Following

ほんの興味だった。

少し、気になっていた。

でも触れないでおこうと考えた。でも、どんなふうに「でも」を重ねても心の中で彼に話しかける「デモ」をしても、納得がいかなかった。

だから、勇気をだして彼についてゆくことにした。自分にけじめをつけて、この気持ちを晴らすために。どこかそれは、偶然であったと思い込ませるために。嘘はついていない。



――—---------------Following---------------



今俺は、彼を追っている。茶色のねぐせっけのある髪に黒の長いロングコートを着た黒縁メガネの男性だ。3番線ホームに到着した電車を降りて、7番出口へと向かっていった。ストーカーみたい?そうかもしれない。


これから起こることは、自分にとっての真実だ。たとえそれが、彼にとっての嘘だとしても。


彼は地上へ出ると、ヘブンズストリートを駆け足で通り抜けていった。

これが午後9時くらい、これから飲み明かそうとしているサラリーマンをちらほら見かける。夜はすっかり暗くなって、なま暖かい風がほおをつたう。そしてまるでハイヒールを履いているかのようなうるさい彼の靴の音をたよりに、俺は彼についてゆく。


なぜ、彼についてゆくのか?それは俺と彼の奇妙な共通点があったからだった。

俺は月曜から土曜まで、ソロモンペグストリート3番街のコールセンターで朝から夜まで働く男だ。そしてヘブンズドアストリート行きの電車に乗り、前から7番目の号車、3番ドアの一番端の席に座る。ヘブンズドアストリートは、人での多いソロモンストリートと違い都心から離れた小さな町なのでいつも座って帰れるのである。

そして、その彼は俺と同じ電車、同じ号車…同じドアの真反対の席に座っている。

いつも。絶え間なく。


そんな彼との共通点が始まったのは、3か月前からだ。

ソロモンストリートへの配属が決まって、いろいろと先の事を考えながらなんとなく乗った3番ドアの一番端の席。

真反対に、彼が居た。

それからだった。食い入るように彼をみていた。なんというか、見ていたかった。

彼はいつもスマホを見ては、何か考え事をしている様子だった。

足を組んで、ああ、いつも左足が上にくる。でも3回に1回は、右足だったりしている。


そうして、彼が7番出口から出て行くことを確認する勇気をもったのは彼を見つけて3週間後のことだった。やっと少し近づいたと安堵しながら、3番出口から出て行き自分の家へと向かう。家に帰ってから、彼に気づかれただろうかとかもしかして彼も気づいている?とか、そんなくだらないことを考えた。そうしてただ質素な机の上に皿を並べては1人用の食事を作る。彼の事を考えていると、妙に時間が早く感じた。食事なんてすぐに食べ終わる。皿洗いなんて、洗濯物なんて、まるで俺以外の誰かがやってくれたみたいに。どうして?


そんなことが1か月続いて、それからまた続いて、季節は秋から冬になりかけていた。同じ時刻、同じ電車、同じ場所、同じ出口、同じ仕事、同じ食事。なんど考えても、その均一さに腹がたってきていた。変化を求めていたわけではない、心の中では。ただ目の前に、彼がいることで越えてはいけない一線が見えてくる。どうしようもない感情の、吐き出し口を探していた。性的な欲望や、独占欲ではない。そういった感情を、はっきりさせたいのもあったが。


彼をみつけて、2か月たったとき。俺は7番出口から帰るようにした。

7番出口には、そんなたびびとたちの帰りを待つ待ち人がまばらに居た。あるものは車で帰宅を待っていたり。あるものは、たびびとに寒いでしょうとコートを用意して一緒に帰っている。

少し家までは遠回りだったが、彼がどうかえるのだとかしまいにはもしかして待ち人がいるんじゃないか?とか思ってひたすらに、自然と、ついていった。

彼に待ち人はいなかった。俺の知る限りではだが。


少し経って、彼がスマホで何を見ているのか気になった。ガタガタと揺れ、たまにするどく脳震する硬いものが触れ合うような音さえ気にならなかった。彼に夢中だった。いっそ彼が見ているものが黒縁メガネに反射してほしいと思ったが、それがいつか自分であればいいのにとさえ思い始めた。気持ち悪いと、自分に嫌悪を覚える。


