第10話 藍の交わり
彼の住む離れで、肇さんは、悲しげに目を細めた。
「ごめん、初さん。あなたの気持ちには応えられない」
私は笑った。
「ええ、分かっているわ」
「……そうなの?」
「だって貴方、兄のことしか見ていなかったじゃない」
私にはどうしても分かってしまう。肇さんが兄を深く愛していたことを。だからこそ、私は彼と一緒にいられたなら、彼の不在を嘆かずに済むのではないかと、浅ましくも思ったのだ。
「貴方と共にいられたなら、兄のことを幸せな記憶とともに思い出せると思ったの。だからこれは、私の不純なわがままなの」
「そこまで分かっていて、どうして、」
「だって貴方は、私を受け入れるからよ」
私は肇さんに抱きついた。
「お願い。貴方の哀しみを分けて。私の悲しみをあげる」
肇さんは驚いたように私を受け止めた。それから、お互い溺れるような交わりをした。こうでもしきゃ、彼を忘れられない。ごめんなさい、務さん。こうするには、あなたはあまりにも陽だった。私が欲していたのは、恋人ではなく、身体を通じて暗い水を分かち合ってくれる相手だったの。……もしかして、兄が言っていたのはこのことだったのかしら。翻弄してしまう形にはなってしまったけれど……。
私はあどけなかった少女時代にお別れをした。務さんとはもう目を合わせることすらできなくなるかもしれない。でも、これでよかった。
肇さんは泣いていた。私の頬をなぞって、「樹」と慟哭した。私はその深く暗い感情を受け止めた。そうすることによって兄がここに蘇るとでもいうように。各地では戦火が絶えない。戦況は悪化していた。彼は無事ではすまないかもしれない。彼が泣いたのは、それを思ってのことだろう。彼の白い肌が、これから訪れる季節に降るもののように淡く光っていた。それはこの世の光だった。彼は大丈夫だ、と私は思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます