最もだった。

 でも私は、責めるならクロードじゃなくて私にすべきだと思った。


 だって無責任に『クロ』に手を差し出したのも、鈴をあげたのも、心配していたクロードの話をちゃんと聞かずに、『ユメクイ』の前に出たのも、全部私なんだから。


 そう。クロードは何も悪くない。

 悪いのは、悪い子なのは、全部――。

 自分を責める言葉を思い浮かべる度に、私を拘束する糸はどんどん厚くなって、二人の声は遠くなる。


 まるで、この世界には、私しか居ないみたいに。

 静寂が私を満たそうとしていたときに、クロードは言った。


「訂正しろ」

「なんだって?」

「訂正しろ。俺のことはなんとだって言って良い。でも、ヒナを侮辱するのは許さない」


 クロードは、はっきりとした口調でそう言った。


「そうだ。確かに俺は捨て猫だった。俺は昔のことを、何も覚えていない。――それでも、誰かがくれたんだ。俺にこの鈴を。だから俺は、魔法猫になれた。新しい俺に生まれ変わって、魔法の力を手に入れた。だから俺は、この鈴のことを、鈴をくれた人のことを、誰にも馬鹿にさせたりなんかしない」


 熱の籠もったクロードの声は、私の胸に響いた。

 ただ私は、自分がクロードに庇って貰えるような、そんな素敵な女の子じゃなかったことも知っていた。


 ――クロード。私、こんなにも弱い。だから私は、貴方を守れなかった。それでも貴方は、その鈴を、そんなにも大切に思ってくれていたの?


 私の気持ちは、声にならない。届かない声は私の中で、こだまみたいに何度も響く。


 私、貴方が私のせいで死んでしまったと思ってから、勇気を出すのが怖くなった。

 自分のことが嫌いになって、自信を持てなくなった。

 どうして私は何も出来ないんだろうって。なんて私は弱いんだろうって。

 ……でも、本当は変わりたかった。

 強くなりたかった。大切にしたい誰かを、大切に出来る私になりたかった。


 そうだ。私があの日、貴方に鈴を渡した。

 ちいさな私の、最初の『おまじない』。

 きっと鈴をつけた子猫は、誰かに見つけてもらえる。

 それが願いだった。それだけが、小さな私がだせる子猫のための勇気だった。

 それが貴方にとって『間違い』だったかもしれないと気付いたのは、それから時間が経ってからだった。

 だから私は心のどこかで、ずっと『おまじない』を避けていたんだと思う。

 私の『願い』は、私の『思い』は、きっと良くないことを引き寄せてしまうから。

 でも私は、私たちは――『おまじない』の末に、もう一度出会った。


 ねえ、クロード。貴方はどうしてこんなに強いんだろう?

 どうして前を向いて、貴方は強く在れるんだろう?

 今の私は、どうしようもなく弱いけれど。 

 それでも貴方が私を信じてくれるなら、私にも出来るだろうか。私も、本当にかわれるだろうか。


「ヒナなら、魔法を使える。ここからだって、抜け出せるはずだ」


 暗闇の向こう側で、私にはクロードの声が聞こえていた。


「馬鹿なこと言うな! 『星』を持たないあんな子に、そんな素質があるもんか!」


 けれどオコジョさんは、すぐにクロードの言葉を否定した。


「いいや、違う。この世界に生まれてくる誰もが、自分だけの種を持って生まれてくる。魔法使いになれるのは、その種を咲かせられた人間だというだけだ」


「『落ちこぼれ』が偉そうに! お前に、あの子の何がわかる!」


「ああ。お前が言うように、俺の魔法は確かに弱い。でも、俺たちは二人で一人だ。ユメクイ退治は魔法使いと使い魔で行うものだ。そして今、俺はお前より、ずっと強い魔法を持っている。俺なら――種を育てる魔法の言葉を、ヒナにかけてあげられる」


「言葉が魔法だって? 笑わせる! あんな弱い平凡な子が、魔法使いになって、誰かを救えるもんか!」


「俺の言葉の意味がわからないなら、お前の魔法はそれまでだ。リズベット、俺の主人を馬鹿にするな。――ヒナはお前が思うほど、弱くなんてない」


「『ユメクイ』に食べられた。それこそが、素質がない証拠だろう!」


 オコジョさんの言葉はもっともだった。

 だって私は今――『ユメクイ』に負けて、取り込まれてしまっているんだから。


 ――それでも。

 クロードは、まだ私のことを諦めていないようだった。


「どんなに強い人間だって、いつもは強くあることは出来ない」


『クロード』


 私は、声にならない声で彼の名前を呼んだ。


 どうしてクロードは、こんな私を信じてくれるんだろう?

