第3話 推しの空気!!

 次も、その次も体育教官室に行く度、タヌキしかいなかった。

 1週間程経った頃、教官室はもうタヌキの巣なのかと諦めていた。

 あの日は昼休みだった。

 2、3回ドアを叩いて、「失礼しまーす」とテキトーにドアに声をかけた時だった。

「どうぞ」

 ドアノブを回していた手が固まった。

 タヌキの声じゃない。

 私には分かる、発せられた周波が、空気が、澄んでいるのだ。

(やばい、開けたいけど死ぬ、私絶対死ぬ)

 とりあえず、髪の毛を手櫛で整えて、汗ばんだ手をハンカチで拭いて、ゆっくり息を吐いて、死ぬのならいっそ、と一気にドアを開けた。

 足を組んで座っている吹谷先生が、ドアの側にいた。

 吹谷先生の向かいにはやっぱりタヌキが居た。

 タヌキに一応会釈した。

 タヌキは「こんにちは」と挨拶してくれた。

 タヌキにこんにちはと返して、吹谷先生にレポートを差し出した。

「今日の体育のレポート書きましたので、見てください!」

 それを見たタヌキは「式地、なんで俺じゃないねん」と少し不機嫌そうに声をかけてきた。

「いろんな先生に見てもらった方がいいのかなと思って」

 私は一瞬だけタヌキを見て、吹谷先生に向き直った。

(ちょっと無理がある言い訳やけど、通るかな……)

 吹谷先生は受け取って、ペン立てから赤ペンを抜いた。見てくれるみたいだ。

 赤ペンを持って、真剣に私の書いた字に目を通す先生。

 渡す時は、どうせ今日もタヌキだからと、テキトーな字で書いてしまったことに後悔したが、今は気にならない。

 ペンを揺らしながら読んでいる姿が絵になっている。

 普段の字や文章を真剣に読んでもらっていることにゾクゾクする。なぜか、あられもない姿を晒している気持ちになる。

 吹谷先生を素晴らしい容姿にした神様を心の底から感謝したし、吹谷先生と巡りあわせてくれた神様に心から感謝した。

(まじで心から、神様、ありがとう……)

 感情がキャパオーバーの私は吹谷先生を見ながら惚けていると、先生はサラサラと赤ペンで文字を書き始めた。

「ちょっとここの文章は伝わりづらいかもしれない」

 先生の字は少し角ばってはいるが丁寧で、読みやすかった。

「うん、それ以外は大丈夫だと思う。レポート受けとりました」

 私はこんなに満たされることってあるのだろうか、とぼんやりと考えながら、頭を下げた。

「ありがとうございました」

「気をつけて帰れよー」

「はい」

 少しでもお喋りしようと私は立ち止まった。

「吹谷先生、朝ごはんはパン派ですか? ご飯派ですか?」

 吹谷先生は、少し悩んだ後答える。

「ご飯がいいけど、今日はサンドイッチやったわ」

 私はにこにこしながらうんうんと頷く。

「ごはん美味しいですよね、でもたまに食べるサンドイッチも悪くないんですよね」

 私は明日から朝食はご飯派って名乗ろう、そして明日は絶対サンドイッチ食べよう、と心に決めた。

 教官室のドアを閉めた後、ドアの前でしゃがみ込んだ。

「もはやご褒美なんよ……」

 しばらくした後に立ち上がった私は校門に向かった。


 急いで家に帰り、私はすぐにパソコンを起動した。今日の出来事をどこかに置いてけぼりにはしたくなかった。起動時間さえも遅く感じる。

 やっと開いたら、お気に入りの掲示板にログインして、今日の出来事を書く。

『今日先生にレポート見てもらえた!嬉しすぎて死んだ!!ここにいるのはゾンビ』

『最後吹いたwよかったな。今日はどんな話したの?』

 いつもの友達からのレスが来た。

『朝食はパン派かご飯派か』

『思ったよりしょぼくて笑った』

『それだけじゃないねん。レポートも褒めてもらえてさ、嬉しすぎて悶絶した』

 私はんふんふ笑いながら友達と話に花を咲かせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る