こうしてここまでの自分を遠い目で見てみると、自分はゲイなのではないかと思われる。違う。ここまでもこれからもそんなことはない。ただそこに、「興味」があったと言いたい。真反対の彼と越えてはいけない一線を、越えるか越えないのかそれは達するか達しないか、そういうものに似ている。「じらし」だ。それを、楽しんでいる?と問答する。こたえはない。


では自分はマゾか?と思われる。認めたくないが、そうとも言えない感覚がある。子供の頃、ガキ大将のような子供によく追いかけられた。「お前の持っているものは俺のものだ」と言われ、くびねっこを掴まれて。俺の方が上だ、さあどうだ、俺にめちゃくちゃにされたいか?と言わんばかりにいじられた。こたえはない。でも、もし答えるのなら、構わないと言ったのだろう。



…そうして、今に至っている。正確に言えば、達してしまった。「じらし」が消え失せる。ストリートを通り抜けた彼の靴の音は、角を曲がった。気のせいか、彼の靴の音が早くなっている気がする。まさか気づかれたか?


彼は、ネオン街へ向かっていった。女性風俗店や、パブなどが連なっている…俺には一生縁のない場所だと思っていたが。背の高い男が、若い女を片手にじゃらじゃらとすれ違う。香水(パフューム)の悪臭をくぐりぬけ、彼についていく。どこへいこうが構わない、俺を連れて行ってくれるんだろう?そんな感覚で、足を進める。


そうすると、若いキャッチの女が俺に寄って来た。俺は急いでいる、と声をかけて通り過ぎようとしたが女は胸をよせつけて逃げようとする俺から離れない。

「興味が無いわけじゃないでしょ?」

そう言われ、俺はむっとした。

そして手をいきおいよく払いよけると、女が悲鳴をあげて倒れこんだ。なにごとかとその場で立ちすくんでしまった。それがいけなかった。

「痛いわ、いきなり暴力をふってきたわ」

周りの人間の冷たい視線が俺をおおった。なんだって?俺が暴行だと?

「ちょっといいか」

すると、いわゆる”裏”から3人組のいかにも強そうな強面の男たちが出てきた。

「ははっ、また釣れたなあ」

”また”だと?何人ものやつに声をかけているのか。その瞬間に、こいつらはグルであると気づいた。はじめから俺が断ると分かっていて、わざと尻尾をふってきた。大袈裟に言って…金を巻き上げようってか。

「俺は急いでいる」

そう言って、逃げようとするが四方八方をふさがれた。逃げ場がない。そうだ、彼はどうした?この瞬間に彼を見失ってしまうかもしれない。

「人を追っている…!だから」

右手でやつらの胸板を押しのけようとする。びくともせず、ただ落胆する。もう彼を追うことは出来ない、ここまでであった。




「なあ、嘘を言うのってどんな気持ちだい」

明らかに3人組ではない。ましてや女の声でもなかった。その声は聞いたこともないが、親しみがある。でも知らない男の声。

そうだった、彼だ。俺が追いかけていて、ずっと声をかけられなかった彼が、腕を組んで黒縁メガネに俺を反射させて立っている。

「あんたは…」

3人組の1人がそう言いかけたと同時に、彼はやつらを押しのけて俺の手を引っ張った。並大抵の力ではないのだ。まるで、磁石のように、ひきつけられた。すれ違う人々を横目に、猛スピードで走り去る。ありえない。何か月も見ていた彼は、今俺の手を引いている。しかも彼から話しかけられるなんて。でも、え?なぜ、俺を。


彼は、いろんな人をかき分けて、俺の手をひいて進んでいく。ずっと見ていて、ずっと、ずっと。そんな風に思いを巡らせながら、俺は彼に自分を託した気がする。周りの景色がぼやけていく。光が走った。辺りがチカチカする。脳に電気コイルを流されているみたいに、速さは光速を越えるかのように。

