『nobody's perfect』
『nobody's perfect(完璧な人はいない)』
その通りでしかない。
この世の中に誰か一人でも完璧な人間を見たことはあるだろうか、いや私はない。
よく『天才』やら『秀才』を目にすることの多いがその人達は何かしらの欠点はある。
え、どう考えても欠点なさそうな人いるって?
ふむふむ、教えてあげよう。
それは錯覚というものなのだよ。
……これは決してバカにしている訳ではないし、なんなら身近にいる天才を私は最大限尊敬している。
ここでいう錯覚は『欠点を逆に活用する、または近似値レベルで完璧に近くしている』
ことなんだ。
それは確かに才能も含まれているけど、基本的には努力で途方もない時間を割いた結果、そのようなマジックを成功させているのだ。
しかし、天才や秀才は一般層のいる次元から一つか二つ突き抜けて別次元にいるためあまり実感の湧かない所もあるだろう。
実際私もそうである。
しかし、欠点が少なからずあると分かっている人間に親近感を湧く人はいないだろうか。
例えば、『仮面ライダーW』に出てくる左翔太郎。
彼は鳴海探偵事務所でフィリップと二人で一人の探偵を営んでいるのだが、究極のお人よしで困っている人がいたら助けてしまう。
そのせいか、ハードボイルドならぬ『ハーフボイルド(半熟卵)』としばしば呼ばれる。
だがそれは彼の最大の欠点でもあり長所であることは試聴した人には理解できるだろう。
そう、これが短所を長所に変えている……上手く活用しているのだ。
欠点と理解していながらも長所とも捉えられる視点の変化。
私はそのような人間の方が好感が持てる。
『完璧な人はいない』は天才には程遠いことわざだが、先をゆく言葉より隣を歩み理解してくれる言葉の方が前へ進める気がする。
極端を言えば人間ネジの二、三本は外れていた方がのいいのだ。
一本から数十本まで個人差による外れ方はあるが、要はそれを互いに埋めてくれる人間さえいたらそれで良い。
友人、家族、恩師、恋人。
互いに埋め合うのが人間としての泥くさい生き方に似合っているし様にもなっている。
あ、最後に一つだけ。
どんなに程遠い存在でも、心は皆持っているから人として接したまへ。
結城綾のエッセイ集 結城綾 @yukiaya5249
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