満月の夜のおまじない
「本当に、こんなんでいいのかな……?」
その日の夜。
私はバルコニーで、真衣ちゃんに渡されたおまじないの書かれた紙の上を見て一人顔を顰めていた。
「これって『魔方陣』っていうやつ、なのかな?」
早起きの方法なんかとは比べものにならない。
大きな丸とお星様――の周りに、知らない国の文字のようなものが並ぶ。
おまじないの描かれた紙を前に、私は少し緊張していた。
『いい? これはね、満月の夜に行うの。満月の夜は、お月様が魔力を貸してくれるから、魔法も使いやすくなるの。それで……これは大事なことだから覚えておいて。この魔法は、絶対誰にも見られちゃいけないの。特別な魔法だからね』
おまじないを教えてくれた真衣ちゃんが、私にそう言ったから。
「これで、準備はいいかな……?」
紙の四隅に盛り塩をして、ガラスの器に水をはり、月の光を映す。
みずかがみ、鏡の魔法。
鏡は人を写し取る。
月の光を水面に映し、次に自分の姿を水面に映したら、こう唱える。
「『月の女神ルーナ様。貴方に心を捧げます。どうかこの恋をお叶えください!』」
――先輩との恋を叶えたい。
私は手を合わせ、心の中で強く願った。
すると。
「きゃ……っ!」
一瞬、水面が強く光ったかと思うと、器の中の水が大きな化け物に姿を変えて、私へと襲いかかった。
ギザギザ歯の、私を食べてしまえるくらい大きな口を開けて、化け物は私の方にやってくる。
「きゃああああああっ!」
こわい。こわい。こわい!
私が叫び声を上げた、まさにその時。
「その魔法、待ったああああ!!!」
月を背に、何かが空中から落ちてきた。
羽の生えた、それは――黒い……猫?
――がっしゃん!
私が、月の光に目を奪われていた瞬間。
上空から落ちてきた物体は、おまじないの中心に置かれたガラスの器をひっくり返してしまった。
「えっ?!」
紙に書かれた魔方陣には水が滲み、元の絵はわからなくなってしまっていた。
「わああああっ!! 私のおまじないが!!!」
――せっかくの、先輩との恋のおまじないだったのに!
叫ぶ私をよそに、黒猫はよろよろ起き上がると、まるで背中を痛めたおじいちゃんみたいなことを言った。
「あいたたた……まさか、こんなに力が強いなんて。まだ、体がばちばちする」
「ね、猫が喋ったっ!?」
私は思わず叫んだ。
金色の瞳に、首に赤いリボンのついた鈴をつけた黒猫は、私の声を聞いて勢いよくこちらを振り返った。
「……喋った、じゃ、ないっ!!」
ぼむっ!!!!
黒猫が叫んだ瞬間――彼の周りをくるりと星屑が円を描いたかと思うと、何かが爆発するみたいな音がして、猫は男の子に姿を変えていた。
身長は、私より少し高い。
黒髪に、お月様みたいな金色の瞳。
首に鈴のついたチョーカーを身に着けた彼は、見るからに不機嫌そうだった。
でもそんな表情さえも、彼の魅力だと思わせる――葵くんが『綺麗』なら、目の前の男の子は、『かっこいい』という言葉がよく似合っていた。
「お前、一体なんのつもりだ! あんなおまじないをするなんて。死ぬつもりだったのか!? あともう少しで、願いの対価にあの化け物に魂を食われるところだったんだぞ!」
でも、目を奪われていられたのもつかの間。
人間に化けた黒猫は、青筋を浮かべて私に怒鳴った。
「え……?」
私は、驚きのあまり目を瞬かせた。
まさか、自分がそんな危険な状況だったなんて、私は思いもしていなかった。
私はただ、教えられたおまじないを実行しただけだ。
「べ、べつに、そんつもりはなくて……」
というより知らなかったのだ。
それよりも、突然猫から人間になるなんて、まるで――。
夜に浮かぶ月のような外見の彼を見て、私は呟いた。
「まるで、魔法みたい」
「『みたい』、じゃなくてそうなんだよ」
彼は、少し乱暴に髪をかき上げた。
「俺は『魔法猫』。魔法使いの使い魔になるために、この世界のやってきた使い魔専用の猫だ」
「使い魔専用の、猫……?」
彼の話に、私は首を傾げることしかできなかった。だって、全て初めて聞く言葉ばかりだ。
「俺はこの世界で、自分の魔法使いを見つけて、契約を結ぶために来たんだ。……そのはず、だったのに」
自称『魔法猫』は私を睨んだ。
「まさか地上に降りようとしたら、闇の魔法を使おうとしている馬鹿が居るなんてな!」
「なっ! は!? ば……馬鹿って!」
私は、恋を叶えるために『おまじない』をしていただけだ。闇の魔法なんて使っていない!
それに、出会ったばかりの彼に馬鹿呼ばわりされたくなんてない!!
「お前がさっき仕様としていたのは命を削る闇の魔法。しかも、満月の夜に行うなんて。死にたい奴じゃなきゃ、馬鹿以外の何なんだよ」
「だって、効き目がいいって言われたの!」
「その分、より多くの魂を捧げなきゃいけないんだよ! そんなことも知らないくせに、おまじないをするなんて! いいか。今後一切、こんな危ない真似はするなよ!」
『魔法猫』はそう言うと、ふわりと体を浮かせて、バルコニーの手すりの上に立った。
そうして少しかがむと、彼は力強く手すりを蹴った。
「危ない!」
私は、彼に手を伸ばした。
彼の体は宙に舞う――と思ったところで。まるで見えない力に引き寄せられたみたいに、彼は空中でバランスを崩した。
「うわっ!?」
慌てた声が夜に響く。
大丈夫だろうかと私が慌ててバルコニーの下を覗くと、まるで雨の日にぶら下げるてるてる坊主みたいに、彼は空中で宙吊りになっていた。
「あの……だ、大丈夫?」
手を伸ばそうとして――私は、その時自分の薬指から、赤い紐が伸びていることに気がついた。
「あれ? 何? この赤い紐……」
私の呟きは、彼の耳にも届いたらしい。
彼は「嘘だろ」と小さく呟くと、溜め息の後に私に尋ねた。
「お前、『それ』が見えるんだな?」
「うん。見えるけど……」
――それって、普通のことじゃないの?
疑問に思って訊ねると、彼は指をくるりと回し、体を浮かせて私の前に降り立った。
私の薬指から伸びた赤い紐は、よく見ると彼のチョーカーと繋がっていた。
「これは、【
――『えにしのひも』?
耳馴染みのない言葉に、私は目を瞬かせた。
「仕方ない。――お前、名は?」
「……朝霧、ひな」
「そうか……ヒナ」
そして私の手を握ると、彼はとんでもないことを口にした。
「俺の名前はクロード・デュッセル。ここで繋がったのもなにかの
「…………はあ!?」
おまじないをして失敗したら、何故か魔法猫と縁が結ばれて、魔法少女になれ――だなんて。
そんな馬鹿な話って、ある?!
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