おかしい、と俺は首を横に振った。そうして彼が振り返って、にやりと笑う。眼鏡に俺を反射させる。

「”興味がないわけじゃないんだろう”?」

彼はそう言った。

そう言われ、これは現実で無いと気づく。

脳がふわふわとした。


「おい、おっさん寝てるのか?もう終点だよ、終点」

かばんを抱え、よこの背もたれに身を任せていた。気づけばよだれをたらし、寝ていた。向かい側に座る彼はいなかった。そうして車掌のような人物にこっぴどく起こされた。夢であった。

ホームの電灯がチカチカと点滅する。俺の靴の音がコツコツと響く。どうやら俺以外、もうここには誰もいないらしい。

「どこからが夢?やつは?」

俺は3番出口へと続く階段を昇りながら、ぽつりとそうつぶやいた。

出口へと向かっていくと、次第に俺以外の足音がしだした。高い靴の音だ。それはまるで、女が履くハイヒールのように…ハイヒール?彼、彼は

「いるのか?」

俺はその音に返事を求めた。幻聴?幻覚?なんでもいいのだ。答えを欲していた。正しいとか、正しくないとか、真実とか、嘘とか、どうでもいい。目の前にあることを俺は信じようと考えた。


沼の底からぬるりと手が伸びてくるような。でもそれははい出てきた瞬間に、月の光でその穢れは落とされる。おでましだ。するりするりと闇を交わしていき、やがてその手に捕まれる。正確に言えば、捕まえてほしい。俺は7番出口へと行き戻った。予感がした。彼が居る。


「いるのか?いるんだろう!」

俺は声を張り上げた。そうしてハイヒールの音が、7番出口を出た。音が遠い。近くへと寄る、緊張して、心臓は破裂寸前の水風船みたいだ。いつはじけるかわからない、でもはじけるのならはじけてしまえ。そして、7番出口を出ようとしたとき

「なぜ僕を付けていた?」

そう言われた。

右腕をぐいと捕まれた。彼だった。ねぐせっけのある髪、黒縁メガネ…俺はしばらく彼を見ていた。あまりにも美しかったから。彼の瞳を見たことは無かった。正確に言えば、見えなかった。彼の瞳はオーシャンアイだった。その可憐な瞳に、吸い込まれた。

「答えてくれ。君も答えをほしているなら、答える義務がある」

次のこと、俺の口は勝手に開いた。

「あなたを、見ていた。気になっていた…少しばかりの興味で。不快にしていたらすまない。ただ…確かめたかった」

他愛も無いジェスチャーで、伝われと願う。彼から目が離せない。彼は俺の体をしたから上までなめるように見た。そして頬にてをやって、顔を近づけた。俺は抵抗しなかった。

「夢の中でも同じこと言っていた。君は変わらない」

…なんだ?なぜ、夢を知っているのか。疑問はあったが、その場の彼に戸惑って何も言えなかった。

「話そう。付いてきて」

彼は俺の手をひいて、ストリートにあるパブへ向かった。夢で来たところじゃないか。ただのデジャブか、なんなのか。俺は唖然としてパブへ入った。若い男女が1組、酒でべろべろに暴れている。彼はやつらを気にもとめず、パブの席へと俺を案内した。


パブの中では、80年に流行ったジャズがテンポよく流れる。さっきの2人はそれに合わせて腰を振ったり、奇声をあげている。やばい薬でもやっているのか?

そして、彼はこなれた口調でマスターに「カクテル2つ、1つはサプライズだ」と言った。よくこの店に来ていたのか、と悟る。それにしてもたった数分前、自分を付けていた男をこんなところに連れてくるなんて。しかも意味不明な言動…俺は正直これはまだ夢をみていると考えていた。だから、別に夢のなかなら何をしても構わないだろうと思ったのだ。


「俺を…知ってた?いつから?」

「君を知ったのは…そうだね、どこから話そうか。夢の中と言ったら、君は笑うかい?」

「からかっている?」

「ああ、違う。じゃあいうよ。本当に夢の中だった。3人組の男に囲まれている君を、僕が助ける夢さ」

デジャブか、はたまた何かの偶然か。いいやそれを確かめたかったのに。

「俺はあんたに助けられた。俺もその夢を見た」

彼のオーシャンアイが、俺を見て貫く。貫かれて粉々に喰われる前に、ただただこまごまとした言い訳をしようと考えた。

「それで僕を?付けてた?」

「気になっただけだ…ただ、なんでかなって。変な気はない」

後付けの理由なんて、崩れるに決まっているのに。そういうと、マスターが俺に「スペシャル」なカクテルを出してきた

「なんで、スペシャル?」

「豪華なほうが、人は喜ぶ。どんなものでもきっとそうさ。ごく普通の恋愛ドラマより、主人公がヒロインに殺される映画の方が僕は面白いと思うね」

俺は普通の方が好き。と言いたくなったが、今の自分に正直になれば逆の答えだった。うん、そうだ俺もヒロインに刺されても構わないなんて。言えない

「…そう。君は変わってる」

「はは、うん、そうだね。だって…僕には、予知能力がある。」

彼は真剣な顔つきになって、カクテルを飲み干した。後ろにいる男女がさらにヒートアップしている気がする

「予知?」

「これから起こる事は、すべて分かる。少し目を瞑って、瞑想する。君も予知夢を見たんじゃないか?」

「…あれが予知夢だったと?あれは起こりうることだったと?」

「うん。僕はいままで何度もその夢を見てきた。ここ3か月くらいずっと…」

彼は頭を抱えた。そうしたかと思えば、いきなり顔を明るくして俺のかたをたたいた

「でもやっとはっきりした。君が付いてきてくれたんだとね」

俺はいきなりの彼の近さに驚いたが、夢の中なのだからしょうがないと思った。そして俺もカクテルを飲み干した。飲むと、もやもやしていた部分がはっきりしてきた。

「うん…美味しいね。カクテルなんて久しぶり。ずっと忙しくて、いいや単調な日々に明け暮れていた。せめて夢の中くらいは…こうでなくっちゃ」

俺がそう言うと、彼は首をかしげた。

「…君の一番知りたい未来はなんだい?教えてあげるよ」

彼が冗談交じりに言ったのだと思い、俺は少し笑う。そして大きなあくびをしてから答えた。

「…ただでか?」

「代償は、教えた後に言うよ」

「そんなの後出しじゃないか」

「変化が欲しかったんじゃないの?興味がないわけじゃないんだろう?」

俺はごくり、と息をのんだ。

彼にそう言われ、もう何回も聞いたセリフだから、どうせ夢だからと俺は言った。

「この夢が、醒めるのかどうか」

酒と交えたジョークのつもりだったが、彼は真剣な目をしだした。そうして、「…お代は」と言い出したので早く答えを教えろよ!とせかした

「……お代は、夢が醒めたらわかるんじゃないか」

そう彼が言ったので、俺はああやはり夢だなと思った。そのときカクテルで異常に脳が興奮し、錯乱していた。どうせ醒めるなら、どうせ、と彼が飲んでいたカクテルのコップをひょいと拾った。

「じゃあ、頂いてくよ。これは夢だ、そうだろ?現実のあなたに、 」

俺は立ち上がって、千鳥足のまま店を出ようとした。彼も立ち上がって、冷静な顔で俺を見つめる。オーシャンアイに貫かれる前に、早くここから立ち去ろう。

「乾杯」

俺はコップを高く上げてそう言い、パブから出た。そのとき、光が走った。

まるで夢の夢のとき、彼に手を引っ張られていたかのように、速度は光を越える。無限の有限性を確かめている。そんな矛盾を抱えながら、宇宙空間にほおりだされて息が出来るように。脳にコイルが走る。薄れる。薄れていく。

周りの景色はもうパブではない、こなごなになった紙切れのようだ。俺の周りをはらはらと舞っている。それが壊れた先には真っ黒な空間が広がっていた。これが、彼に付いていった末路だった。


俺に残されたのは、彼のカクテルのコップだけだった。右手に持って遠くへ投げてみる。暗闇に消えていった。俺は深呼吸をして、そのコップのあとを付いていくことにして足を進めた。俺の意識はそこで終わっていった。墜ちて行った。