 そう考えたときに、私は彼に信じて貰えたことが、本当に嬉しかったことに気が付いた。


 そうだ。私、ずっと変わりたかった。強くなりたいって、そう思ってた。でも、いつだって前に進むことができずにいた。私は私でいいんだって、そう思うことができなかったから。


 クロード。

 私、貴方の言葉を信じてみたい。

 貴方が私を信じてくれると言ってくるなら、私はもう少しだけ、前に進んでみたいと思った。


 私は変われる。もっとずっと、強くなれる。

 今の私は、どうしようもなく臆病で不器用で。

 それでもこんな私でも、魔法使いになれると貴方が言うのなら。

 私は、誰かの夢を守れる魔法使いに、魔法少女に――そんな素敵な女の子になってみたい。


 私はその時温かく、体の内側で光るものを私は感じた。


 ――ああ、やっと見つけた。こんなところにあったんだね。


 暗く閉ざされた世界で、私はようやく、輝くものを見つけた。

 これが私のきらめき。私だけの星。

 私だけの、魔法の種。

 クロードが私に出来るというなら、私は私を信じてみたいと思った。

 クロードの言葉は雨のように少し冷たいけれど、確かに私の心に、強く響く。 


 だから私、今は思うの。

 貴方が私を信じてくれるなら。

 私はなんだって出来る。なんにだってなれる。

 きっとユメクイを倒して世界を救う、そんな魔法少女にだって。


 私には、クロードの鈴が鳴る音が聞こえた。


「鈴が光って……!?」

「……そうだ。ヒナ」


 力は共鳴する。

 魔法少女である私と、使い魔であるクロードの絆を示すみたいに。


 温かなものが私を包む。

 その時私にはクロードが鈴に――私の心に、触れてくれたような気がした。

 私に語りかけるように、クロードの声は響く。


「ヒナ。――雛鳥は、卵の殻を破って、いつか空に羽ばたくためにこの世界に生まれる。だから大丈夫。ヒナなら出来る。俺はそう信じてる」


 クロードの声は、いつだって私に自信をくれる。

 私は、私で良いんだって。


「『落ちこぼれ』だって? そんなこと、誰が言おうと気にするな。ヒナはヒナだ。それでいいんだ。それだけでいいんだ」


 うん。そうだね、クロード。

 私も、貴方の言葉を信じたい。


「だから――今が、目覚めの時だ」


 クロードの言葉は強く、私の胸に響く。


「ヒナ。この声が、俺の声がまだ届いているなら、どうかこの言葉を、心の中で唱えてほしい」


 これは私が私を、信じるための魔法の呪文。

 月夜の晩に、黒猫に教えてもらった『おまじない』。

 私は魔法を使える。私の力で、私は世界を変えられる。

 だって魔法はこころから生まれる。


「私なら、出来るっ!」

「ヒナなら出来る!!」


 クロードの声と、私の心の声が重なる。

 背中が燃えるように熱かった。私はクロードからもらったヘアピンを胸に抱いたまま目を閉じた。

 すると私の背中から、小さな翼が生えた。

 私は強く地面を蹴って、殻を破って飛び立った。 


 もしかしたら卵から生まれるヒナも、同じように感じるのかもしれない。

 

