第6話 春の残り香

 肇を二人に会わせてよかったと思う。出会ったときは蒼白だった彼のかんばせは、最近はいつ見ても紅潮している。四人で会うたびに、彼は活き々々と快活に話すようになった。このまま彼の病が良くなればいいと思う。そして学校に行けるようになれば。同じ学区のため、同じ高等学校に通うことになるだろう。遠い未来の話かもしれないけれど、そうなればいいと感じている。

 部屋で読書していると、初がやってきた。

「お兄ちゃん、ボオドレエルの詩集、持っていらっしゃる?」

「あるよ」

 文庫を彼女に渡す。

「あらありがと。なんでも持ってるのね、お兄ちゃんは」

「おっと。身ぐるみ剥がないでくれよ」

「あら、女山賊を舐めてもらっちゃ困るわ」

飛びかかってくる初。おてんばの域を超えている。彼女がこういうやんちゃな場面を見せるのは、僕にだけらしい。それはこれまでの経験で分かっていた。しばらくじゃれ合った後、ポンと初の頭に文庫本を乗せた。

「初」

「何? お兄様」

「いくら愛のためであっても、翻弄してはだめだよ、分かったね」

 初はきょとんとして俺の顔を見た。

「なんのこと?」

「そのうち分かるときが来るよ」

 それだけ伝えるのはもどかしいが、仕方がない。先回りして色々と言うのは僕の趣味ではないから。

 西日が強く差し込んできた。畳が光り、一層艷やかな質感を帯びる。初は僕の意図をしばらく考えていたようだったが、諦めてこう言った。

「お兄ちゃんって、たまによく分からないことを言うわよね。それで、後からあのことだったってピンとくるのよ。まるで予言者みたいだわ」

 僕は困った。予言のつもりで言っている訳じゃなかったから。僕のはただ、

「そうなるように分かるから、そう伝えているだけだよ。予言だなんて、そんなご大層なものじゃない。ただ先回りしてあれこれ忠告したい……悪癖みたいなものなんだと思う」

「へぇ。お兄ちゃん、頭いいもんね」

 にこにこして初が言った。その天真爛漫さに救われる。

 人よりも先を読むことが得意だったためか、何かと孤独を感じやすい自分の心を、本人もそうと気づかずに和ませてくれたのは、幼少期からずっと、初と務だった。初は無垢さによって。務は快活さと鷹揚さによって。彼らの陽の在り方は、僕にとって救いだった。今もそうだ。僕は稀有なこの出会いを、死守しようと決めていた。そうすることが、明るい未来に繋がる予感もしていた。誰にも話していないこの能力は、善用するためにあるのだ。僕はそう考えている。

「でもお兄ちゃん、あんまり考えすぎちゃだめよ。お兄ちゃんが楽しく生きられるのが一番だもん。初、お兄ちゃんの穏やかに笑ってる顔が一等好きよ」

 はっきりと目を見てそう言ってくる。

「初、ありがとう。心配をかけているのなら、ごめん」

 初は微笑んだ。

「そんなことないわ。私はただ、欲張りなだけ。大好きな人が笑っていたら、私が嬉しいのだもの」

「思いやりの深い妹を持てて、僕は幸せ者だよ」

「あら、私も、優しくて賢い兄を持てて幸せよ」

「僕のほうが幸せだよ」

「なによ、私のほうが」

 喧嘩の真似事をして、顔を見合わせて笑う。少し大人びた妹の顔立ちに、過ぎた季節の残り香を見た。いつも僕を引いてくる虚無は、今はなすすべなく、心の片隅でいじけていた。

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