第12話 お兄ちゃん

  石神恵美



「とりあえず抜け出すよ」


 唐突だが、私は矢島の手を取って店から出ようとする。そろそろ約束の時間だ。早くここから出ないと、あいつらと鉢合わせてしまう。


「ちょっと待って、どういうこと?」


 うまく状況を飲み込めていない矢島は、私の思い通りには動いてくれなかった。私の力で無理矢理引っ張ってもびくともしない。線は細いが、矢島も男なのだと実感する。彼の反応から察するに、染野の奴が伝えていないみたいだ。


「理由は後で説明してあげるから」


「なら抜けることをみんなに言わないと」


「あぁもう! 今それ言ったら意味ないじゃない! 早くしてよ‼︎」


 私はもう一度矢島の手を掴んで、無理矢理引っ張ってみる。すると、さっきの感覚が嘘みたいで、矢島を動かすのに力がいらなかった。どうやら、矢島が自分から動いてくれたらしい。

 矢島には申し訳ないけど、美優を傷付けないようにするにはこれしか無い。だから、矢島をあいつらに会わせるわけにはいかなかった。




 しばらく歩いて、近くの小さな公園に着いた。そこで手を繋いでることに気付いた私は、急いで矢島から離れる。


「無理矢理引っ張ってごめん」


「別に良いけど、何か理由があるんでしょ?」


「うん。あのねーーー」


 私は、何でこんなことをしたのか、その説明をちゃんとした。


 矢島が今日の集まりに誘われていないこと。

 矢島が実行委員のほとんどから嫌われていること。

 誘ったのは美優の独断だったこと。もしそれが他の奴らに知られると、美優が責められるかも知れないということ。


 そして、美優に傷ついて欲しくなかったこと。

 その全てを話した。


「俺ってそんなに嫌われてたのかよ…。結構仕事してるんだけど」


 そんな風に言っているが、矢島は全く落ち込んでいない。むしろ苦笑まじりの嘲笑を見せていた。


「はぁ、大方田中のせいね。私、ああいう先生嫌い。あの人の嫌がらせはどうにかならないの?」


「出来てたらやってる」


「ふふっ、それもそうね」


 しばらく2人で笑った後、しばらく沈黙が続く。その沈黙を破って、矢島が変なことを言ってきた。


「なんか、いつもと雰囲気違うよな。髪の毛切ったからっていうのもあるけど…一人称が『私』になってるし、なんか素直に笑ってるし」


「えっ?」


(しまった……素がでていた)


「な、何か変?」


「ううん、いいと思う」


 矢島はそう言って微笑んだ。無性に気恥ずかしくなった私は、飲み物を買うために近くの自販機まで行く。

 変だ…矢島といるといつもの調子が崩れる。何故か素に戻ってしまうのだ。


(多分、お兄ちゃんに似てるから…かな)


 いや、それはない。お兄ちゃんはあんなに変な奴じゃないし、メガネだってかけていない。

 私は自分にそう言い聞かせて、2本買った缶コーヒーの内、その1本を矢島に向かって投げつける。


「はい、あげる」


「ありがとう。やっぱり石神さんって優しいよね」


「なっ⁉︎」


(何なのよこいつ…)


「べ、別に優しくなんて…。無理矢理連れてきたから悪いと思って…そ、それで買っただけだから」


「そうじゃなくって、友達を傷つけないために頑張ってたんでしょ? やっぱり、石神さんは優しいよ」


 こういうところだ。多分、こういうところがお兄ちゃんに似ている。矢島の言葉のせいで鼓動が早くなり、体温が少しずつ上昇していた。とっくにピークを過ぎている太陽の日が、私の体温を上げて頬を朱色に染めている。


『恵美はやっぱり優しいな!』


 いつもそう言ってくれたお兄ちゃんは、もうこの世に存在しない。その姿を、私は矢島に重ねているのかもしれない。


「石神さん?」


「え?」


 ぼーっとしていた私は、矢島に声を掛けられて自分のコーヒーをこぼしていることに気付いた。幸いなことに、服にはかかっていない。


「はぁ、何やってんだろ…」


「大丈夫か?」


「うん、少しぼーっとしてた」


 矢島が心配そうに顔を覗き込んでくる。彼の一つ一つの行動がお兄ちゃんみたいで、何だか胸が苦しかった。


「石神さん、この後…暇?」


「暇だけど、なんで?」


「ちょっと行きたいところがあって。一緒に行かない?」


 そう言った矢島は、少し楽しそうな表情をしていた。その笑顔すら、お兄ちゃんにそっくりだった。

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