 そんな言葉が、私の頭の中に浮かんだ。

 外の世界は少しだけ寒く感じたけれど、でも、私は怖くなんてなかった。だってこの世界には、私を信じてくれるクロードがいるんだから。


「有り得ない! 魔法少女に羽だって!?」


 オコジョさんが、空を飛ぶ私を見て叫ぶ。

 しかしその瞬間、私を殻の中に引き戻すみたいに、『ユメクイ』が黒い煙を吐いて私の翼を貫いた。

 煙は私の白い翼を溶かす。


【ニガサナイ!】


「っ!」

「ヒナ!」


 それは小さな羽根だ。

 私は私一人が飛ぶので、今はまだ精一杯だ。それでも。

 今、世界を変えよう。私の魔法、私の力――私の心で。だからこんな場所で、私は負けてなんか居られない。

 私がそう思ったとき、溶かされた筈の羽が白く輝いた。

 欠けていた翼が修復される。

 その光景を、オコジョさんは信じられないという表情かおをして見上げていた。


「有り得ない。こんなこと、こんなはず……!」

「そうだ。ヒナ! ヒナなら出来る!」


 クロードの声を聞きながら、私はクロードに貰ったヘアピンに触れた。

 魔法の杖に変わるかと思っていたそれは、キラキラと輝いて、白銀の剣へと姿を変える。

 私は、その剣を見て微笑んだ。


 そうだ。これが、私の心の形。

 たとえその刃で、私自身が傷つく日があったとしても。

 これが私の、未来を切り開く魔法こころちからだ。


「はああああっ!」


 私は、小春ちゃんを閉じ込めたユメクイに向かって剣を振り下ろした。

 その瞬間、大きな風が起こって、まるで私の剣を拒むみたいに、ばちばちと光が散る。


「……っく!」

「ヒナ! そのままだ! 俺が援護する!」


 クロードはそう言うと、風を払うように手を動かした。

 そして彼が鈴に触れて呪文のようなものを唱えると、私を取り囲んでいた黒い煙が、黒い渦となって今度はクロードに向かう。

 クロードは不敵な笑みを浮かべると、手の中に水の球のようなものを作って、黒煙の攻撃を器用によけながら、水球に黒煙を閉じ込めた。


「クロード!」

「こっちは大丈夫だ! ヒナは自分のことに集中しろ!」


 クロードにそう言われ、私は剣を握る手に力を込めた。

 すると、『ユメクイ』の体が少しだけひび割れて、中から小春ちゃんの声が聞こえた。


【お願い。私の夢を壊さないで。ここだけが、私の居場所なの】


 泣いているような、そんな声。

 私はそんな小春ちゃんに語りかけた。


「そんなことない。あんなに綺麗な花を咲かせられる貴方が、何も持っていないはずなんてないよ」


 小春ちゃんがお世話した花畑。

 私では、あんなふうに綺麗な花を咲かせることなんて出来ない。


【私のことなんて、誰も好きになんかなってくれない。誰も私のことなんて見てくれない】


「そんなこといったら、私だって全然だよ」


 『ユメクイ』のヒビの向こうに、透明になりかけた小春ちゃんの姿が私には見えた。

 小さく体を丸めた彼女の姿は、クロードに出会う前の最近の私によく似ているような気がした。


「友だちを作るのなんて、昔から下手くそだし、誰かに頼るのも、みんなと話を合わせるのだって、きっと私は、全然得意じゃない。でも私ね、毎日自分に出来ること、一生懸命にしてる――それだけは、確かに言える」


 私は、小春ちゃんに向かって笑ってみた。

 透明になりかけた彼女の表情かおは、私にはよく見えなかった。


「だから私ね、私は私でいいんだって、今はそう言ってあげたいと思うんだ」


【私は、そんなふうには思えない】


「私だって、つい最近まで、こんなふうには思えなかったよ」


 私は、私を守るために戦うクロードを見た。


「でもね、『私は私でいいんだ』って、そう言ってくれる人に出会えたの。その人に出会うまでは、私も下を向いてばかりだった」


 そう。

 つまるところ小春ちゃんと私の違いなんて、きっとそれだけなのだ。

 踏み出す勇気も、前を向く勇気も、私一人で手にできたものじゃない。クロードがいたから――クロードに、その勇気をもらえたから。

 「今の私」がここにいる。


「私ね、貴方にもそう思って欲しい。私は、私が知る小春ちゃんが大好きだから。……だから」


 私は剣を置いて、代わりにひび割れた隙間から、小春ちゃんに手を伸ばした。


「私たち、友だちになろうよ。」


【え……?】


 私の言葉に、小春ちゃんが目を瞬かせた。


「そうしたらもう、一人じゃない。そうだよね? 本当はこんなこと言わなくても、私は友だちだって思ってたけど。……ねえ、小春ちゃん」


【でも、私なんて】


「私なんて、じゃないよ。私は、小春ちゃんはすごいって思う。小春ちゃんは、きっと小春ちゃんが知らないだけで、私には出来ない沢山のことが出来る人なんだよ。だから、ね? 小春ちゃん。私、綺麗な花の育て方、もっと沢山教えてほしいんだ」


【花を……?】


「うん。そう。だから――目が覚めたら、一番に会いに行くから」


 私がそう言って微笑めば、小春ちゃんは震える手を私に伸ばした。

 今にも消えそうだった透明だった彼女の体は、私が握った手のひらから少しずつ、その色を取り戻す。

 ユメクイの中から抜け出した小春ちゃんは、私に向かって笑みを浮かべた。


「ありがとう。約束だよ」

「うん。約束」


 私は、小春ちゃんと指切りした。

 すると『小春ちゃん』は、徐々に透明になって消えた。つまり彼女の心が、彼女の心に帰ったということだろう。

 私はそう思って、『小春ちゃん』を閉じ込めた『ユメクイ』を見た。


 『ユメクイ』の体の中は、綺麗な星空が輝いていた。

 黒く染まってしまっていた『ユメクイ』は、今は体の内側に閉じ込めていた黒い煙を全部吐き出したおかげか、白い姿に変わっていた。

 私はユメクイの頭を優しく撫でた。すると『ユメクイ』の体が光り輝いて、蝶へと変わって空へと上っていった。


「おやすみなさい。いい夢を」


 誰かの気持ちを操って叶える、偽りの夢じゃない。

 自分の手で掴むそんな夢を、今度は小春ちゃんが自分の力で掴めることを願いながら、私はゆっくりと瞳を閉じた。


「お疲れ。ヒナ。これで、今回の任務は完了だ」


 クロードは笑って、私の肩を叩いた。

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