第2話 初の提案
樹の家は、坂の中程にあった。元々商人の家系らしい。母の兄である叔父は、学生時代から成績優秀だったこともあり、今は大学教授をしている。叔父は寡黙な人だが、実直な人柄で、継子である樹にも親切に接してくれた。叔母も優しい人で、実の子と別け隔てなく育ててくれている。そのことに、樹は深く感謝していた。母が自分に注いでくれていたであろう慈しみの表情を、叔父叔母に垣間見ることができた。いとこの初は、向こう気が強く、樹に容赦ない口を効くことが多かったが、それでも(改めて言うと気恥ずかしくなるところがあるが)仲が良かった。今日も、樹の部屋にやってきて本を貸してほしいとねだったところだ。
「お兄ちゃん、夏目漱石持ってる?」
「持ってるよ」
「へぇ。なんか薄いやつ貸してよ」
「読書感想文か」
「そうよ。……これよさそう。夢十夜にするわ」
「持ってけ泥棒。お返しはいちご大福で」
「何よ、下にあるから普通に食べたらいいじゃない。……ねぇお兄ちゃん、最近何かいいことあった?」
突然の問いかけにどきりとする。いいこと。そんなに顔に表れやすかったっけ、自分、と内省する。
「……あったよ」
「何よ」
「……足土町に貸本屋、あるだろう?……あそこに行くときに、偶然友人ができてね。たぶん、それじゃないかな」
「へぇぇ、内向的なお兄ちゃんも、そんな成り行きで友達ができたりすんのねぇ。よかったじゃない」
「まぁね」
一言余計だと内心思う。初は瞳を輝かせた。
「ね、その方、美形?」
「はぁ?」
思わぬ質問に素っ頓狂な声が出た。
「び、美形!?」
「うん。もしそうならお近づきになりたいなって」
単刀直入すぎて呆れてしまう。
「阿呆か」
「いいじゃないの。ねね、今度家にお呼びしてよ」
それには異論はない。
「向こうが了承したらね。美形かどうかだけど……客観的に見たらそうじゃないか」
「なんでそんな持って回った言い方すんのよ」
「だって同性を美形とか言うの……気恥ずかしくないか」
「男の子って面倒ねぇ」
んじゃ、よろしくね、と軽やかな足取りで部屋を出ていく。樹は首を振って、本棚の空いたところに指を入れながら、思案した。二人で色々な話をしてみたいと思っていたところだ。初のねだりは丁度いいタイミングだったと云える。しかし、肇は身体が弱いのでなかったか。もしかすると、人の家に行くのは体に触るかもしれない。様子を見ながら提案してみよう。
どこかで河鹿が鳴いた。もうすぐ夏だ。いい季節になるだろう。そう内心呟いたのに応えるかのように、外に植わった青い木々が、さわさわと葉を鳴らした。
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