第6話 魔染病



 魔染病ませんびょうとギッシュは言っていたが、それは何なんだろう。

 ただ真っ黒で、だけど手を伸ばしてこっちを見ている。

 目みたいなところがこっちを見ていて、少しずつ近づいてくる。


「う……うぅー……」

「ギッシュ、魔染病って何? この人みたいなのって人間?」


「いっぺんに質問すんなよ。まず、魔染病だが、こいつは魔力が常に溢れているってやつの事だ。この病気は結構最近になってから発症するやつが増えてきているんだが、そういう奴は魔染体って呼ばれてんだ。魔法が使えなくなるってだけで感染するとかそういう事はねえんだよな。放っておけば勝手に消えてしまうし、特に問題ないはずなんだけどよ……たまーに溢れすぎて変な奴が出るって話を何度か耳にしたぜ」


 話ながら一定の距離を保ちつつ後退する。

 さすがにこの状態で近付く事はできない。

 明らかに俺に向けて歩いてくるのは何なんだろうか。


「変な奴って?」

「まさに、こいつだよ。聞いただけだから、詳しくは分かんねえんだけどよ……取り込むって話らしいぜ」


「取り込むって、何を取り込むんだよ」

「そんなのは、普通に考えりゃ……、おい、小僧! 危ねえ!」


 ギッシュに突き飛ばされて、その場所を見ると黒い物が通り過ぎて行った。

 それが岩に当たると、岩が溶けるように消えている。


「な、何だこれ? これが取り込み?」

「こりゃあ、俺の知ってるやつじゃねえな。聞いた奴はただ同類を取り込むって話さ。変異種から出てきたんだ、普通じゃねぇよってことかねっ、と!」


 ほぼ予備動作無しで、声と共に手にしていたナイフを人型の黒い塊に投げた。

 伸ばしている右手に命中したが、消えた。

 当たったはずなのにすっと消えてしまった。


「ダメだダメだ。おい、逃げるぞ」

「まだナイフしか投げてないじゃないか」


「右手に投げたナイフが消えたんだぜ? いや、飲まれたのか。どっちにしても、だ、攻撃が通じねぇ。お手上げだわな」

「まだ、魔法も試してないのに?」


「こいつは魔染病の類……だとは思けどよ。にしたって異常だ。さっきも言ったが魔染体はバカみてえな魔力以外別に特別なものはねぇ。こいつは魔力で攻撃すら無効にしてやがるんだ。魔力が溢れ出すってのはこういう事もありえるみたいだしな。基本的にヤバいんだよ。何が起こるか予想すらできねえ。勝手に消えるだけならいいんだけどよ」


 魔染病にかかった人が魔染体ってことか。

 おそらくは人だとは思うけど、黒くて何とは特定できない。

 高さは俺と同じくらいか。小さく感じるけど、真っ黒で何も分からない。


「魔力が溢れてるだけで何でやばいのさ、っと、その黒いの飛ばして来るな!」


 話している間も魔染体はうーうー唸りながら、黒い魔力のようなものを投げてくる。動きが遅すぎるから話していられるけど、尋常じゃない魔力のせいで周囲に黒い水溜まりのような形になって、少しずつだけど広がってきている。


 ギッシュは魔染体の足元付近に、何個かナイフを投げている。

 今度は当てに行ってないみたいだけど、何しているんだろ。


「さっきの見ただろ、当たったのに消えたんだぞ!? もっと言やよ、アレ塗ってたけど変わった様子がねえ。ってことはだ、逃げろってことよ!」


 アレって麻痺薬の事か。その効果は俺の右腕で実証済みだ。

 その麻痺薬つきのナイフでまったく効果がないことから、ギッシュは消えたかのまれたと言ってる。効果が無かったとも見れるけど、物理的な傷もないからそう判断したのだろう。


 それにしたってギッシュの判断は早い。

 戦闘職じゃないからかもしれないけど、何かにつけて逃げようとする。

 そうでないと生きて行けない世界なのかもしれないな。


「逃げろって、でもアイツさ、俺の事狙ってるんだけど……」


 それにあの魔力、ここまで距離があるのに強烈に感じるんだよな。

 魔染体の周りはさっきより黒い水溜まりが大きくなっている。


「俺より小僧が狙われる理由なら少し分かるぜ」

「それを言ってくれよ!」


「たぶんな、魔力量の違いだろうな。俺は魔力なんざ、まったくねぇからな」


 さっきから隙を見てギッシュが逃げようとしているけど、そのたびに魔力を投げ

られて妨害されている。


「ちっ、マジかよ。俺まで逃がす気ねぇってか?」

「ううー……うー……」


 魔染体は頭に手をやったりしているが、黒い魔力は突拍子もなく飛んでくる。


「ちょっとギッシュ、一人で逃げようとしてないか?」

「そりゃ逃げるだろ。このまま二人で共倒れはごめんだぜ」


「それは違うと思うぞ。だって一人だったらやれることが圧倒的に少なくなる。でも、二人なら幅が広がるとか思わないか?」

「そりゃ相手によるだろ。あんな武器も通じねえ奴にどうしろってんだよ。ほら、見てみろよ。さっき投げたナイフが地面に消えたぜ」


 地面に刺さっていたナイフは、魔染体が近づいた時に消えていった。地面に吸い込まれるように消えた。


「エアストームであいつ吹っ飛ばないかな?」

「やめといたほうがいいと思うぜ……としか言えねぇ。小僧もすぐに使わなかったってのは、何か思うところがあったんじゃねぇか?」


 そう、ギッシュの言う通りなんだ。

 エアストームを使うのを躊躇した。

 ギッシュから聞かなかったらすぐにでも撃っていたんだけど、相手が魔力の塊に効果があるとも思えなかったからだ。

 

