第20話 『一蓮托生』の裏話 その8 食べ物の話、翡翠の話

 『一蓮托生』本編では食べ物の描写も重要な要素だった。横澤よこざわ家の食事は配給が中心の粗末なもので、昼食はふかしたサツマイモ、夕食は配給の麦飯や玄米に焼き魚などのおかずを康史郎こうしろうが支度する。翌日の朝食は夕食の残りにお茶を入れてお茶漬けにすることが多い。土曜日の午後や日曜日はかつらも余裕があるので煮物や味噌汁を作り、夕食や朝食のおかずにするという流れだった。


 もちろん冷蔵庫はないので、夏場の食べ物の保存には気を遣う。ご飯は梅干しを入れてからおひつに入れていただろう。11月のたかしとのランデブーではおむすびにたくあんを入れているが、寒くなってきたので保存に神経質にならなくても良くなったからである。


 もう一つ、『一蓮托生』では季節の果物の描写も多かった。そのきっかけとなったのは第1話で廣本ひろもとがスモモを割るシーンだ。隆に切りつけるシーンで廣本が小刀を持ち歩いていることに説得力を持たせるため、小刀を使っているところを見せたいと思ったのだ。スモモをカイとリュウに渡すことで2人と廣本との関係も描くことが出来、結果的に廣本の描写にも関わる重要なシーンとなった。

 果物はほとんどヤミ市での購入という設定だったので、季節に合わせて登場する果物を考えるのは楽しかった。最終回のスイカできれいに閉められたのも良かった。


 新年会の準備で、隆が戦友である浜高はまたか勝人まさとの働く北千住きたせんじゅの和菓子屋に餅を買いに行くが、この浜高勝人は私の別作品『ひな祭りは記念写真で』に登場する浜高安人やすとの父親という裏設定があった。浜高家は陽光原ようこうばらで老舗の和菓子屋『流川ながれがわ』を経営しており、勝人の修業先が足立区の北千住にあったという設定である。北千住にした理由は両国から電車で行きやすいことと、『ひな祭りは記念写真で』の元になった夢で出てきた地名だからである。

 浜高家の名前は鳥居とりい広希ひろきの妻、綾花あやかの旧姓として出てくるが、親戚と言うことだけで細かい設定は未定である。


 かつらの母親、梅子うめこの形見である翡翠ひすいの帯玉。これは『一蓮托生』執筆時に追加した設定だ。『泥中の蓮』では母親は焼夷弾によるやけどで死亡したことになっていたので、矛盾しないよう母親との別れの真相をかつらが康史郎に隠していたことも追加した。

 戦時中は「ぜいたくは敵だ」と言われ、貴重品や金属製品を国に供出することもあったので、隠し持ちやすい大きさで、火にも強い翡翠の帯玉はうってつけだった。

 『一蓮托生』執筆後に思ったのだが、戦後横澤家が父親の恩給停止で困窮した時、かつらはこの翡翠も金策に手放すか悩んだのではないだろうか。機会があればこの時の横澤家について短編作品を書いてみたいと思っている。

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