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一般に、タナトスとエロスは不可分に結びついていると言われる。共通点の多い臨死と性的エクスタシー。心理学者によって提唱された死の本能と性的衝動の快感原則。男と女に性が分離し、子孫を殖やすことが可能となった代償として、ヒトは死の運命から逃れられなくなった。そんな教訓じみた話もどこかで見聞きした。
ならば、一つの体に二つの性を併せ持つ円筒将門は、死の超越者としての資格を身に秘めているのではないか。世界の二大原理である陰と陽の合一を体現した、太極の具現者、永遠の不死者たる資格を。
不死の人間に死の臭いがつきまとうのは一見すると矛盾のようだが、不死に最も近い存在はもう二度と死ぬことができない、つまり既に死んでいるものでもある可能性を考慮すれば、死を帯びた不死者という逆説も全くのナンセンスとは言えなくなる。
両性具有者である将門は、不死者であるが故に死の気配を濃密に漂わせ、それが朱良の、忌避の要因にもなっていると。
「お前、本気でそう思ってるのか」
相手を見据え、軽い口調で尋ねながら、壱八は意識を額に集中させた。読心能力を用いて、発言に偽りがないか調べるために。
本心からの発言であれば、朱良の貴重な弱点を一つ手に入れたことになる。忌わしい連続殺人の犯人を取り逃がしたのは無念だが、異能の利用価値がすっかりなくなったわけではない。壱八を散々悩ませ続けた宿敵の、克服できぬ弱点。興味は尽きなかった。舌先三寸では及ばずとも、読心を有効に使えば朱良との力関係も一変するのではないか。是が非でもそうなってほしかった。
「だから言ったでしょ。あんたには判らないって」
額の傷痕が、チリっと疼いた気がした。一瞬だけ、対象の意識を捉えた手応えがあった。
「ま、信じるも信じないもあんたの自由だけどね」
だが、それきりだった。
どんなに読心の思念を放っても、脳裏に朱良の心理が映し出されることはなかった。
いや、これは。思念が届いていないというより。
そもそも読心の思念が発せられていないのか?
その証拠に、異能発揮の証である額の疼きが、全く起こらない。額の傷は痛くも痒くもならず、完全に鳴りを潜めていた。
「何よ、いきなり黙り込んじゃって」
冷えきった視線を壱八に注ぎつつ、朱良は自身のカップを手に取った。
ダメだ。朱良の心理が読めない。心理を解読する以前に、彼女の心理を捉えること自体できなくなっている。
今日は調子が悪いのか。いや、そんなはずはない。スマホや腕時計を手許に引き寄せるときは、毎回念動力を使っていた。今朝も問題なかった。仕事中はさすがに使用を控えていたが、異能に関わる特段のトラブルもなかったと思う。
調子が狂ったとするなら、朱良と出会って以降のことだ。相性の悪さは、こんな事態まで引き起こすのか。よりにもよって、朱良の心だけが読み取り不可能になるなんて。
朱良だけ?
静かな脈動を続けていた心臓が、そのとき一際激しく胸を叩いた。
本当に、朱良だけなのか?
訝しげな雑誌モデルの視線をやり過ごし、テーブルの下で自分のスマホを取り出した。片方の掌にスマホを乗せ、他方の手をそっと翳す。
さりげなく、かつ注意深く、一瞬だけ朱良に眼を向けた。水面下の動きに気づいた様子もなく、黙々とサンドイッチを頬張っているのを確認すると、壱八は伏し目がちに頭を垂れ、両掌に意識を集中させた。念動の思念を送り込むために。
額の中央に小さな痛みが走る。テーブル下で、掌中のスマホがフッと軽くなった。
が、額の痛みはすぐに消え去り、スマホの感触も元に戻った。それっきりだった。
何度思念を送っても、結果は同じだった。スマホは自然の摂理を遵守し、超自然の作用を受け容れてはくれなかった。
いや、そうじゃない。どんなに念じても、額の傷に一切変化がない。思念の送信自体が、ストップしている。
首筋に、生温い汗が流れた。
直後、手の中のスマホがブルンと震えた。
「うわっ」
この動きは念動じゃない。単なる通知の受信か。
そっと画面を覗き込むと、受信したメッセージが表示されていた。バーカの三文字。発信者はもちろん眼の前の同席者だった。
「おい、朱良、お前」
同じくスマホを手にニヤニヤしている朱良を指差し、壱八は息巻いた。全身の血が引き潮よりも早く、体内から引いていくのを感じた。
「何ようるさいな。ちゃんと聞こえてるって」
会計を済ませた脂性の男性客が出ていくのを楽しげに見やりながら、朱良は言った。
「さっきから何なのあんた。急に黙ったり怒鳴ったり。感情の乱高下がヤバいんだけど。情緒不安定か」
「それの中身、俺に見せろ」
見た目の重量を遥かに上回るサコッシュを軽く弄び、朱良は澄ましきった態度で、
「冗談じゃない。何であんたなんかに」
「じゃあ何が入ってるのか教えてくれ。正直に言えよ」
「これはうちのサコッシュよ。何入れようがうちの勝手じゃん」
「いいから教えろ。文鎮でも入れてんのか」
「ファンデーションとポケットティッシュ。以上」
「本当かよ」
今の壱八に、嘘かどうかは判別できない。仕方なく、額にサコッシュが激突したときの感触を思い起こすことにした。
あの脳天を砕くような衝撃と感触は、相当の高密度を誇る金属類が仕込まれていたに違いない。少なくとも、化粧品と紙の感触ではなかった。
「いや、嘘だろ」
「本当に決まってるでしょ。うち、見え透いた嘘吐くの大嫌いなんだけど」
それでも朱良は平然としていた。
精神を統一し、再度読心の思念を放ったが、やはり当の思念が額から放たれる気配を、壱八は感じ取ることができなかった。
読心だけでなく、念動力も使えなくなったのか?
まさか、異能力自体が消えたなんてことは。
そんなバカな。
「サコッシュのことまだ根に持ってんの? 大したケガもしてないくせに。早く忘れなさいよ」
脳天気に言ってくれるが、壱八にとってはケガどころの話ではなかった。読心の思念も念動の思念も飛ばすことができない。額の傷が疼くこともない。
冷えきった体には、脂汗さえ不快なほどに温かいけれども、凍りついたのは壱八の身体だけではなかった。
異能力もだ。
つい数時間前まで確かに持っていた念動力も読心能力も、いつの間にか、何故か凍結していたのだ。
答えはすぐに出た。あのサコッシュだ。
自分は一体、どのようにして異能力を得たのか。それを考えれば、異能力を失った原因も自ずと判ってくる。
朱良の投げたサコッシュ。あれを額に喰らったせいで。
「ん? 何ガンくれてんのよ」
これまでにも朱良は、何かにつけて壱八の部屋に踏み込んでは、横暴の限りを尽くしてきた。事あるごとに当方を怒らせ呆れさせ、悩ませ続けた。恨みこそすれ、恩など感じたことは一度もなかった。
それでも、今ほど完全なる憎悪の感情を抱いたことはなかっただろう。今回ばかりは、彼女のせいで失われたものがあまりに大きすぎた。
「他のファッション情報誌ってどうなんだろ。んー今はどこも大変なのかな。楽して稼ごうっていうこいつみたいな考えは、この際捨てるか……」
スマホで何やら調べつつ、本人はそのことに全く気づいていないようだ。だからこそ、眼の前にいるこの女が、どうしようもないくらい憎かった。
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