 かといって試さないのも、どうなんだ。

 でも、確かに嫌な感じはするんだ。どうするべきか。


「うぅー、ううぅーうー……」


 あの魔染体、両手をだして左右に振ってるけど何やってるんだ。

 両手から黒い魔力が集まると、大きめの魔力の塊が飛んできた。


 後ろに跳んでかわすが、大きな魔力の水溜まりができてしまった。

 さすがに出てくるのが分かったから避けられたけど、あの塊を何度も撃たれるとどうにもできなくなる。


「どうしようか、何かない?」

「俺だって今考えてるんだよ。そもそも、何なんだよ! この水溜まりみてえなやつはよ!」


 さっきの魔力の水溜まりに、皮の手袋をはめたギッシュは手を入れてみる。

 何か探すように漁っているみたいだけど、手を抜くと黒い魔力が纏わりついている。引っ張っても動かなくなっているようだ。


「っく! 嘘だろ! おい、これ取れねえぞ!」


 必死に引っ張っても、逆に少しずつ引っ張られている。

 俺もギッシュを片手で引いているけど、びくともせずに引っ張られるだけだ。


「い、痛てえ! おい小僧、何だそのバカ力は! 腕がもげるからやめろ!」

「やめろって、このままじゃ引きずり込まれるよ!」


 そうやってるうちに、また手を入れた所まで戻ってきた。


「クッソ! 何かあるかと思ったんだが、あの中は何もねえぞ! 何もねえけど、手でさぐった範囲じゃ、当たるものがなかったんだ。中は広いかもしれねえ!」

「何で手なんか入れたんだよ!」


「どのみち手詰まりだったんだ! 調べてみねえと分からねえだろが。早えか遅せえかの違いでしかねえ」


 短剣が消えたので危険なのは分かっていたはずだけど、もしかして中にナイフがあると思ったのだろうか。何にしても、投げられた魔力の水溜まりも危険だってのはギッシュのおかげで分かった。


 それにしても何でギッシュは手袋して手を入れたんだ……そうか!


「そうだギッシュ! 手袋を離すんだ!」


 聞いた瞬間、ギッシュは手を開いて思いっきり後ろに飛んだ。

 手袋だけが残って、後方にギッシュはゴロゴロ転がっていった。


「痛ってぇ……。小僧、助かったぜ! あの魔力で溶かされるのかと思って手袋付けてみたんだがよ、それで助かったな」


 手袋だけで済んで良かったけど、気になることができた。

 あの魔力の水溜まりの中が広かったって……まさか……。


 近くに落ちていた石をつかんで、魔力の水溜まりのほぼ真下に思いっきり中に投げた。左手で投げているのに、風を切る音がするほど勢いだ。


 ガン、パラパラっと少しして音が返ってきた。

 投げた速度を考えると、そこそこ深い感じか。


 正面には魔染体、フラフラしてるような足取りで遅いけど、確実にこっちに歩いてきている。石を投げた魔力の水溜まりは、俺と魔染体の間にある。

 あの遅さのおかげでまだ距離はあるけど、この水溜まりに落とすことは……できないだろうな。


 今度はつかんだ石に魔法をかけて、水切りをする要領で魔染体に向けて魔力の水溜まりの中を通して投げた。これで予想通りなら魔染体の真下を通過するはずだ。

 石には風の魔法をかけて、途中から上昇するようにしてある。


 すると魔染体の背後から投げた石が、地面に穴を開けて飛び出してきた瞬間に魔力に捕まって穴に戻っていった。


「あのさ……これって……」

「さすがに俺も分かったぜ」


 行き止まりまでギッシュは歩いていくと、岩に背を預けるようにして座り込んだ。完全にやる気をなくした感じで俯くと、がばっと頭を上げて言った。


「あーあ、ついてねぇな。逃げるもクソもねぇわ」


 ギッシュは気怠そうに、腰の革袋からポーションのような緑色の液体を飲んでい

た。少しずつ、味わうように飲んでいる。


「それ何飲んでるの?」

「酒でも飲みてえ所なんだがよ、生憎と解毒用のポーションしかもってねえんだよな。あーあ、何でこんなのしか持ってねえんだよ!」


「それおいしいの?」

「うめえワケがねえだろ……クソ苦いんだよ、コレ」


 自棄になって解毒用のポーションをチビチビ飲んでいるギッシュを見ると吹き出しそうになるが、我慢しておこう。

 気持ちは分かるけどさ。


 この真下には魔染体を中心にしてかなりの広範囲で魔力の溜まりができているのだから。

 そこに逃げ場はなかった。


「ったくよお、最初から詰んでるってか。悪い冗談だぜ」



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