事件の真相5

 夜鳥プロダクション社屋での長い打ち合わせも夜が更けた頃には終了し、午後九時、〈ガダラ・マダラ〉プロデューサー兼チーフディレクターは、自身の運転する車で自宅マンションへ向かう最中にあった。番組の新主題歌をどうにか本決まりの段階に漕ぎ着け、ハンドルを握るスキンヘッドの彼は上機嫌に鼻歌を奏でていた。

 一時は制作サイド内部でも打ち切りの意見が出た〈ガダラ・マダラ〉だが、収録再開はもう時間の問題だった。先日他界した南枳実の遺志を継ぐなどという仰々しい考えは微塵もなかったが、番組続行は夜鳥プロの存続に関わる最重要課題である。とにかく打ち切りの封じ込めに全力を注ぎ、再開に向けての地盤固めに奔走した。番組内容の多少の変更は余儀なくされたが、番組タイトルはそのままに、八割方従来通りの放送を継続させる運びとなった。

 追い越し車線から片時も進路を変更することなく、夜の幹線道路をソニックイリジウムカラーのレクサスは驀進し続ける。浮かれ気味のプロデューサーは助手席からノンアルコールビールを一本取り出すと、景気づけに中身を半分ほどまで呷った。胃の奥から新たな活力が漲り、アクセルを踏む足にも俄然力が入る。

 ひとたび番組が再開したなら、以降の運営はどうとでもなる。出演者を一新して職員会議を復活させ、部活動は更に異能候補生を増やし、より大規模なものに仕立てていく。前プロデューサーとは方針を異にし、バラエティー色を前面に押し出す。新企画を積極的に採り入れるなど番組全体の活性化を促し、今まで以上の発展を遂げるよう様々な革新的手法を用いる。

 再開後の目玉企画は決定済みだった。塞の神の死により頓挫したエスパー発掘共通テストを今度こそ全収録し、前後編に分けて放映する。

 地方での選考を潜り抜け、全国各地から集まった若い異能者の卵らを一つのスタジオに収容し、数多くの実技試験を課す。上位入賞者には、ウェブ番組としては驚異的な額の賞金や特典を贈与する。地方オーディションやスタジオの本試験、賞金等の準備は前回の特番収録段階で凡て終えていた。今後の収録日程ももうじき決まる。

 誇張でもなんでもない、収録再開は今や時間の問題なのだ。マンション買って車も手に入れたし、次は馬主にでもなってやるかな。本物もかくやのアルコール気分が、益々気持ちを軽快にさせた。

 ビール缶の口を前歯で挟んだまま、十字路をスピードを緩めず右折。信号待ちのパトカーが対向車線に見える。不快を極めた事情聴取の数々を思い出し、咥えた缶をその白と黒の横面にぶつけてやりたくなったが、実行に移すには理性がまだまだ勝っていた。

 南Pが殺害された直後の取り調べは、特に酷かった。犯人を検挙できない苛立ちからか、尋問する刑事の眼も赤く血走り、アリバイその他を問い質す口調もいつになく荒々しかった。返答代わりにちょっとした皮肉を返してやると、憤慨した若い刑事が取り調べ用のデスクに両拳を叩きつけ、掴みかからんばかりに怒声を浴びせた。思いがけず刑事ドラマさながらの尋問風景に出くわし、貴重な体験に少しは感動もしたが、怒鳴り散らす刑事の唾が顔中に降りかかった悲惨な出来事に関しては、未だに腸が煮え繰り返る思いだった。

 プロデューサーに昇格したことで、警察は彼への嫌疑を強めざるをえなくなった。地位向上を謀るべく、邪魔者供を葬ったのではないかと捜査陣は考えたのだ。見当違いもここまで来ると笑えてくる。

 確かに、昇進による給与の大幅アップは願ってもないことだが、そのために殺人を重ねるほどこの頭は壊れていない。非常識な番組制作に関わっている、それだけの理由で警察に勘繰られるのはご免被りたいものだ。常識に対する理解がなければ、道具としての非常識の有用性は見えてこない。考えもなしに非常識なものを一蹴する軽率な輩のほうが、よっぽど常識外れな存在なのだ。長年南Pに付き従い、色々無茶な注文を請けたりもしたが、以上の点を教えてもらったことは心から感謝していた。そんな恩を仇で返すような真似、常識人たる自分には到底できやしない。

 二車線の道路に入ったところで、道行く車と街灯の数が眼に見えて減少した。幹線道路も空いていたし、マンションまでの所要時間もいつもより短く済むだろう。

 このまま万事が順調に進んでくれれば文句はないが、プロデューサー就任という慶事は、同時に前任者の抱えていた不安材料をそのまま継承するという、由々しき事態も引き起こしていた。

 一番の問題は、今更言うまでもないが、主戦力たる出演者の度重なる死が招いた、レギュラー陣の人材不足だ。筧要の訃報を知ったときも相当の衝撃を受けたが、苦痛に顔を歪めた塞の神紀世の死体を下のフロアでじかに見たときは、本当に眼の前が暗くなった。

 霊能系動画配信者に、神威を使う黒衣の怪僧。いずれも番組黎明期からの出演者であり、他局にも出演するようになった当番組の出世頭たち。創設から十年と経っていない新進制作会社の名を汎く知らしめたのは、社員たちの功績のみならず、彼ら二人の活躍によるところも大きかった。

