日常

 しかし。

 断ったにもかかわらず、クロードは毎日私のところにやってきた。


『ヒナ! 今日こそ俺と契約してもらうぞ!』


「つきまとわないでって言ってるでしょ!」


『つきまとっているんじゃない。俺たちは【縁の紐】で結ばれている仲だからな。離れたくて離れられない関係なのさ』


 にゃあにゃあにゃあ!

 クロードの声は、私以外の人にはそう聞こえているらしい。


「本当にその子、朝霧さんのことが好きなんだね」

「……」


 そのせいで、最近クロードが私の周りをうろつくことに、クラスメイトは慣れつつあった。

 葵くんのこともあってか、どうやらみんな、学校に動物にいることに違和感がないようだった。


 まあ仕方ないよね、みたいな。好かれているならしょうがないよね、みたいな。

 いや、全然仕方なくないんだけれども……。

 私としては、誰かこの異常事態に突っ込んで欲しかった。ツッコミが不在過ぎる。


 ただそのおかげで、私に話しかけてくれる人が増えたことも事実だった。

 特に藤野さんは、私によく話しかけてくれた。

 ちなみに藤野さんを名字で呼んで、真衣ちゃんのことを名前で呼んでいるのは、真衣ちゃん本人の熱い希望によるものだ。私はまだ、周りのみんなのことを名前で呼べていない。


「あ、あの……」


 ピ――ッ!


「私、もういかなきゃ。じゃあね、朝霧さん」


 体育の授業中、私は意を決して話そうとしたけれど、先生の笛の音を聞いて、藤野さんは走っていってしまった。


「……せっかく話しかけてもらえたのに、また上手く話せなかった」


 彼女の後ろ姿を見て、がっくりと肩を落とす。

 昔は良かった、と思う。

 休み時間に話せる子はいたし、普通に私だって、『みんなの輪』の中に溶け込めていたはずだ。


 でも、今の学校では私が転校してきたときにはすでに『グループ』が出来ていて、私はその中に上手く入れずにいた。

 というのも多分、転校してからすぐ体調を崩してしまい、一週間程学校を休んだせいで、『病弱』のイメージが付いてしまったのもよくなかったかもしれない。

 単に張り切りすぎたせいで、体調を崩していただけだけだったんだけれど――。


「……頑張らなきゃ」

「友達って、『頑張って』作るものなのか?」


 私がぽつり呟くと、クロードが痛いところをついてきた。

 そう言われると困ってしまう。

 確かに、自分に合わない無理して仲良くしても疲れるだけだ。


 オシャレ好きの子と仲良くなっても、話題を作るのにも一苦労しそうだし。

 自分を磨くチャンスにはなるかもしれないけれど、今の私にそんなガッツがあるわけではない。

 でもやっぱり、学校で一人は寂しいのだ。

 まあ今の私には、一匹おまけが付いているわけだけど。


『ヒナ、何してるんだ?』

「走る前の準備運動だよ」


 私は屈伸しながら答えた。

 今日は短距離走のタイムの測定とかで、私は念入りに体の調子を整えていた。


『ヒナは、足は速いのか?』

「……まあ普通、かな」


 私は、靴の紐を結び直すと、白線の手前まで進んだ。


「よーい。ドン!」


 先生のかけ声に合わせ、力強く地面を踏み込む。一歩、一歩でも速く、前へ前へ。


 ――負けたくない。


 まるでスローモーションだ。

 隣を走っていた子が白線を越えたところで、私には先生がタイムウォッチを押すのがわかった。


 一瞬の、ほんの少しの差で、私は負けてしまった。

 一歩遅れて白線を越え、体から力を抜いて息を吐く。


 一番になった子は、クラスの中でもよく人に囲まれている子だった。


「おしかったね。でも凄いよ。日向ひゅうがさんと同じくらい速いなんて。朝霧さん、運動できたんだね」


 藤野さんが私に笑いかける。でも私は彼女に、うまく笑い返すことができなかった。


☆★☆


『ヒナ。今日も見ていて思ったんだが、ヒナはもっと軽い感じで話したほうが良くないか? せっかく話しかけてもらったのに、ヒナだけ少し固く見えたぞ』


 学校からマンションまで、いつものようにクロードと一緒に帰っていると、クロードが器用に塀の上を歩きながら言った。


「……」


 私はクロードの言葉に言い返せなかった。

 そんなこと、私だって分かってる。

 でも、嫌われたくないと思ったら、上手く話せなくなるのだ。

 それに――結局、日向さんには勝てなかったし。


「また、夜に走るかな」


 私が少し下を向いて呟くと、クロードは尻尾をピーンとのばした。


『ヒナは本当に頑張り屋だな! でも、一人は危ないから、行くなら俺も付いていくぞ』


 クロードはノリノリだった。それが、今はちょっとムカついた。

 私はは負けて悔しいっていうのに、クロードは本当に、私の気持ちを考えてくれているんだろうか?

 溜め息を吐いて、私は玄関の鍵を開けた。


『ヒナのお母さん、今日もいないのか?』


 家の中に入ると、クロードはキョロキョロと周りを見渡した。


「お仕事だから仕方ないよ」


 私は昔から鍵っ子だ。

 両親は共働きで、お父さんは単身赴任。今回の転校は、お母さんの仕事の都合によるものだ。


「でもお父さんやお母さんが頑張ってくれてるから、私は学校に行けてるんだし、だから私も、頑張らなきゃいけないんだよ」


 学校から帰ったら、手洗いうがい。

 お母さんが用意してくれたご飯か、用意してくれたお金でご飯を買って食べる。

 最近の違いといえば、クロードに少しご飯を分けていることくらい。

 今日のご飯はオムライス。

 クロードは、小皿に取り分けたご飯をもぐもぐ食べていた。


 『普通の猫』を飼うのはお母さんに駄目だと言われている私だけれど、食べさせたら駄目なものは分かる。

 ただ『魔法猫』は普通の猫と違って、人間と同じものを食べることが出来るらしかった。

 普通の猫は玉ねぎは駄目だけれど、魔法猫なら問題ないのだという。


「クロード。ご飯粒付いてるよ」


 猫の姿のまま、クロードは器用にご飯を手ですくってペロリと食べた。そしてクロードはいつも通り、食後は普通の猫みたいに毛繕いした。


『でも、それって寂しくないか?』

「……」

『ヒナは、お父さんやお母さんと過ごしたくないのか?』

「クロード」


 私は、にっこり笑ってクロードに言った。


「余計なことばかり言ってると、ご飯もうあげないからね」

『なんてひどいことを言うんだ!』


 クロードが抗議の声を上げた。

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