第11話 守破離
体育祭が終わって以来、明らかに私のことを嫌っている人がいた。
同じクラスで、リレーを代わってくれた人。
その人は、聞こえるように悪口を言ったり、「嫌い」だの当時流行りの「好きくないの」などと言ったり、様々だった。
最初は、本人の前で他人の悪口を言うように、発散するのはどうかと苛立った。
だが、それは自慰行為を見せつけて気持ち良くなっているものなのだと思うと、滑稽に思えてきた。
彼女にとって私は目の上のたんこぶだったのかもしれない。
去年から気に食わなかった、と言っていたのをどこかで聞いた。
昔に戻ってから、アキが好きなのかもしれないと仮定したら合点がいった。
確かに、自分より冴えない人間が、毎日楽しそうにしていて、その上意中の相手が嫌いな人の彼氏で、充実した日々を見せつけられたら妬んでしまうだろう。
少なくとも私は妬んでしまう。
頭で理解をしていても、心は疲弊していくものだった。
ふとした時に、ほろほろと涙が止まらなくなるのだ。
ちょうど家でよかった。
(会社でもう、慣れたものだと思ってたんだけどなあ……)
会社はパワハラとモラハラがメインだったから、陰湿でねちねちしたいやがらせはもしかしたら専門外なのかもしれない。
私は止まらない涙を幾度も拭った。
そして、そのタイミングでネットの友達が才能について語り出した。
界隈のあいつは才能がある、あいつはない。
私だけがそこにいなかった。
まるで、言わずのがな、と叩きつけられているみたいだった。
世界には、私より才能がある人も面白い人も沢山いる。
分かっている、分かっていたつもりだった。
どうしてか数少ない居場所から弾き出されたような気持ちになった。
気がついたら、職員室の近くの机で、真っ白な紙に向かっていた。
思いついたことをその紙に書いていく。
『目の敵にされている』、『何もできない』、『居場所がない』『才能が』と、書いている途中で、涙で視界が揺らいでいく。
人魚姫みたいに、本当に泡になってしまったら美しいのに。
あの時の花火みたいに、美しいだろうに。
もう、ポタポタと白い紙を濡らしていく涙を拭く気力を無くしてしまっていた。
「お、式地さんやん」
何度も耳に癒しをくれた声。
(今、会いたくなかったなあ)
推し事は、楽しい時にするからこそ楽しくて、人生を豊かにするものなのだ。
「せ、んせ」
袖で目を拭って、吹谷先生の方を向いた。
「勉強熱心やなあ」
いつも通りの先生の、圧倒的なビジュアルの良さで殴りかかってくる顔面を受け止めるのは普段より容易ではなかった。
先生の顔を見たら安心したのか、ぼろぼろと涙が溢れてくる。
「ど、どうしたん」
先生は困った顔をして、隣の席に座る。
「その、私、何もできない気がして。小説の才能もない気がするし、クラスで意地悪する人がいるんです。もう、私の居場所が、ない気がして」
「クラスの人の話は担任にしたんですけど」と、私は俯いた。
スカートに涙の跡ができていく。
吹谷先生は、机の電気をつけた。
「昔、俺が教えてもらった恩師の言葉があるねん。守破離って言うんやけど」
先生はペン立てからペンを取り、『守破離』と書いた。
「最初は決められた型とか、指導に沿って練習すんねん。次に、学んだ基礎をベースにして自分なりの工夫を見つけていく。最後にはそれが新しいものになってるってものやねん」
先生は、漢字一つずつ意味を説明していって、丸で囲んでいった。
「俺は、式地さんの小説もそれやと思う。最初は誰かの模倣でもいい。いいなって思ったものを真似したらいいと思う。そこから自分らしさを見つけることができたら一人前やで」
こんなに真剣に私の話に向き合ってくれる人はそういなかった。
嬉しかった。でも、そんな立派になれる自信はなくて、「できるかな」と小さく呟いた。
「式地さんならきっとできる」
できる、なんて久しぶりに聞いた。
最近、聞きたくない言葉ばかりが耳に入ってきて、辛くて仕方がなかった。
こんなにも私を認めてくれる人がいたんだ。
また、涙が止まらなくなってしまった。
「ありがとうございました」
だいぶ落ち着いて、泣き止んだ時、絞り出したお礼は、カサカサだった。
先生は、「おう、もう暗いから気をつけて帰りよ」と言ってくれた。
先生はどこまでも優しくて、何かをする勇気をくれる人だ。
先生に話を聞いてもらって、少し元気になった私は、本格的に受験に打ち込むことにした。
世間はもう冬の準備を始めていた。
受験が明日までに迫った時だった。
「ねえ、声が聞きたい」
士気を高めようと思い、アキにLINEを送ると、「俺も、希美に話したいことがある」と返事が来た。
文字から伝わる、普段とは微妙に違う空気。返事までの間。
もう、終わりか、と思った。
しばらくして電話がかかってきた。
「もしもし」
久しぶりの通話だった。アキの声はいつもみたいに優しくて、大好きなものだった。
「もしもし、元気?」
「うん、元気やよ」
「よかった」
適当な挨拶をしたら、いつもの通話する時みたいに、今日あった話とか、友だちの話とかをするものだと思った。
でも、何も返ってこない。
変な心臓の音が聞こえて、気持ち悪かった。
彼の息遣いが携帯越しに聞こえてくる。
「希美、距離を取ろう」
絞り出したような声は、掠れて、今にも泣きそうだった。
何度も何度も考え抜いて、出した答えなんだろう。
「うん、わかった」
私の声も釣られてか、涙声になった。
遠くでアキの啜り泣く声が聞こえてくる。
「振った側が泣いてどうするのさ」
濡れた声で私は笑った。
「だって」としゃくり上げながらアキは続ける。
「好きだから」
私も好きだった。
夏祭りの花火。
イルミネーションの帰り。
波打ち際の砂浜。
いつものやりとり。
彼を待つ時間も、彼を想って泣いた時間も。
全部、全部。
アキと過ごした時間は、ビー玉のように透き通っていて、何を思い出してもきらきらしていて、大好きだった。
(こうなるって、分かってたけど、やっぱり辛いなぁ)
震える息を吐いて、私は精一杯背中を押した。
「じゃあ、受験勉強頑張ってね」
今回は翌日の受験のことは言わなかった。
「ありがとう、希美も頑張って」
「うん。じゃあね」
「ばいばい」
プツンと切れた後、崩れるように泣いた。
もしかしたら、もう少し、彼との時間が続くんじゃないかと淡い期待を抱いていた。
2度目だもん。レコードの上で、ただ同じ道を歩くのは嫌だった。
書きかけの小説を読んでくれることも、約束した夏祭りも、果たされることは2度とない。
知っていた未来なのに、彼の優しさを思い出すほど、別れが辛くなっていった。
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