 共にテレビ業界のド素人だった筧と塞の神を採用したのは、芸能事になると途端に優れた嗅覚を発揮する前プロデューサーの独断だが、実際に番組出演者の心構えを叩き込み、助言を与えたのはチーフディレクターのほうだった。触れ込みに反し、双方とも異能を有していないことは、もちろん知っていた。相談を重ね、彼らを本物の異能者のように見せかけるべく、各々が持参した仕込みに手を加え、大規模トリックにおける仕掛け人を調達したのも、凡てチーフディレクターの暗躍によるものだった。

 具体的なトリック云々について、当時のプロデューサーは一切関知していなかった。異能の実在論にはまるで興味がなかったようで、その点に関しては彼も同意見だった。

 故に、巷間の噂を基に半信半疑で大賀邸へ押しかけた彼は、飛駆の起こす不可思議な現象に、心底驚嘆した。彼の用意した五枚のESPカードによる透視実験で、青年は表の図柄を百パーセントの確率で言い当ててみせた。彼の持参した金属製スプーン数本を、青年は事もなげに切断しおおせた。同行したサブDが、凄まじい飛駆の能力にいつもの赫らんだ顔を真っ青にしていたのを思い出す。

 その遠縁に当たる春霧空の許を訪れた際も、少女はスタッフらの前で同様の能力を披露した。その場には飛駆も同席していたが、何より彼が驚いたのは、素人目に見ても空の力のほうが飛駆よりずっと強力だったことだ。取り分け彼女の念動力は、破壊的なまでの威力を誇っていた。例のサブDは、眼前に展開された驚異の連続にしたたか打ちのめされ、その夜自宅で寝込み、翌日会社を欠勤した。

 番組第二部出演の了承を得た彼は、すかさず若き逸材二人を南Pに引き合わせた。一般公募での人材発掘という本来の募集要項とは異なるが、この両名なら候補生選考も軽くクリアできるし、スタッフによるスカウトという裏工作さえ露見しなければ別に問題もない。何より二人とも見目麗しい。美男美女カップルとして見栄えもするし、一期生のセンターたるに相応しい。

 一方、タレントとしての資質により重きを置く南Pは、飛駆と空の出演を認めはしたものの、さほど期待を寄せてはいなかった。筧や塞の神と同じテレビ素人で、かつ芸能プロにも未所属の若い二人に種々の教育を施すのは、必然的にチーフディレクターの役目となった。

 ところが、二人の教化に関しては、全くと言っていいほどうまくいかなかった。同棲相手に子供の扱いを相談しても、育てたこともないのにそんなの判るわけないでしょと返され、何ら参考にならなかった。

 飛駆も空も人一倍警戒心が強く、スタジオ入りや出番待ちのときも行動を共にしていた。たまに空の母親が付き添いで現場に来ることもあったが、ほぼ飛駆が空の保護者代わりになっていた。空は飛駆の許から離れるのを極度に恐れ、青年もまた彼女以外の出演者、スタッフらに心を開くことはなかった。

 南枳実の予想は正しかった。あの二人は全くテレビ向きの性質ではなかったのだ。一見従順そうだが、二人を馭するのは本当に難しかった。同年代の芸能人と比しても遜色ない容姿をしているだけに、着任し立ての新米プロデューサーは悩ましい思いに囚われた。

 走行中の車窓から空き缶を放り捨て、二本目の缶を手に取った。眼の周りのじわじわ熱くなっていく。後方の排気音がやや大きくなった。

 帰途の中でも最も寂しい一角に、車は差しかかっていた。光溢れるガソリンスタンドを越えると、後は民家の明かりが遠方にしか見えない暗い道路が長々と続く。

 そもそも、異能の所有者として春霧空を紹介したのは、飛駆本人なのだ。その二人が揃って制作サイドの言い分に従ってくれないのは、どういうわけなのか。

 今までは凄腕の異能者という手前、こっちもある程度下手に出ていたが、ここは思い切って二人をレギュラーから外してやろうか。もっと聞き分けの良い新顔をメインに据え、二人はお役御免とする。それもいきなり降板させるのではなく、卒業プランをお膳立てして穏便にフェードアウトさせる。

 アスファルトを滑る心地好い走行音に耳を傾けながら、彼は禿頭の奥の脳細胞を総動員させ、番組運営のプランを新たに練り直し始めた。

 いみじくもあの女占い師に指摘されたように、収録再開に不吉な予感を抱いていたのは事実だった。番組出演者三人に加え、プロデューサーまでもが標的にされ、惨殺体となって発見されている。番組制作の士気が衰えないはずはないのだ。現にプロデューサーの死後、二人のスタッフが辞表を提出している。

 だが、このまま泣き寝入りを決め込むなど絶対にできない。エスパー発掘共通テストの最終科目は、以前塞の神が提案したきり実現しなかった、異能力による連続殺人犯捜しだ。依然として払拭できない〈呪われた番組〉なる負のイメージを逆に利用し、更に耳目を惹きつけるべく話題性の強い企画を提出する。異能者諸君が首尾良く犯人を見つけてくれれば万々歳、それが駄目でもテレビ慣れあるいは平和ボケした視聴者に対するパフォーマンスとしては申し分ない。

 引き返すつもりは毛頭ない。活路を見出すには、道なき道を前進し続けるしかない。今ここからがプロデューサー兼チーフディレクターとしての新たな一歩なのだ。立ち止まらず走り続ければ、いずれまたラジオパーソナリティーの話も返り咲くだろう。

「見てろよ、犯人の奴め」湧き立つ興奮を抑えようとしてか、彼は自分のツルツルした頭面を平手で何度となく叩いた。「今に一泡吹かせてやるからな」

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