第10話

 実際、会長の指揮がみごとだった。人を使うのがうまいので、本人はゆっくりと動いているのに、物事がどんどん進んだ。下駄箱の前に大きく進行表を張り出して、次に何をやるのべきかが一目で分かった。現場では、人と人の衝突が起こることも多かったけれど、会長がうまく調停した。人間関係をコントロールする為に、サエコをわざと怒らせたり、酒巻さんを泣き落としの道具に使っていた。末恐ろしい。

 文化祭は2日間にわたって開催されたが、予想通り大成功だった。屋台街はお食事券を三百円で購入すれば食べ放題、飲み放題なのが受けていた。粉ものなので原価は安い。あまり黒字にしてはいけないことになっているのだけれど、あまりの盛況ぶりに、かなり利益が出てしまった。試食のときに気が付いてはいたが、食べ放題といっても粉ものばかりそんなに食べられるものではない。中学生以下は五十円にしていたので、まあいいだろう。

 気になるのは舞台だった。2年生は劇の内容を教えてくれなかったので、当日見るのが楽しみだった。5公演あるので、全員の生徒が見られるというのがありがたい。あとで宇佐美さんに聞いたところによると、5回も本番をやれたので、最後には本当に役者になっている気分だったという。僕は4回目を見た。

 通常「ウサギと亀」はウサギの怠惰を笑い、亀の努力をたたえる内容だが、脚本が凝っていた。

 ウサギと亀はレースをする。レースの勝者には賞金が用意されているが、ウサギと亀は借金をしていて、このレースに勝たないと命がない。お互いマフィアにおどされている。

 実力ははっきりしていて、ウサギは当然勝つだろうと皆に思われている。亀田さんが名演技で、自分はどうしても生きなければならないのだと、ウサギを説得する。自分は両親と子供を養わなければならない、レースに負けるわけにはいかないのだという。ウサギは初め亀のことを無視しているが、亀の子供や両親を見て気持ちが揺らいでくる。ウサギは天涯孤独で、自分が死んだとしても悲しむ人もいない。ウサギは亀に勝ちをゆずってやろうと決心する。亀にそのことを告げると、亀は初めは半信半疑だったが、涙を流してウサギに感謝する。

 試合が迫ったある日、ウサギに、ちょっとした出会いがある。恋人とは言えないけれど、とても気持ちが通じる女の子と仲良くなる。死ぬ前にいい思い出ができてよかったとウサギは思う。

 そしてレース当日。ウサギはレースの途中で、予定通り足に怪我をして動けなくなる。ウサギは血が流れる足を見て、これでよかったんだと満ち足りた気持ちになる。亀はウサギに一瞥もくれずに追い抜いていった。そこでウサギはマフィアから恐ろしいことを告げられる。このレースには大金がかけられている。お前がこのレースに勝たなければ、お前の恋人を殺す。ウサギは必死に、彼女は恋人ではないとマフィアに訴えるが、聞いてはもらえない。ウサギはどうしようもなく、もう一度傷ついた足で走り始める。なんとか亀を追い抜くと、亀はうらみつらみの言葉をウサギに吐く。

 しかしゴール手前でウサギの足に限界が来てしまう。亀はウサギを無視して、ゴールに向かう。ウサギは必死に追いつこうとする。そこで幕。

 幕が下りたあとに、呆然として拍手するのを忘れていた。特にウサギが傷ついてからの展開が、こちらが息苦しくなるほどで、宇佐美さんは本当に苦しそうにがんばっていた。練習も本番も、何回も見ているのにと言って、酒巻さんが目を赤くしていた。宇佐美さんはセリフは少なかったけれど、とても存在感があった。なんというか、本当に悩み苦しんだ経験があるに違いないと思ってしまうような演技だった。手を前のほうに向けて、「ちょっとまってくれ、亀、おまえの気持ちが初めて分かったんだ」といったシーンは、鬼気迫るものがあった。サエコが僕の横でみていたのだけれど、嗚咽をあげて号泣していて、僕が大丈夫かと聞いたら、みぞおちに思いっきりパンチされた。

 文化祭は土日に開催されたのだけれど、日曜の入りがすごかった。土曜日に来校したお客さんの口コミが大きかったと思う。小さな町なのだ。アンケート結果ではやはり、2年生の劇に感動した人が多かった。亀田さんの大人の演技も評判が高かった。家族を養うためにウサギにすがり付いていく感じが、なにかリアリティがあった。楽屋に行くと、亀田さんが出演者の学生と笑って話をしていた。感動しましたと僕が言ったら、戦後のころの気持ちを思い出しちゃったよと亀田さんが言った。声をひそめて、本当は思い出したくないんだよな、と僕にささやいた。熱狂のうちに文化祭が終わって、あとはもう受験勉強だけだと思うと、薄ら寒い感じがした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る