第3話 幼馴染み

 春の優しい胸に抱かれていた子ども達は、夏の剛健な腕に元気よくぶら下がりに行く。樹も例外ではなかった。学友と海にプールに山に、行きたいところは山ほどある。春学期最後の授業終わりに、教室で友達と遊ぶ日程を相談する。眼鏡の山村務が笑いながら言った。

「しかし柏木よ。お前、新しい友人に時間を割かなくていいのか」

「そちらの予定はもう入れてあるんだ。お前が気にすることじゃないよ」

「なぜさ。兄弟の契りでも結ぶような重要人物なんだろう」

「馬鹿言え。……肇とはそんなんじゃない。それに、そういう風習を俺が嫌っているのを知っていてそんな話題を振るとは、お前も悪趣味になったな」

「妬いてんのさ。最近口を開けば肇くんとやらの話ばかりで」

 山村務は、幼少期からの樹の友人である。人を小馬鹿にしたような態度を取りつつ、何かと面倒見のいい、兄貴分の人間である。幼い頃は、よく肝試しや悪戯を企画しては大人をからかっていた。樹は彼の大胆な性質を、自分には無いものとして好んでいた。いつも一緒にいすぎて、今では顔を見るだけで何を考えているか分かるほどである。

「へぇ、やけに素直じゃないか」

「そりゃ、幼なじみを十数年やっていれば、そうもなるさ。お前の動向はやはり気になるものだよ」

「お前に束縛されちゃたまんないよ」

 務は笑いながら樹を小突いた。

「違いない」

 数日前に肇の家に遊びに行き、「今度うちに遊びに来ないかい」と誘った。始めたはきょとんとした後、徐々に嬉しげに頬を緩ませ、「ありがとう。喜んで行かせてもらうよ。お邪魔にならない日に」と言った。樹は快く承諾されたことを喜び、その後はとんとん拍子で日程が決まった。

「肇はお前と違って、お上品なことこの上ないよ。悪戯なんて一度も考えたことがなさそうだ」

「おや、そしたら天性の悪戯小僧の樹には物足りないのではないかい?」

「違った血を得られていいよ」

「なるほどね。お前がそんなに言うんなら、良い奴なのだろ。今度会わせてくれよ」

「とんでもない。彼の純な心を汚すような真似はしたくないよ」

「言うねぇ、樹君。自分が模範的な人間だという言いぶりだな」

「まさか。でも、こちらにも見せる顔というものがある」

「まるで政治家みたいな理屈だな。じゃあ、俺に見せている顔というのはなんだい?」

「悪巧みにうってつけの相棒顔だよ」

「なんだそれ」

 ひとしきり二人で笑ったあと、務は真面目な顔をした。

「家が複雑らしいじゃないか。少しは息抜きに連れ出してやるといいよ」

「ああ、そうするよ。実を言えば、お前に会わせようかと思っているんだ。仲間に加えようというのではないよ。ちとハードすぎるからね。というより、家の人間以外と話すのは、病に対する良薬となり得るから、信頼の置ける君が適任かと思ってね」

「光栄だよ」

 務はにこりと笑った。普段は眉目秀麗な顔立ちに不敵な笑みをたたえているような男だが、笑うと年相応に愛らしく見える。その魅力に惹かれて、傀儡のようになる人間は多かった。要するに、悪戯の鉄砲玉にさせられるのである。それを歓びとする者も少なからずいたが、務に言わせてみれば「歩兵の域を出ない分の者たち」であった。その中で、その状態を半ば引きつつ見ている樹は務の右腕ポジションとして、同世代からは認められていた。ちなみに、初が言うには「ほんと馬鹿」だそうである。しかし、実態としては、務は大人に好かれていた。はきはき受け答えをし、簡単には屈せず、自己主張を明朗に行い、健全な範囲で悪戯をする愛嬌のある男前を嫌う者はそういなかった。いたとしたら、ルサンチマンにまみれた者だっただろう。一人青橋というのが務を目の敵にしていたが、青橋自身、ガリ勉でそう人気のある者ではなく、務から格好のからかい相手にされていた。樹から見れば、青橋が孤立しないようにという務の優しさがよく現れているように思えた。そのことを本人に直接確かめたことはないが、そういう時、樹も横からフォローや相槌を入れたりすることはあった。


「樹はオカン気質だな」

 務は微笑んだ。

「そういうんじゃない。肇とは対等だよ。彼は僕の知らないことをよく教えてくれるし。なにより繊細な感性が、一緒に居て心地いいんだ」

「樹も、そういうところがあるもんな」

 健康的な腕を伸ばして、務は机を触った。

「話は変わるが、初殿は元気か」

「元気すぎる。ちょっと静かにしてほしいくらいに。最近は浴衣に嵌ってよく友達と出かけているよ」

「さすが初殿だ」

 務はことあるごとに、初に嫁に来てほしいと言う。樹としては、半分冗談、半分本気だと観測している。これも、確かめたことはないが、恐らく当たっているだろうと確信している。

「いいなぁ、女兄弟。さぞ毎日楽しかろうな」

「そうでもないよ。向こう気強いし。なんか突っかかってくるし」

「それは樹が悪いんじゃないか。どうせ半裸で彼女の前を通ったりしているのだろう」

「そんなことしたら一生口きいてもらえないよ……」

 務はカラカラと笑い、樹の肩を抱いた。

「小さい頃はよく3人で遊んだな」

「ああ。初は活発だから、鬼ごっこをしてもよく捕まえられたな」

「彼女、運動神経いいものな」

「おてんばなんだよ」

「ああ。そこがいいところだ」

 樹は笑った。妹を褒められるのはなんにせよ嬉しい。

「また遊んでやってくれよ」

「お、いいのですか兄上」

「それやめい」

 務を小突くと、わははと笑いながら逃げていく。それを追いかけて、樹は放課後の教室を出た。

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