でも右手に、あのコップの感覚がしていた。俺が意識できる物体は、それだけだった。






















ほんの興味だった。

少し、気になっていた。

でも触れないでおこうと考えた。でも、どんなふうに「でも」を重ねても心の中で彼に話しかける「デモ」をしても、納得がいかなかった。

だから、勇気をだして彼についてゆくことにした。自分にけじめをつけて、この気持ちを晴らすために。どこかそれは、偶然であったと思い込ませるために。嘘はついていない。


今俺は、彼を追っている。茶色のねぐせっけのある髪に黒の長いロングコートを着た青縁メガネの男性だ。7番線ホームに到着した電車を降りて、3番出口へと向かっていった。ストーカーみたい?そうかもしれない。


これから起こることは、自分にとっての真実だ。たとえそれが、彼にとっての嘘だとしても。


彼は地上へ出ると、ヘブンズストリートを駆け足で通り抜けていった。

これが午後9時くらい、これから飲み明かそうとしているサラリーマンをちらほら見かける。夜はすっかり暗くなって、なま暖かい風がほおをつたう。そしてまるでハイヒールを履いているかのようなうるさい彼の靴の音をたよりに、俺は彼についてゆく。


なぜ、彼についてゆくのか?それは俺と彼の奇妙な共通点があったからだった。

俺は月曜から土曜まで、ソロモンペグストリート7番街のコールセンターで朝から夜まで働く男だ。そしてヘブンズドアストリート行きの電車に乗り、前から3番目の号車、7番ドアの一番端の席に座る。ヘブンズドアストリートは、人での多いソロモンストリートと違い都心から離れた小さな町なのでいつも座って帰れるのである。

そして、その彼は俺と同じ電車、同じ号車…同じドアの真反対の席に座っている。

いつも。絶え間なく。


そして不思議と、彼を見ると思い出さずにはいられないものがある。

7年前、目が覚めると俺は電車の中でぐっすり眠っていた。よだれをたらして、車掌に無理やり起こされたのだ。その後いつも通っている7番出口から出ようとしたとき、ふと右手に違和感を感じた。身に覚えのないコップだった。何故か俺はこのコップに…そう、愛着を、感じないわけにはいられなかった。はじめて何かに愛というものを感じた気がする。


俺が今気になっている、というか少し興味がある彼と似ていた。でも、いつかは覚えていないけれどそのコップはどこかに消えてしまった。割れてしまったかどうかわからない。今は別の人のところへ行っているかもしれない。もしかして存在自体が無かったんじゃないかとたまに思うけれども、コップが消えた事による心の喪失感がそれはあったと証明できる唯一のアリバイだった。


その彼と出会ってから、3か月がたったころ俺の生活は順調になっていった。昇進することになった。そのため、この街を、この電車を使わなくなる。

彼とも会わなくなる。それでいいと感じた。何もせず、何も感じなかったことにすればいい。でも、彼をいなかったことには出来なかった。自分の気持ちに正直になれていないわけではない、そう自分に問答して喪失感を埋めていく。

いくら世界一美しいと言われるものを見ても、いくら満足できる女の体を抱いても、その穴は埋められない。まるで一度貫かれたことがあるかのように。


何日後、彼は居なくなった。姿も形もない。俺の昇進まで、あと3日だった。

せめて最後くらいは、見たかった。

引っ越しの準備をしていると、そんなタイミングであのコップが出てきた。捨ててはいなかった。ただ大事にしまっていた。新聞紙や緩衝材を入れて大事にとっておいた。でもほこりがかぶっていた。


俺はがむしゃらに、ほこりを拭きとった。

そして俺はそのコップの下にある文字が書いてあることに気づいた。


俺はその文字を読んで、無我夢中に家じゅうのカクテルを探して注ぎまくった。

何度も何度も飲んだ。自分を忘れるくらい、おかしくなるほどに。自分の異常さに気づけないまま、俺はその場に泡を吹いて倒れた。

家に1人、家族は居ない。


Forgive my Following,

それは俺があの時の彼に言いたかった言葉だった。

そして、彼のお代は支払われたと気づいた。














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